543.【ペア活】岩間寺とワンダー琵琶湖 ~出逢えた奇跡は軌跡~(2024.10.7)
どんなご縁がどんなふうにむすばれ、交差して、離れ、出逢い、ひらかれるのかはわからないけれど、出逢えた奇跡は、軌跡になる。
その途上にいる。
(本文より)
◆岩間寺に行く
◆手毬花ランチ
◆鐘を撞く
◆稲妻龍王社 大銀杏
◆加賀白山の泰澄大師
◆桂谷白龍龍王
◆境内徒然
◆雨と共に
◆百足供養塔
◆藤ヶ崎龍神社の不思議な女性
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◆岩間寺に行く
岩間寺を訪れた。
きっかけは、ちょうどお盆のころ、FBに投稿されていた、樹齢350年の大銀杏や、樹齢500年と言われる桂のご神木、水の写真から伝わってくる、荘厳さと霊性の神秘に目が離せなくなり、「行きたい!」と思ったこと。
アクセスを確認すると、「バス停から徒歩50分」という、間違いではないのか? と二度見するような記述があり、かなり重篤な方向オンチの私は、迷わず行ける自信がなく、1人で行くのは心細すぎて、誰かと一緒に行こうと決める。
そうして、ご縁があって、大津市在住の千園ちゃんと行くことができた。
岩間寺の公式HPを閲覧すると、境内には、白姫龍神、八大龍王堂、稲妻龍王社、護法龍王堂拝殿、など、龍神さまがいっぱい。雷神様が爪で掘ったという湧泉(「雷神霊泉」)があり、元正天皇が詠んだという「わきいづる 岩間の水は い津までも つきせぬ法の み佛の影」という歌が残されている。(※この日、岩間寺の次に、瀬田の唐橋のたもとに行くのだけど、そのときに、ムカデ退治を依頼した龍王の話になり、琵琶湖畔の藤ヶ崎龍神の話になり、千園ちゃんと私には、「2016年に遡る、びっくりするようなご縁」があることがわかって、スピプロ10期で出逢った仲間は、本郷綜海さんがおっしゃる「魂の縁者」なのだと、あらためて感じた。→ 後述します)
待ち合わせのJR石山駅の改札に着いたとき、まだ、千園ちゃんの姿はなく。ぼんやり待っていると、大河ドラマ「光る君へ」のパネルが目に入り、毎週かかさず観ているので、こっそり自撮りするつもりが、にっこり笑ってスマホを構えた時点で、ちょうど向こうからやってくる千園ちゃんと目があい、ばっちり目撃されてしまって、恥ずかしかった。
◆手毬花ランチ
参詣の前に腹ごしらえをしたいという私の希望で、地元の千園ちゃんがピックアップしてくれたお店から選んだのは、JR石山駅近くの手毬寿司とお茶のお店。
盛り付けがかわいくて、特に、名物の赤こんにゃくを、屋根または、笠のようにかぶせたものが、メルヘンで、想像力をかきたてられ、わくわくする。
◆鐘を撞く
石山駅から岩間寺の道は、山に入っていき、けっこうな上り坂である上、民家も店舗もない。標識なども出ていないので、心細い気持ちになること間違いない。「バス停から徒歩50分」を、1人で行かなくて、本当によかった。
駐車場に到着してからも、看板なども見当たらず、境内がどこから始まっているのかもわからない。至るところに脇道があり、下る道あり、上る道あり、起伏も大きく、どう進めばよいのかよくわからない。三門がなく、入山受付らしきものもなく、参詣者の姿もない。
見えてきた建物と、HPの「岩間寺 山内図」とを照らし合わせながら、進んでいくと、鐘楼があった。
お賽銭を入れる木箱があったので、撞かせていただく。
とてもよい響きで、鐘の中に入って、その振動の中で、手をあわせる。頭の先から、足の先まで、鐘の響きに洗われる。
◆稲妻龍王社 大銀杏
鐘楼を降りて歩きだすものの、やはり入山の手続きをする場所にも人にも出逢わない。
(このまま進んでいいのだろうか?)
と思いながら進んでいくと、前方に大銀杏が! その根元にあるお社は、「稲妻龍王社」だ。
(大きい……)
この日は、降水確率が高く、朝から雨……を覚悟していて、「雨が降るときは、龍神様が動く時だと言われているから、ウェルカムっていうことだね」などと言っていたのに、雨どころか、なぜか雲の間から青空がのぞいたりしている。逆に、(龍神様はいずこに!?)という状態。
近づいて見上げる大銀杏は圧巻で、こんなに大きな銀杏の全ての葉が黄葉する景色を見てみたいという気持ちになる。千園ちゃんは近くに住んでいるので、また来ようと言っていた。
見回せば、緑。緑。どれも大きな樹で、そのグラデーションは、緑の奏でだ。
◆加賀白山の泰澄大師
岩間寺のご本尊は、722年に加賀白山を開く泰澄大師が、その途上で、霊地を求め岩間山を訪れたときに、桂の大樹に千手陀羅尼を感じとり、その桂の木で等身の千手観音像を刻み、元正天皇の御念持仏を胎内に納めて祀ったものとのこと。
本堂で手をあわせているとき、響いてきた鐘の音が、心と身体にしみいっていく。
鐘楼で鐘を撞いたとき、おっかなびっくりだったけれど、私たちの鐘の音も、御仏の御偉光とともに、誰かの心に届いたなら嬉しいと思った。
境内には、泰澄大師が白山での修行中に出逢った白山比咩を勧請された白姫龍神もお祀りされている。
加賀一の宮の白山比咩神社は、名前のことだま®を学ぶ者にとって、たいへん縁の深い神社だ。9月9日に、創始者 山下弘司先生が旅立たれ、ご葬儀に参列できなかった私に、白山をひらいた泰澄大師が刻んだ千手観音像と、勧請された白山龍神に手をあわせることができたお導きに、瞑目する。
◆桂谷白龍龍王
岩間寺は、大津市と宇治市の境にあり、境内を奥に進むと下り坂になり、降りていくと「桂谷」と呼ばれている谷が広がり、樹齢500年とも言われ、宇治市の名木百選に選定されている桂の巨木がそびえているのだけど、あまりの大きさに、森にしか見えず、それが長寿の桂の樹だとはわからないほど。
桂の樹が根ざしている谷一帯はご神域のため、立ち入ることができず、「桂谷白龍龍王遙拝殿」から、そのお姿を望む。
こんなに長く大きく、枯れずに成長し続けるのは、よほど土地に力があるのだと思う。
◆境内徒然
岩間寺は、雷除けと、ぼけ封じが著名で、5月と10月のぼけ封じの祈願会には、たくさんの人が訪れるとのこと。昔は、落雷による火災が多く、岩間寺に龍神様がたくさんお祀りされているのも、龍が水を司るといわれているからだろうか。
岩間寺は、「西国三十三所観世音菩薩巡礼第十二番札所」とのことで、境内図には、「御砂ふみ道場」と書かれた場所がある。なんだろう? と思って行ってみると、 西国三十三所の御本尊の石仏があり、その下に は、各札所の本堂前の御砂が埋められていて、お参りすることによって、西国三十三所を巡礼したのと同じ功徳が得られるというものだった。
三十三所それぞれの札所の寺の名前を見て、石仏に手をあわせていく。参詣したことのある寺も多く、そのときのことが思い出されたし、これから訪れたい寺への想いも馳せられて、楽しかった。
境内には、「古池やかわず飛び込む水の音 芭蕉」という句碑と池がある。
松尾芭蕉といえば「奥の細道」の東北のイメージが強く、関西を旅のことをよく知らなかったので、
(この池がその池!?)
と半信半疑だったのだけど、調べてみると、古池の場所には諸説があるようだが、芭蕉は伊賀の生まれで、徘徊を学んだのは京都で、旅の途中で亡くなったのは大阪で、墓所は滋賀県大津市の義仲寺だと書かれていて、「奥の細道」の旅の2年ほど前に、関西を旅していることもわかった。各地に、芭蕉の句碑があり、それを巡るツアーもあるようだ。
◆雨と共に
晴れ間がみえていたのに、桂谷にいるというあたりから、雨がポツポツと降り始める気配があり、しばらくすると、けっこうな土砂降りになってきたのだけど、千園ちゃんと、びしょぬれになりながら、雷神が爪で掘ったという「霊泉」の水が湧き出している場所を探し回ったことも、思い出すと楽しい。
傘を打ち付ける土砂降りの雨の振動が、妙に新鮮で、ずぶぬれでひどい状況なのに、音もリズムも心地よく、不思議なひとときだった。
◆百足供養塔
その時点で何時ごろだったのだろう?
「瀬田の唐橋」の話が出たからか、「龍神」の話からつながったのか定かではないのだけど、「瀬田の唐橋の大百足退治の伝説」の話になり、夫婦と言われている「藤ヶ崎龍神」の話になり、そこから、私が、「瀬田の唐橋のたもとの「勢多橋龍王宮秀郷社」はお詣りしたけれど、その近くに、退治した大百足の供養塔があると知り、2年ほど前に夢で大きなムカデを成敗したことがあって、気になっているので、いつかお詣りしたいと思っている……」という話をすると、行こうよと言ってくれた。
千園ちゃんが調べてくれて、百足供養塔は、勢多橋龍宮秀郷社に隣接する雲住寺の境内にあるとわかり、お詣りさせていただいて、2年越しの願いが叶って、すっきり。
いつしか、雨はあがっている。
◆藤ヶ崎龍神社の不思議な女性
瀬田の唐橋のたもとに、車をとめて、見るともなく暮れていく空と、夕闇に包まれていく橋を見ながら、どこにも行かず、車の助手席に座って話をしていたのだけど、
(うわぁ~ 車の中でどこにもいかず、ただ話をするって、初めてドライブデートした2人のシチュエーション!?)
と、そんなこともあったことを、漠然と思い出したりした。
千園ちゃんとの話で、びっくりしたのは、瀬田の唐橋の伝説の龍神様と関わりが深い、近江八幡市の琵琶湖畔に坐する藤ヶ崎龍神社のこと。
2016年にこの神社をお詣りしたとき、私はここで出逢った、不思議な女性に導かれるままに、長命寺近くの天之御中主尊神社まで車で連れていってもらい、お詣りするという体験をするのだけど、なんと、千園ちゃんも、藤ヶ崎龍神社その女性に出逢い、私が聴いたのと同じ話をしてもらっていたのだ。
このときの話は書くと長くなるので割愛(詳細は当時のブログを参照)するとして、その女性の行動はあまりにも不思議で、藤ヶ崎龍神社から、6キロほど離れた天之御中主尊神社までは、半ば強引に? 車に乗せていってくれたのだけど、そこから先へは行けないと言われて、近江八幡駅まではバスに乗せられ、1人で帰ったことや、「わたし、辰年やからな」と言っていたこと、その日は台風が近づいていて、空は不穏な厚い雲に覆われていたことなどから、現実と非現実の境があいまいで、すでに非日常なことが起きていて、琵琶湖から離れられないというのは、琵琶湖に棲んでいる存在だから? などと思ったりして、その女性が本当にいたのかもわからないと思っていたのだけど、千園ちゃんも会って話をしていたなんて。
私が体験したのは2016年の9月で、千園ちゃんは11月。
その後、スピプロ10期で、千園ちゃんと出逢うのは、2020年10月。
藤ヶ崎龍神でのご縁を知るのは、2024年10月。
どんなご縁がどんなふうにむすばれ、交差して、離れ、出逢い、ひらかれるのかはわからないけれど、出逢えた奇跡は、軌跡になる。その途上にいる。
(ワンダー琵琶湖)
浜田えみな