365.てんけん隊 ~立春大吉~
(これって、すごいことじゃないの?)
(この花たちって、ものすごいんじゃないの?)
(すごいものを見せてもらっているんじゃないの?)
+++
土は、天から舞い降りる光を浴び、風に吹かれ、雨に打たれ、天からうけとったものを循環している。
(食べ物は、土地の神様の御魂分け)
+++
「よい子になれ 元気な子になれ」
そのあたたかな筆文字の声を聴いたとたん、私のなかにいる子に叩いてあげようという気持ちでいっぱいになる。
子まもり太鼓は、笑い声のように、とてもあかるい音。
(本文より)
★咲 寒咲花菜
★食 cafe&gallery spoons
★音 立木観音
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★咲 寒咲花菜
1月の中旬に、テレビで雪をかぶった比良山と菜の花のコラボ風景を見て、
(ぜったい行きたい!)
と思っていたら、滋賀県在住の旅する絵描き 木の葉堂 白澤裕子ちゃんから、「てんけん隊」のお誘いが届く。
さっそく、琵琶湖畔の菜の花について尋ねてみたら、
「じっくり見たことないけど、よく通るよ 行こう!」
と快諾してくれて、2023年初回のてんけんは、菜の花畑に決定。
1月9日に「はたちの集い」を振袖姿で迎えた娘の名前は、「菜々美」
彼女が自分の名前に、「いちめんの菜の花」をイメージしているかどうかはわからないけれど、「菜々美」にしようと決めたとき、訪れたこともないのに、菜の花畑のイメージが浮かんだ。
それがどこかもわからないけれど。
だから、素敵な写真が撮れたら、娘にプレゼントしようと思っていた。
JR守山駅で待ち合わせをして、裕子ちゃんのクリーム色のクルマに乗ると、走行距離が目に入った。見間違いかと思って、二度数えたが14万キロを超えている。
8年前に二人で展覧会をしたときも、いろんなところをてんけんした。
そもそも、会場が枚方市の星ヶ丘だったのだ。遠く滋賀県から通っていた裕子ちゃんはすごいな。
私も、滋賀を訪れる機会が増えた
守山駅から、琵琶湖を目指して、車は進む。空は蒼く、山には白い雪。
助手席から見える景色にわくわく。
メタセコイヤ、桜。
(琵琶湖大橋!)
琵琶湖大橋は、法定速度以下で走ると、路面の溝にタイヤが接したときに生じる走行音が「琵琶湖周航の歌」の旋律に聴こえる「メロディーロード」が設置してあると、裕子ちゃんに教えてもらい、興味シンシン。
ハミングしてくれたけど、大阪府民の私にはわからない。
滋賀県民にはおなじみの歌だそうだ。(→帰宅してから、ユーチューブで聴いた!)
琵琶湖大橋を越え、しばらく走ると現地(第1なぎさ公園)のはず……なのだけど、
(何かちがう)
たしかに、そのあたり一帯は黄色で、菜の花らしきものが咲いているが、
(これが、絶景!?)
テレビで見たような、「いちめん」感がない。いびつで、ばらばら。
(もしかして、咲き終わっているの?)
(2月下旬まで見ごろと書いてあったのに……)
よくよく見ていると、菜の花が立っていないことに気がついた。
高さが足りない。高さが一定じゃない。すきまが多い。花の向きがばらばら。
(茎が折れている!)
(どういうこと!?)
と思った瞬間、わかった。
先日の大雪で、菜の花は埋もれ、雪の重みで倒れている。
雪が解けて消えても、折れた茎は戻らない。
花は、地面に向かって、または横たわって咲いているのだ。
雪をかぶった比良山と、いちめんの菜の花の美しいコラボ……には遠い、残念な光景を前に、複雑な思いだったけれど……。
(咲いている)
(花は、まんまるにふくらんでいる)
(元気で、輝いている)
しゃがみこんで、下から花をのぞきこむと、その向こうには
(なんて青い空!)
(なんて黄色!)
「えみなさん、いい感じ! ほら!」
と、裕子ちゃんが撮れた画像を見せてくれる。
空だけが背景になるように、下から斜めに撮ると、超アップの菜の花と、真っ青な空のコントラストが、美しい。
さっそく、撮影大会。
そして、気がつく。
雪が溶け、なぎ倒されたような菜の花畑に、
(すっくり立っている花がある)
見渡せば、あちらこちら、指差すことができるほどに。
(これって、すごいことじゃないの?)
(この花たちって、ものすごいんじゃないの?)
(すごいものを見せてもらっているんじゃないの?)
折れて倒れて重なって、地面に向かって咲いている菜の花の、まばゆいような輝きも。
(咲いている!)
(折れても、倒れても!)
********
菜の花畑は、琵琶湖岸の「第一なぎさ公園」の一角にあり、そのまわりは湖岸に沿って、歩行者と自転車専用の道が続いていて、散歩をする家族連れや、ノルディックウォーキングをするシニアの一行がいたりして、にぎやかだ。
なだらかな斜面を上がって道に出ると、「ハマヒルガオの群生地」を示す看板が見える。
海辺の砂浜に生息することが多いハマヒルガオが、淡水の琵琶湖にみられるのは、昔、琵琶湖が海とつながっていた名残だという。
初夏に、ピンクの可憐な小さな花が咲くそうだ。
小さな池のまわりの冬枯れの木立やヨシのたたずまいが、まるでホビットたちが隠れていそうなファンタジーの世界で、萌える。
★食 cafe&gallery spoons
湖岸の道は、どこまでも続くので、きりのいいところで折り返して、ランチに向かう。
次のてんけん地が、立木観音と立木音楽堂カフェなので、そちらに向かう方面で、裕子ちゃんが提案してくれたのは、瀬田の唐橋のたもとにある「cafe&gallery spoons」
ガソリンスタンド跡をリノベーションして、「滋賀の素材をよりおいしく、滋賀を中心に活動するアーティストを応援したい」という想いで、建物オーナーが経営されていた「gallery spoons」を復活させたそうだ。https://spoons.brahart.net/about/
裕子ちゃんは、復活前の前の「gallery spoons」で、個展を開催したご縁で、現在は、作家さんの雑貨が展示販売されているコーナーにポストカードを納品している。
店の横の駐車スペースが満車だったので、少し離れたところにある駐車場にまわったが、そこも満車。
店に戻ってみると、待ってくれていたかのように、場所が空いていて、魔法みたいに停めることができた。
瀬田の唐橋が望めるという2階のテーブル席は満席だったけど、お店のかたが調理している様子が見える1階のカウンター席に座ることができた。
メニューをひらくと、どれも魅力的で、いつものことだけど選べない(笑)。
私は、住んでいる場所を離れてどこかに行くと、その土地の食べ物を食べたいと思う。
それは、「食いしん坊」というのとはちょっと違っている。
土は、天から舞い降りる光を浴び、風に吹かれ、雨に打たれ、天からうけとったものを循環している。
(食べ物は、土地の神様の御魂分け)
それを、感謝とともにいただき、そのエネルギーを体内にとりいれる。
一緒に食べてくれる人がいたなら、なおいい。
「cafe&gallery spoons」さんは、滋賀の素材をおいしく供するというコンセプトなので、どれを食べても、土地の恵みにあふれている。
(裕子ちゃん、すごい!)
せっかく来たので、品数が多く、おそらく、お店イチ押しと思われるランチプレートを選ぶ。
地元の野菜や赤米や鶏肉やしじみを使ったお料理。
「瀬田しじみのしじみ汁」という言葉を見たとたん、
(食べずには帰れない!)
と、ときめく。
注文したランチが目の前に置かれると、ワンプレートに盛り付けられた、心づくしの品々に目を奪われる。
(綺麗!)
いったい何種類あるのだろう。
メニューの写真より色鮮やかで美しく、ボリュームがあり、インパクト満点。
そして、美味しい!
ボリュームがあるのに、美味しいからどんどん食べられる。
シジミ汁はあたたかくコクがあり、サラダは新鮮で甘く、チキンは弾力があり、かむたびに旨味がひろがる。ソースが絶品。ズッキーニのフリッターは、魔法のような食感。
ナマの野菜も、蒸した根菜も、色がきれいで、目を奪われる。かたちも味も、同じものがなく、工夫されていて、おもしろい。
まんまるのかたちは、おからのコロッケ。つまようじで作った三角の旗が差してある。番号は2番。
まだまだ種類があり、どれも滋味にあふれている。
(しあわせ~)
帰宅してから調べると、「セタシジミ」は琵琶湖で獲れるシジミの品種で、どこで獲れても「セタシジミ」だそうだ。
でも、「cafe&gallery spoons」さんで出しているものは、瀬田で獲れたシジミなので、誇りを持って「瀬田しじみ」と書いてあるのだと想像する。
瀬田の唐橋といえば、ことだま師仲間の稲葉優子さんと訪れた石清水八幡宮を巡るいくつものミラクルのひとつ、大ムカデ退治の舞台。
(つながっている)
近くにあるという大ムカデの供養塔にも、忘れずに、いつかお詣りしよう。
ランチプレートには、スイーツとドリンクがついている。
ドリンクメニューから、「朝宮茶」の紅茶をお願いする。
運ばれてきたお茶の色に、裕子ちゃんも私も、思わず歓声。
(なんて、綺麗――――)
朝焼けの空みたいな、あかるい紅。
なるほど、「紅茶」だと思わせる奇跡みたいな色。
透明なガラスの器と、ソーサーの琥珀のような色に、ひかりが相乗して、醸し出されるマジック。
味わいもとっても豊か。
水や淹れ方が違うのだろう。自宅で出せるか自信がないが、あまりにおいしかったので、お持ち帰りする。
帰宅して調べたところによると、朝宮茶は日本五大銘茶と言われる信楽のお茶らしく(知らなかった!)、茶楽園さんは、農薬不使用で有機栽培でお茶を作っていると書かれていた。
和の茶葉で作る紅茶の味わいに、ほっこり癒され、いつまでもまったりしてしまう。
会社員の私は、生活のほとんどを時計を見ながら動いていて、起床時間に始まり、父のデイサービスの迎えの時刻、通勤電車の時刻、始業開始の時刻、会議や来客や提出締め切りの時刻、昼休みの時刻、終業の時刻、電車の時刻、zoomミーティングの時刻……、いくつもの時刻を車輪にして進んでいる。時に「秒で動く」
そこに、休憩とか、停止とかが入る余地はないので、常に動いている。
でも、本来の私は、おそらく、とってものんびりしているのだろうと思う。
だから、時計を見ない休日は、なにもかもが遅れがちになるのだと、いまごろ気がつく。
すっかり長居をした裕子ちゃんと私は、次なるてんけん地 立木観音へ。
★音 ~立木観音~
立木観音の公式HPをひらくと、飛び込んでくるのが弘法大師の名前だ。
今年、生誕1250年になるそうだ。
高野山の御廟では、今なお生きている弘法大師のために、一日2回、食事が届けられている。
私の両親は徳島出身で、弘法大師への信仰が厚い。
母の実家は、街道に面した商店を構えていたので、行き交うお遍路さんの非日常的な姿も、お接待をする祖母のことも覚えている。
父方の祖父は、農家の長男として生まれながらも、後年、僧侶としての学びと修行をした人で、高野山でも学び、剣山で修験道の修行をしたと聞く。
山伏の装束とほら貝を見せてもらったことを覚えている。名前も「弘一(ひろいち)」
なので、弘法大師に縁のあるものは、祖父からの守りにつながる気がして、心が動く。
立木観音は、平安時代前期、瀬田川の対岸に光り輝く霊木を発見した弘法大師が、急流のため渡れずにいると、突然白い鹿が現れ、背中に乗せて岩の上を跳んで渡り、霊木の前までくると、観世音菩薩に姿を変え、その導きに感激した弘法大師が、立木に等身大の観音像を刻み、建立したものだという。
鹿が弘法大師を乗せて岩を飛んだ地なので、「鹿跳(ししとび)」と呼ばれ、弘法大師が観音像を刻んだのが、厄年の42歳といわれることから、古くから「厄除け観音」として参詣者で賑わっているそうだ。
大阪に住む私にとって、鹿といえば春日大社、鹿といえば奈良なので、遠く離れた山深い地で、鹿に乗る弘法大使のお姿を見るのは、不思議な気持ちだ。
***
立木観音への参道は、瀬田川の流れを望む地にある。
遅い時間なのに、駐車場は満車のようで、空いている場所がないか、のろのろと進んでいると、誘導の人に止められ、満車なので別の駐車場を案内されたのだけど、一度聞いただけでは覚えられない。
何度も聴いて、なんとかなるかーと車を発進させようとして、左側を見ると、駐車している車に
(人が乗っている!)
しかも、にっこり笑ってうなずいているように見える。
(まさか、今から出るの!?)
本当に不思議なことに、裕子ちゃんが誘導の人に止められ、別の駐車場を案内された場所は、今から出ようとする車の前。
私たちが話をしている間、その人の道をふさいでいたことになるのだけど、クラクションを鳴らすわけでもなく、じっと待っていてくれたのだ。
ナンバープレートを確かめていないけど、「いらち」の大阪人にはありえない。
いや、観音様にお詣りしたあとは、だれもが菩薩のようなのだろうか。
厄除け祈願っぽい年齢のそのかたの車が出たあと、裕子ちゃんの車が入る。
(ご加護!)
「cafe&gallery spoons」の駐車場もそうだったけど、走行距離14万超えの裕子ちゃんのクリーム色の車は、守られている。
(わたしたちは、無敵!)
エメラルドブルーの渓流を眺めながら参道の階段まで、瀬田川沿いの歩道を進む。
境内まで800段の石段があるとのことだが、それがどのくらいなのか、想像もつかない。
800段=800歩ならくらいたいしたことないようにも思えるし、いやいや、階段なんだからたいしたことあるんじゃないの? という気もするし。
わからないまま、登りはじめる。
段の高さがけっこうあるので、膝をしっかりあげて登らないといけないことに驚く。
子どもが多いことにも、驚く。
抱っこひもをつけた父親が多いし、2~3人の子どもを連れて石段をあがっていく家族が多く、節分の豆まきは終わっているし、子供向けの行事などなさそうなのに、なぜだろう? と思いながら、石段を上る。厄除け祈願なのかもしれない。
子どもたちは、疲れを知らず、両親を引き離して、何度も折り返し、遊ぶように駆け上っていく。
小さな赤ちゃんを抱っこひもで抱えるお父さんは、たいへんそうだ。
800段はけっこう長く、裕子ちゃんと私は、途中で何度も休憩しながら境内を目指す。
あともう少し! と思ってからが長かった(笑)
こんなところに開帳する弘法大師も、今よりもっと整備されていない参道を往復し、1200年以上も、守り伝えた人々も、すごいと思う。
手水場の龍は笑っている。
龍の尾の先が、ものかきの私には、万年筆のペン先に見える。
鹿に乗る弘法大師の像。
本堂でろうそくを灯す。
さらに石段を登って奥の院にお詣りし、「梵鐘」といわれる鐘を撞く。
どのくらいの力でやればいいのかわからず、けっこう力をこめてしまった。
からだが、その波動に包まれ、ホールドされる。
「梵鐘」とは、神聖・清浄を意味するのだという。
「鐘を撞く」という漢字があることを始めて知る。
音の響きが伝える叡智とともに、文字から喚起されるロマンの果てしなさも感慨深い。
(日本人でよかった)と、心から思う。
境内には、いろんなものがある。
お寺や神社は、古の人たちのテーマパークだと思う。
子どもたちが鳴らしている太鼓があり、近づくと「子まもり太鼓」と書いてある。
ちいさな子どもがいるわけでもないし…… と思いながら、反対側に書かれた文字を見て、ぐっときた。
「よい子になれ 元気な子になれ」
そのあたたかな筆文字の声を聴いたとたん、私のなかにいる子に叩いてあげようという気持ちでいっぱいになる。
なんて呼べばいいのか、今もわからないが、「インナーチャイルド」とか「ワンダーチャイルド」とか言えば、人にはわかりやすいのかも。
いまさらだけど、裕子ちゃんとやった展覧会で企画した「きみのトモダチ」って、そういうことだったんだと思う。
(ずっと、手をつなぎたがっているもの)
「イナンナの冥界くだり」にドはまりしたのも、エレシュキガルの姿に胸を打たれたのも、それがあまりにも自分に近い世界だからだと思う。
どれだけの人が、あのPVを観たかはわからないが、そこから先に往く扉の数も深さも、開ける時期も、さまざまだ。
それは、その人にとって、とても馴染んだ場所。
子まもり太鼓は、笑い声のように、とてもあかるい音。
(太鼓の音っていい)
(打楽器って、原始の鼓動)
休憩所では、ゆず茶とお茶をふるまってくれる。
中央にかまどがあった。
お湯は、戸外の大きな釜で、薪を使って沸かしている。湯気がたちのぼり、火の番をしているかたが、危ないので、人が立ち入らないよう気を配っている。
一気に沸くのではなく、ゆっくり温度があがっていくお湯はおいしいのだと、裕子ちゃんが教えてくれる。
デンプンもゆっくり低温で加熱すると甘くなる。
やきいもの原理だ。
(ゆっくり、ほっこり、まったり)
立木山には、猫がいるそうで、「立木山にゃん」のパネルが飾ってある。なかなかの美猫。
裕子ちゃんは出逢ったことがあるそうだ。
弘法大師の像の下に、青い実がのぞいている。
ラピスラズリのようなその玉は、「龍のひげ」の実だそうだ。
南天などの赤い実は見たことがあるけれど、青い実は初めて見た。
階段のぼって、ろうそく灯して、鐘を撞いて、太鼓たたいて、お茶飲んで、青い実をみて、おみくじも引いた。
帰り道、まだ標高の高いところから見える景色を見晴らしながら、裕子ちゃんが「あれが、ムカデ退治の伝説の三上山」だと教えてくれる。
瀬田の唐橋も見て、三上山も見たことを、石清水八幡宮に一緒に行った優子さんに伝えなきゃと思いながら、どちらも「ゆうこ」さんだと思う。
ちなみに、私の所属する係には、「ゆうこ」さんが3人。女性5人のうち3人がゆうこさん。
私にとって、大事な音なのだと思う。
裕子ちゃんが、とつぜん、「わー――――っ」って大きな声を出した。
そのとき、デジャブみたいに、ブラッシュバックした「やまびこ」の記憶。
大きな声を出したら、同じように声が返ってくる。
田舎の山でだろうか。
林間学校だろうか。
そのとき、自分が何を叫んだのかも思い出せない。
(やっほーかな?)
と思い、やっほーとは何語か? ということが頭に浮かんだので、裕子ちゃんに尋ねたけれど、裕子ちゃんは知らなかった。
この日、裕子ちゃんが、とつぜん、言い出したこと。
「空海って、弘法大師のこと? 空と海って、すごいね」とか
「観音って、音なんだね」とか。
空海も観音も、そこかしこにあふれていて、初めて目にする漢字じゃないはずなのに、なぜ……? と思ったけれど、そういうことって、確かにある。
(ずっと知ってて、ずっと見ていたことが、とつぜん、別の角度をもって輝きだすような発見)
***
下の道まで降りると、もう灯りがともる時間だ。
ゆったりしすぎて、渓流を望む「立木音楽堂カフェ」に行く時間がなくなり、筆文字アートで遊ぶ時間もなくなり、後ろ髪をひかれつつ、石山駅に向かって出発。
菜の花畑にいたことが遠い昔のよう。
おいしい山盛りのランチを食べたことが夢のよう。
立木観音では、五感がフル回転。
鐘や太鼓が胎に響く。
立春の扉を開けるてんけんができて、2023年もわくわく。
あまりに春の息吹がうれしくて、2023年立春の菜の花を忘れたくなくて、カードもどきを作成した。(ブログ記事あり)
忘れないよ。
裕子ちゃん ありがとうー。
今年も、たくさん、あそぼう。
浜田えみな
ブログ記事「立春 ~寒咲花菜~」
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