538.「ドラマdeオープンダイアローグ」in大阪(2024.10.12)体験!(向後善之先生&田口ランディさん)
「人と対話する、その人を尊重すること」は、同時に「境界線をしっかりと持つこと」だと実感する。
そのためのグラウンディングの重要さも。
目の前の人に対するのと同じくらい、自分や、自分が大切にするものを尊重することも。
(本文より)
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臨床心理士の向後善之先生と作家の田口ランディさんによる【ドラマdeオープンダイアローグ】を体験した。
早めに会場に着くと、ランディさんが、場の浄化をされ、美しいお花で、センターピースを作られているところだった。
ランディさんとは、3月末に開催されたクリエイティブ・ライティングのオンライン講座と、4月28日に大阪で開催された同講座のリアル講座で教えていただいたので、顔を覚えていてくださっていて、嬉しい。
向後先生は、やさしそうなかたで、白い模造紙に、ワークショップのスケジュールと、オープンダイアローグで守ることを、マジックでせっせと書いていらした。
【オープンダイアローグで守らなければいけない大切なこと♡】
〇上も下もない。先生も生徒もいない
〇結果は求めない!
〇対話することに意義がある!
〇秘密を守る
〇予定をしない
〇成り行きを見る
〇見本はない。トライ&エラー!
〇自分の考えを大事にするけど押し付けない。
先生の手がすくのを待って、何度も読んだ先生の著書「マンガでやさしくわかるオープンダイアローグ」に、サインをしていただいた。
写真撮影も。
参加者は40人を超えるとのことで、円形に並べた椅子は、みるみる席が埋まっていく。
こんなにたくさんの、知らない人ばかりの体験型ワークショップに参加するのは、久しぶりだ。ここ数年間、オンラインのワークショップばかりだったので、「たくさんの人が集まる場は苦手」だということを、忘れていた。
始まる前に、全員で、センターピースを囲み、手をつないで輪になって、ランディさんが話してくださる大切なこと、ぜったいに守ることをみんなで誓う。
安心・安全の場がホールドされる。
オープンダイアローグと、本日のスケジュールの説明をしていただき、アイスブレーキングのエクセサイズを二つした。椅子から立ち上がって、自由にぐるぐる動き回って、組を作るのだけど、こういう時、選ぶとか選ばれるとか、タイミングとか、取り残される感じとか、楽しくわいわいしている雰囲気の中で、けっこう緊張する。いつのことだったか、本当にあったことかどうかもわからないとしても、原体験、原記憶として、「自分は選んでもらえない」「必要とされない」という楔のようなものがあって、うずく。ペアになってくれる人に出逢えると、ほっとする。
この日の「ドラマdeオープンダイアローグ」が終わったときに感じた、「ひきこもりたくなる」気持ちは、最初のアイスブレーキングから始まっていたのだと感じる。
アイスブレーキングで行ったのは、腕の力を抜くエクセサイズと、顔の緊張をとるエクセサイズ。
人を前にしたとき、顔にも、からだにも、常に力が入っていることがわかる。ゆるむと、おだやかで、やさしい顔になる。ふれるだけでゆるむ。そっとふれてもらうことの、心地よさ。自分でも、気がついたときに、やろうと思う。
このようにして、できるだけ力を抜いて、素の状態になって、午後からのドラマ作りと、オープンダイアローグのためのプロセスに入っていく。
ここで疑問。
事前に、向後先生の著書を読み、オープンダイアローグが、どのように行われるかを読んだけれど、「ドラマ」をやるなんて、どこにも書いていなかった。
(なぜ、ドラマにするのだろう?)
実際に体験して感じたことは、ドラマができあがっていく過程で、主人公となる人が抱えているテーマと、その背景に、ぐんぐん入っていくこと。
ドラマを作るために、ていねいにその状況や登場人物に向き合い、演じてくれる人が再現できるように、性格や、セリフを説明しながら(同時に内省を深めていることが伝わってくる)真摯な姿に胸を打たれ、他人事ではなくなっていくこと。
その想いを受けとめ、全力で再現ドラマを演じる人たちの真剣さと熱意に、ひきこまれていくこと。
ドラマが終わると、医療従事者役として、さらに数人が選出され、向後先生とともに、感じたことや、気になったこと、質問したいことなどを自由に対話する「リフレクティング」に入る。
クライアント役の人は、それを観ている。すでに自分の中にあるものも、新たに入ってくるものもあるだろう。
「見えていたこと」も、「見えていなかったこと」も、「見ようとしていなかったこと」も、「自分がどのように見えているのか」も、「ドラマの登場人物がどのように見えているのか」も、客観的に、俯瞰的に理解することになる。
さらに、一部始終に立ち会い、まわりで観ている数十名も参加して、感じたことを自由に発言する。
なんと、さまざまな視点があるのだろう。
ドラマに登場する人物の中で、誰に着目するのか、感情移入するのか、その熱量も、人によって違う。1つの角度からしか見えなかったものに、さまざまな角度からの視点(光)が入ることで、変化が起き始めるのを感じる。
クライアント役の人は、自分に起こったことをふりかえり、再現ドラマの配役を選び、それぞれの立場や気質を伝え、セリフを再現し、演出をしていく。自分を演じてくれる人を外から観る。
それは、テーマを言葉だけで話すよりもはるかに、大きな振動となって伝わる。
2つのドラマとオープンダイアローグを体験した。
クライアント役のかたや、配役をされたかたからのシェア、参加者のかたからのさまざまな声を聴くことは、感慨深く、専門的な知識をお持ちのかたが多いようにも感じたし、多様な洞察に感銘を受けた。
「ポリフォニー」と呼ばれる、それぞれがありのままでありながら、その違いを共有するようなコミュニケーションと対話が行われている状況を、体験した。
答えはその人の中にあり、ちゃんとたどりつくことが、確信できた。
オープンダイアローグのワークショップは、成功だったと思う。
ところが、終わったあと、私は、怖くなった。(個人的な体験だから、ワークショップの内容には関係がない)
「ポリフォニー」という、どんどん意見が出る場の中にいて、〈みんな、なんらかの反応を持つ〉ことを体験した。
〈発言してもしなくても、何か思っていること〉を体感した。
オープンダイアローグは、いい悪いもない。上下もない。ジャッジもない。それぞれの意見は尊重される。結果は求めない。責められることはない。崇められることもない。
(でも、何か発信すれば、みんな何かを思う)
人ひとりの存在。その圧。
突然、それが脅威になり、恐怖になって襲ってきた。
どうして急にそんなふうになったのかわからないけれど、人の中にいるだけで怖くなる、そんなデジャブが襲ってきた。
花束を差し出したつもりでも、地雷となる可能性があることを、思い出した。
(怖い、引きこもっていよう)
という気持ちになる。
オープンダイアローグのワークショップに行って、人が怖くなって、シャッターを下ろしてクローズするって、どうなの!? という話だけど……。その日は、その気持ちから戻れずにいた。
そんな中、不思議なことに、翌日からは毎日、人と会う予定が入っていて、楽しいことがいっぱいあって、大好きなことをたくさん思い出し、意識して「対話」する時間の中で、浮上した。
「人と対話する、その人を尊重すること」は、同時に「境界線をしっかりと持つこと」だと実感する。
そのためのグラウンディングの重要さも。
目の前の人に対するのと同じくらい、自分や、自分が大切にするものを尊重することも。
浜田えみな
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