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5.いのちの循環 ~おおげつひめ~

食物をいただくということは、いのちの循環に入っていくことだと、気がつく。
だから、人間の身体を通して、感謝とともに、土に還す。

言葉もまた、身体から出るものであることを、思う。

毒素にも、栄養にもなることを、思う。
よかれと思ってさしだした言葉が、誤解され、思いもよらない結果を生むことも。

人生を支え続ける、豊かな実りとなることも。

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『いのちの循環 ~おおげつひめ~』

おおげつひめのカードを引いた。
明るい、太陽のような笑顔。

(どんなひめ神さまなのだろう?)

神話を聴いて、びっくりした。

古事記では、高天原を追われて、出雲に行く途中、おなかをすかせたスサノオに、食事のもてなしをする。
あまりにおいしいので、スサノオはお代わりを頼むが、おおげつひめが準備をしている様子が気になって、のぞいてしまう。

すると、鼻や口や、お尻から食べ物を出して調理していたので、汚れたものを食べさせられたと誤解したスサノオは、おおげつひめを殺してしまう。

すると、死んでしまったおおげつひめの頭から蚕、目から稲、耳から粟、鼻から小豆、陰部から麦、お尻から大豆が、生まれる。

このことによって、おおげつひめは、養蚕、五穀の起源神と言われている。

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「け」は食べ物のことだ。
ことだまでは、身体の成長には、食事のとりかた、心の成長には、言葉かけの大切さを伝えている。

有無を言わさず、殺されてしまったおおげつひめ。
身体から出るものは、すべて、汚く、汚れているのだろうか。

昔話には、自分の身体の一部を使って、何かを生み出し、お世話になった人へご恩返しをする伝承が、多く伝わっている。

使う場所によって、汚いとか汚くないなどという感覚は、いつ、どのように芽生えたのだろう。

少なくとも、古事記が編纂された時代には、身体から出るものは、お乳以外は、排せつ物として、汚いものだとみなされていたことがわかる。

しかし、その排泄物は、肥料として土地を豊かにし、穀物の実りを約束するものだ。
その排泄物を、土地に返していかなければ、土地はやせてゆき、やがては作物が育たなくなる。

おおげつひめの神話は、何を伝えているのだろう。

食物をいただくということは、いのちの循環に入っていくことだと、気がつく。
だから、人間の身体を通して、感謝とともに、土に還す。

言葉もまた、身体から出るものであることを、思う。

毒素にも、栄養にもなることを、思う。
よかれと思ってさしだした言葉が、誤解され、思いもよらない結果を生むことも。

人生を支え続ける、豊かな実りとなることも。

浜田えみな(初出 FB 6.30)



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