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110.「春のテーマ」 ~新たなじぶん温泉とカードから始まる魂の旅~
(新たなじぶん温泉)
師の提案は、これまで、自分が思っていた以外の、〈新しい泉質〉を教えてくれるものだった。
訪れる感情の中には、逃げてしまいたいものもある。
いや、逃げている。
これからも、逃げたい。
でも、〈浸かる〉という提案は、私にとって、
〈やってもいい〉〈やれるかも〉
という気持ちにさせるものだった。
〈じぶん温泉〉って、こういうことだったのか。
***
3月のタロットの会で、15分セッションをしていただいた。
「春のテーマ」を意図して引く1枚。
出てきたのは、光の中に花開く「勇気」のカードだ。
最近、道を歩いていても、いたるところで花が咲き、近寄って、思わず写真を撮ったりして、春の訪れを感じていたので、
(まさに、今!)
(まさに、春!)
「勇気」は、出てくると嬉しくなるカードだ。
〈咲く〉という「希望」
〈どこにも行かず、誰にもなろうとせず、今ある状況の中で花が咲く〉というエール。
「今」を受け取り、前に進む力が湧いてくる。
ところが、はじめて、このカードを見て(がーん)というショックを受けた。
さまざまなことに追われ、時間のゆとりも心のゆとりもなく、公私とも焦燥でいっぱいの日々だったので、「勇気の花」に描かれている〈陽光あふれる空間と開花の歓びや祝福〉よりも、その下にある、硬くて、重くて、冷たく、何層にも重なっている〈岩の試練〉が、圧倒的なパワーで、襲ってきたからだ。
(咲くまでに、乗り越えないといけないものがたくさんある)
(やわらかい土じゃないんだ…… こんな硬くて重い岩の隙間から出ていくのだ……)
(前途多難)
「勇気」というよりは、「試練」「覚悟」「チャレンジ」というワードが飛び交い、咲くことはわかったが、それまでの前途多難さに、打ちのめされる感じだった。
「勇気」のカードから受けた、もう一つのメッセージは、「自分のままで咲く」というものだ。
他人の芝生は青い。
人の素敵なところにふれると、自分がダメに思え、自分を変えよう、変わろうとしてしまう。
その傾向が、最近、また、表れはじめていたので、
〈それをしなくていい〉
〈どこにも行かず、誰にもなろうとせず、自分のままでいい〉
ということを、カードから言われた気がした。
そのことを、師に伝えると、
「今の自分が、今の自分と思えない?」と尋ねられ、一瞬、何を言われているのかわからなかった。
〈どんなときでも、人は今の自分なのに、今の自分は自分ではないと思っている〉
〈理想の自分と違っているので受け入れていないだけで、どんな自分も、今の自分〉
〈今の自分を受け入れたら負けみたいに思うけど、今の自分にくつろぐほうが変わっていける〉
〈どんな自分も、自分でない瞬間などない〉
〈今の自分〉を発見する。
自分をそのまま細胞に行き渡らせる。
ジャッジしたら、(ジャッジしたんだ……)と思う。
もやもやしたら、(もやもやしたんだ……)と思う。
なんとかしなきゃと思うのをやめる。
なんとかするのをやめたらどうなるのか。
(無理!)
と思った。
人のことをうらやむ気持ちとか、自分を卑下する気持ちとか、説明のできない、もやもやや、ざわざわした闇な気持ちを、ずっと感じているなんて。
思った瞬間、考えないようにしている。
たとえば、対象物から目をそらす。
フェイスブックの投稿なら、最後まで読まずにスクロールするとか。
「いいね!」もコメントもしないで、読まなかったことにするとか。
いったん、逃げてしまう。
もしくは、俯瞰的に考えてみる。
(なぜ、こういう気持ちが湧いてくるのか)
そして、もやもやの原因に、理屈をつける。
(抑圧している自分がうずいているのだから、その抑圧を解放すればいい)
そのアイデアは、私を救う。できたためしなどないのに。
何も変わっていない。だから繰り返す。
師にとっては、そんなことはお見通しだ。
「ずっと感じられなかったらどうするか。考えないようにするか。理屈で変わろうとするか。理屈で変わろうとして、失敗してきたのだから、作戦を変えましょうよ」
(作戦を変える?)
「その気持ちの中に、ずっといるんです」
(えーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!)
想像してみた。
湧いてきたネガティブな気持ち。黒い気持ち。
すぐに感じないようにしている気持ちを、思い出してみる。
「できません。思ったら考えないようにしているので、やろうと思っても、3秒くらいしかできません!!」
全身が拒絶している、と思う。
まずは、思考が。プライドや、建前。仮面の自分。
「恥ずかしくない自分を仮に作り出して、そっちに意識をもっていってしまうのは、やってはいけないこと」
(まさに、やっています!)
「〈本当に変わるエネルギー〉が、100%届かない。だから、心底変わることができない」
人が本当に変わるためには、全身でイヤな自分や、恥ずかしい自分を感じ切り、そこから生まれる、〈もうたくさんだ! 二度とやらない!〉という、その決意こそが、もう二度と後戻りしない、軌道修正を起こすことができるのに、
「それなのに、(あ、恥ずかしい!)と思ったとたん、恥ずかしい自分をぱっと切り替えてしまう。また、同じ気持ちがやってくると、理屈を編み出す。せっかく、変われるチャンスなのに、もったいない」
そのとおりだ。
でも、感じた瞬間に、もう感じないようにしてしまう。
〈きそう!〉という気配がわかると、感じる前に逃げている。
「大人になればなるほど、感覚を全身に行き渡らせることをしない。〈わかったー!〉というのが、全身に行き渡る前に、書き始めてしまう」
「文章と自分が乖離すると、乖離を正当化するために、しゃべってしまう」
〈どんなことでも、その瞬間に起こったことを感じ切る〉
〈全身に今の自分をいきわたらせる〉
〈感じ切る前に逃げてしまうと、感性は豊かにならない。言葉を逃避で使ってしまうと、言葉も豊かにならない。言葉と自分が乖離していると、満足しない。満たされない〉
〈感覚を行き渡らせないので、飢えている。ちゃんと食べていないので、飢えがある〉
(感じ切ることをしない……)
ネガティブな気持ちもそうだが、ポジティブな気持ちも同様だと気がついた。
賞賛も受け取れない。受け取っていない。
ほめられることもまた、恥ずかしいので、(そんなことありません)と、そそくさと逃げてしまう。
全身で受け取っていない。味わいたいはずなのに、味わおうとせず逃げている。
「せっかくほめてもらっているのに、そんなボールが飛んできたら、(図に乗っちゃだめ)と、パーンと打ち返してしまう」と言われて、ほんとうにそのとおりだと思った。
思い返せば、成功体験のほうが多く、ほめられているのに、達成感が生まれない。
(どうして自己肯定感が低いのだろう?)
小さいころからの自分を振り返って、原因を探ろうと思っていたのだけど、〈感じ切っていない!〉ことにあったのだ。
「〈餓鬼道〉というのがあるらしいですよ」と言われ、それに陥っているかもしれないと思った。
ほめてもらっているのに、しっかりと受け取っていないから、おなかがいっぱいにならず、常に、そのことに飢えている。そのことばかり考えている。
(拒食症みたいだ)
その想いが、「勇気」のカードの、岩盤だ。だから、岩盤しか見えない。
「もはや〈咲いている〉んですよ」
そう言っていただき、はっとした。
「人は、自分以外のものにならない。生きているということは、ある意味、〈花が咲いている〉ということですよね」
(なんて、素敵なエールだろう)
「自分が思っている花じゃないから、視えていないだけで、本当は、咲いている」
(岩盤の障害を乗り越えて、これから這い出ていくチャレンジではなく、もう、咲いていることに気づく!)
(〈勇気の花〉が視える自分になる)
「この春のテーマは、おふろに浸かるみたいに、その瞬間に訪れたものに浸かる。新しい春の門出ですね。そうしたら、どうなるか。また報告してください」
(きゃーーー)
師は、私が、その人の持つ内在力や、自己治癒力、内にある大切なものとつながったときに湧き出す力に、全身が満たされて、活力を取り戻すことを〈じぶん温泉かけ流し〉などと謳っていることはご存知ない。
(新たなじぶん温泉)
師の提案は、これまで、自分が思っていた以外の、新しい泉質を教えてくれるものだった。
訪れる感情の中には、逃げてしまいたいものもある。
いや、逃げている。
これからも、逃げたい。
でも、〈浸かる〉という提案は、私にとって、
〈やってもいい〉〈やれるかも〉
という気持ちにさせるものだった。
〈じぶん温泉〉って、こういうことだったのか。
……と、安易に言葉を紡がず(やっていないのに、やった気持ちにさせて、体験を邪魔しようとするマインドの罠にかからず!)、まずは、その瞬間の自分に浸かってみる。
そうしたら、何が起こるのか。
想像を超えたリアル。
日々、〈じぶん温泉〉
毎瞬、〈じぶん温泉〉
体験すると、生きた言葉が、湧き出してくる。
***
一枚のカードで、カウンセリング&ヒーリング&コーチングをしていただいた。
この体験は、カードセッションに対する展望を塗り替えるものだった。
「ひめ神カード」
「50音カード」
「OSHO禅タロットカード」
今朝引いたカードたちの祝福。
一枚のカードから始まる魂の旅に伴走する。
そんなチャレンジをする。
浜田えみな