135.ソウルコーチへの道 ep.12 クライアントの道
ソウルコーチへの道 ep.12 クライアントの道
〈ソウルコーチへの道〉は、〈クライアントの道〉だと気がついた。
四十回以上、講座内や宿題のセッションで、クライアントと、コーチと、ウィットネスをして、ようやく、だ。
そう思って、あらためて「ソウルコーチの道」を読み返すと、まぎれもない「クライアントの道」だった(笑)
〈魂の望みを生きるために、グラウンディングで自己の本質とつながり、自分を守るために身につけてきた思考や、繰り返している行動のパターンを認め、その内側にあるものに、体感を通して繋がり、いっしょにいることで、統合する〉
〈そのスペースに、コーチがいてくれることを望み、ハートをひらく〉
〈そのことに、オープンでいる〉
自分とコーチへの、〈信頼の道〉だと感じた。
今、その道を、歩んでいる。
ふりかえれば、その準備が、ぜんぜんできていないままの、開講だった(滝汗)
セラピストやカウンセラーの名称は知っていたけれど、その扉をたたいたことはなかったし、コーチという職業は、そもそも私の生活に存在しなかった。
自分がクライアントになることも、コーチングを受けることもなかった。
冷静に考えれば、ワークがあるのは当然なのに、どうしてだろう? 想定していなかった。
だから、動揺した。
コーチとウィットネスの前で、クライアントとして話をするようにと、言われたときに。
(いったい何を?)
あたりさわりのないことを、題材に選んでいたような気がする。
〈人に話してもいいこと〉
〈すでに公開していること〉
2月の講座を受講して、ようやく、〈クライアント役〉ではなく、〈本気のクライアント〉なんだと、気がついた。
気がついても、心はついていかないので、ずいぶん長い間、セッションの前には必ず、
「クライアントがすごく嫌で、苦手なんです」
と前置きしていたし、深みに降りようとしつつも、降りていなかったし、自己開示も中途半端だった。
だから、コーチがいっしょにいてくれることの恩恵を、味わっていなかったと思う。
それが変わったのは、4月の講座後だ。
タイムリーなことに、スピプロ10期の仲間の、アカシックリーディング+αというセッションのモニターをした。
あまりにもヴィジョンが壮大で、
(わくわくしすぎて怖い)と感じ、
(コーチに一緒にいてほしい)と切望した。
ただ、いてくれるだけでいい。
見守っていてほしい。
励ましてほしい。
聞いてほしい。
一緒にいてほしい。
そう思った。
それまで、コーチがどのような人に必要とされるのかがわからず、誰に向けてモニター募集をすればいいのか、わからなかった私に訪れた転機。
その体験から、どんどん、変わっていった。
(「ソウルコーチへの道 ep.2 コーチに一緒にいてほしい」)
続く宿題セッションでは、コーチとして、グラウンディングの誘導をしていて、あまりに心地がよくて、そのまま、
(戻りたくない、ずっとこのままでいたい)
という至福の体験をした。
そのセッションで、クライアントさんの言葉を聴きながら、一瞬、自分がコーチなのかクライアントなのかわからなくなるほど、共鳴し、癒された。
(「ソウルコーチへの道 ep.6 調和と循環」)
その後、
〈傷をもったままで、仮面をつけたままで、影を抱えたままで〉、
〈傷を超えて、傷を通して、仮面を超えて、仮面を通して、影を超えて、影を通して〉、
〈本質の輝きは、にじみ出てくるし、本質の輝きと、繋がることができること〉、
それが、〈グラウンディングで可能になること〉を実感した。
〈グラウンディングと傾聴の共鳴が作る〈場〉で、自分も知らなかった自分の魂の声を聴く〉
それが、ソウルコーチングだと感じた。
〈魂の歌を、魂で聴く〉
アカペラで歌うのは、クライアントだ。
(「ソウルコーチへの道 ep4.アカペラで歌う」)
次のセッションでは、「魂の望みを生きる」ということが、日々の生活における毎瞬の選択すべてにおいて、可能だということを、気づかせていただいた。
自分のことを好きじゃなくても、怒りを抱えたままでも、誰かのことを嫌いでも、癒されない傷があっても、いろんなことに抵抗があっても、仮面をつけたままでも、何も解決していないと思っていても、いつでも、どこでも、どんなことでも、どんな自分でも、そのままの自分で魂とつながり、魂が望む選択を体感し、行動できることを、
身体の内側から湧き起こる、圧倒的な「YES!」と、
圧倒的な「NO!」
この二つを体感することで、コーチが気づかせてくれた。
(「ソウルコーチへの道 ep5 魂の声を訊く」)
次に、モニター募集にあたり、お客様をお迎えするためのイメージイラストに添える言葉が書けないと悩んでいたときは、〈ハートとつながって書く〉という、大事な基本を、コーチが思い出させてくれた。
亡くなった母が、その場に一緒にいるように感じたセッションもあった。
ただ、聴いてくださるコーチに話をしていると、
(ああ、こんなふうに、母にしてほしかったのだ)
とわかったし、母も、私にそうしてほしかったのだとわかった。
〈ただ、いっしょにいて、何も言わずに、うなずいてくれる〉
グラウンディングによって、つながりあう場に、母のエネルギーを感じていた。
母が生きているときにできなかったことが、叶っていた時間。
(「ソウルコーチへの道 ep.7 「種」「芽」「根」」)
セッションを重ねるうちに、
〈グラウンディングは、魂の望みを生きるために、肉体と、心と、魂が、コンタクトをとりあえるゾーン〉
だと、感じるようになった。
ハートのエネルギーを感じ、骨盤の中を感じ、ハートと骨盤のエネルギーが繋がると、上半身と下半身に、循環が始まる気がする。
丹田を意識して、中心が通ると、立っているだけで、(今)を感じる気がする。
かかとの前あたりを意識したとき、そこをめがけて、錘のように、すとんと落ちていく感覚。
丹田を感じることの体感。
一歩ずつ、体重を預けることの体感。
預けていい、という「信頼」
からだの片側に体重を預けることすらできなくて、だれかを、ましてや自分を信頼することなどできない。
〈今を生きる。ここに生きる〉
つながることができる今を、特別な何かではなく、立つことや、歩くことで、体感できる。
全身が右足を信頼して大地とつながり、左足を信頼して大地とつながる。
信頼すること。信頼されること。今につながること、軸が通ることを、からだが学習している。
肉体と心は、共にあるもの。
そして、心が老い、からだが病み、肉体という乗り物がこの世での役割を終えても、影響を受けない高次な存在がある
〈雲の上の晴れ間のように、何ものにも影響されず、大丈夫なもの〉
(「ソウルコーチへの道 ep.9 心すら乗り物」)
そして、いつのまにか、宿題セッションの場で、誰にも話していないことをコーチに話せるようになり、先日は、三連続で、セクシャリティの話を聴いていただいた。
(「ソウルコーチへの道 ep.10 愛と感謝と歓びの循環」)
今後、グラウンディングで深まる、安心・安全・信頼の場で、私は、コーチに、どんなことでも話すと思う。
それはつまり、どんな話でも聴く姿勢を、私自身が持つ、ということだ。
コーチとクライアントとウィットネス、三位一体の学びと成長。
綜海さんのカリキュラムのクオリティの高さに、感銘を受けている。
ようやく、入り口に立とうとしている。
浜田えみな
ソウルコーチ認定のためのモニターセッション、もうすぐ募集します。
これまでの「ソウルコーチへの道」