531.向後善之先生&田口ランディさんと一緒に学べる「ドラマdeオープンダイアローグ」in大阪(2024.10.12)
なぜだろう。向後善之先生の本を読むと、セラピーやカウンセリングの場で行われている特別な人たちのことではなく、家族や同僚、友人・知人、今日から関わるすべての人に対して、意識を向けていこうという気になる。
大学や大学院で、心理学を学んで論文を書いて、権威と資格を取得した人たちの、研究室やカウンセリングルームで行われているスキルではなく、コーチやセラピストがセッションで行うものではなく、日常で、誰もが、いつでもどこでも、知って、身につけて、使っていくことなんだ、という気持ちになる。
(本文より)
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「マンガでやさしくわかるオープンダイアローグ」をひらくと、最初のチャプターの文字がとびこんでくる。
〈「治る」とはどういうことなのか〉
この章には、統合失調症で、ニコニコと笑いながら、陽気に、彼の超誇大かつ幸せな妄想を話していた患者が、抗精神病薬で治療をした結果、統合失調症は治ったけれど、うつむいた姿勢でじっとして、力なく手を挙げるだけになり、やがてうつ病になっていき…… という経過からの、筆者の問いだ。
「患者にとっては、統合失調症のまま、超誇大かつ幸せな妄想の中で生きるほうが幸せだったかもしれない」と結ばれている。
この章を読んだとき、ぐさりと刺さるものがあった。
「認知症の父」のこと。「治療で入院し、せん妄を起こした母」のこと。
父は、認知症の進行と認知症薬の副作用で、周辺症状がひどくなり、現在、入院して、抗精神病薬を処方調整中だ。たちまち表情がなくなった。
母は、6年前、骨髄の病で入院してほどなく、ありえない世界を嬉しそうに語りはじめ、それは母にとっては、とても幸せなドリームの世界だったのに、当時「せん妄」という症状を知らなかった私は、そのようなことを言い出した母に驚いて、必死で全否定して、現状を何度も説明し、そのドリームを砕いた。そのときの母の、がっかりした顔を思い出す。
(あんなに嬉しそうだったのだから、ドリームの世界のままで、よかったのだ)
(認知症の進行を抑える薬の副作用で、抗精神病薬を投与するしかない状況になるって、それっていったいなんなんだ。そもそも、薬は必要だったのか?)
そんなことを思っている時だったから、筆者 向後善之先生の言葉は、どストライクだった。
(このようなことを、思ってくださる人に会いたい!)
(話を聴きたい!)
強く思った。
10月12日に、臨床心理士の向後善之先生と作家の田口ランディさんによる【ドラマdeオープンダイアローグ】が、大阪で開催される。
すでに、ランディさんの地元の湯河原では、何度も開催されているワークショップだ。
今年の4月28日に、大阪で、ランディさんの「クリエイティブ・ライティング講座」を主催してくださった中山久世さんが、4月14日に湯河原で開催されたオープンダイアローグのワークショップに参加され、その体験に感動され、「ぜひ、大阪でも開催したい!」と、熱い想いを抱いて、その場で、向後善之先生とランディさんに、大阪開催の承諾をとりつけてくださった。久世さんから、その話を聴いたとき、もちろん即決で「行きます!」と答えた。
このときの私は、「オープンダイアローグ」がどんなものなのか、全然知らなかった。向後善之先生の著書も読んでいなかった。
(ランディさんが大阪に来て開催してくださる! ぜったい行く!)という勢いだったから。
9月に参加申込のウェブページができたときに、あらためて概要を読んだものの、やはりイメージできなかった。ドラマセラピーみたいなものかな、と思った。苦手かも…… と思った。思ったけど、ランディさんに会えるだけで、ときめいた。何もわからなくても、当日、その場で楽しめばいい、と思った。
ところが、開催日が近づき、(著者じきじきに来てくださるのに!?)という気持ちになり、おそまきながら書籍を買って、読み始めたら、止まらなくなった。
マンガで読んだものを、文章で詳しく解説くださる形式なので、右脳と左脳の両方で受け取れるから理解が進むのだと思う。
読みやすいし、わかりやすいし、内容が、身近な人との関わりに、今すぐ実践したい気持ちになる。とても大切なことだと、みんなに言いたくて、うずうずする。
【対話】という言葉の意味について、初めて考えたかも! という気持ちになる。
「対話」と「会話」は違う、と書かれている。しかも、オープン!
「ひらかれた対話」とは。
お互い、相手のことは何も知らない同士。決めつけはなし。ジャッジもなし。あたたかな関心と好奇心を持って、言葉だけでなく、表情やしぐさ、声のトーンなどの非言語のメッセージにも心をすます。「対等」の立場だから、権威は発生しない。教えたり、従わせたりしない。互いに、自然にリスペクトしあう。質問には答えなくてもいい。答えさせようとしない。沈黙もあり。安心で、安全で、守られている。
コーチングを学んだときに実践したことも多く、答え合わせをしているようだった。
(わかっててもできない。でも、意識する。思い出す。どれか一つでも)
(誰かと向かい合ったとき。言葉をかわすとき。思い出す。話の途中からでもいい。どれか一つでも)
「リフレクティング」「ポリフォニー」という、初めての言葉もあった。マンガと解説で、とてもわかりやすく書かれていたので、なんとなくイメージができた。
「違う」ことこそが、尊重されることが、文章ではわかったけれど、人と違うことに対する不安や恐怖が、根強くあることも感じている。
(少しずつ。できることから)
なぜだろう。向後善之先生の本を読むと、セラピーやカウンセリングの場で行われている専門の人たちのことではなく、家族や同僚、友人・知人、今日から関わるすべての人に対して、意識を向けていこうという気になる。
大学や大学院で、心理学を学んで論文を書いて、権威と資格を取得した人たちの、研究室やカウンセリングルームで行われているスキルではなく、コーチやセラピストがセッションで行うものではなく、日常で、誰もが、いつでもどこでも、知って、身につけて、使っていくことなんだ、という気持ちになる。
まさしく、向後善之先生とランディさんが、取り組んでいらっしゃるのは、そのことだと感じる。
お二人が、大阪に来てくださるチャンス。
申込ページ
・主催してくださる中山久世さんが、noteに、ランディさんの言葉を掲載してくださっています。
ランディさんのクリエイティブ・ライティング リアル講座(大阪)