463.てんけん隊 番外編 白澤裕子ちゃんの【イメージを形にするWS ~わたしの絵を描く会】
旅する絵描き 木の葉堂 白澤裕子ちゃんの「【イメージを形にするWS ~わたしの絵を描く会】に参加した。
きっかけは、オジャさんのノベルセラピーWSに参加して、30年近く超えられなかった「物語を書く」という壁を超えて、小さな物語を手にしたこと。
ノベルセラピー協会では、WSで作った物語を格安で電子書籍化してくれるサポートがあり、そのためには「表紙」が必要。
既存の写真やイラストが使えるのだけど、
〈自分で描きたい〉
と強く思った。
ノベルセラピーで創る1500~2000字ほどの小さな物語は、頭の中では、途切れることのないムービーが回っていて、それを文字に起こしている。
だから、「どこを絵にするの?」というステップがある。
「印象的な場面」、「推しの場面」を描きたいけれど、ムービーは描写の技量を超えている。
「どうやって表現するの?」
「どんな画材で描けばいいの?」
次にやってくるのは、そのステップだ。
頭の中で、絶えまなく、自由自在に、動き、鼓動し、12色や24色では、表しようのない色で存在している、立体的な場面を、紙の上で、手持ちの画材で、自分の技術で、どう再現できるのか。
そんなことを思っていたら、フェイスブックで、裕子ちゃんの2024年のカレンダーの画像が飛び込んでくる。
(私が表紙にしたいと思い描いていた「とんがり帽子をさかさにしたようなシルエットの山」のイメージと、色も、雰囲気も、ほぼ同じ!)
びっくり!
裕子ちゃんの絵は、山ではなく、クジラが海から飛び出したところだったのだけど、私の物語も、クジラがたくさん登場する。
裕子ちゃんとは、宇宙から送られてくる信号をキャッチする周波数が、近いのかもしれない、と感じる。
だから、シンクロしあえる。
裕子ちゃんとは、これまでにも、私がイメージしているものが、裕子ちゃんの日常に、リアルに届いていることがあって、驚かされる。
だから、逢えたし、軌道が交差するように、つながりあうタイミングがあるのだと思う。
2015年から始まった、「てんけん隊」
今回も、連絡したのは、次のてんけん隊の行先や日時を相談するためだったけど、「物語の絵を描きたいけど描けない」と、つぶやいたら、
「よかったら、いっしょに描く?」
と言ってくれて、WSに発展した。
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私は、文章を読んだり描いたりすることも、絵を観たり描いたりすることも、子どものころから大好きで、だからこそ……の壁がある。
うまくなきゃダメとか、基本を学んでないとダメとか、評価されないとダメとか、好きで楽しいだけじゃダメだとかいう、いろんなジャッジ。
それが、「ノベルセラピーWS」に参加して、物語を作ることの壁がとれたら、絵に対する壁もとれてきた。
でなければ、いくら、裕子ちゃんが誘ってくれても、お絵描きWSには、参加できなかったと思う。
そして、実際にWSに参加して、さらにすごいミラクルを体験する。
裕子ちゃんのWSのタイトルは、
【イメージを形にするWS ~わたしの絵を描く会】
(「わたしの絵」を描くって?)
(「わたしが描く」ことの意味って?)
それが、わかった。
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WSの場所は、京都駅近くのレンタルルーム。
エレベーターがなく、6階まで「階段」というヘビーさだったけれど、もとはワンルームマンションなので、基本的なものは全部そろっていて、飲食OK。
ホワイトボードもあり、机も大きくて、お絵描き作業にはぴったり。
画用紙や画材をぜんぶ並べても、みんなでゆったりお絵描きできる。
しかも、明るい。風通しもよくて、空が近くて、なんだか、とっても心地よかった。
参加したメンバーそれぞれが持っている波長が、ほかの人をじゃましない、お互いを傷つけあわない、ぶつかりあわないものだったからかもしれない。
裕子ちゃんから、事前に、
「当日のサポートをしてくれる、心ときめくパートナーを持ってきてほしいです。一個でも、何個でも」
とお知らせがあり、みんなそれぞれ、パートナーを持ってきていた。
参加するのは、全員、裕子ちゃんつながりだと聞いていたけれど、部屋に入って驚いたのは、生年月日が同じで、裕子ちゃんと私が知り合うきっかけとなった、ともちゃんがいたこと!
ともちゃんとの出逢いは、2010年に開催された、山下弘司先生と、ひすいこたろうさんの共著『名前セラピー』出版記念講演会で、席が隣だったこと。
まさか、ともちゃんと会えると思っていなかったので、うれしかったー。
もうひとりの参加者、みかさんも、とってもすてきな人で、初めてあったとは思えないほど。
最初に、ホワイトボードを使って、裕子ちゃんのレクチャー。
大切なことを、たくさん伝えてくれる。
私が、物語の絵を描きたいとリクエストしたので、絵本もたくさん持ってきてくれていた。
(ルールなんて、なんにもない)
そのことが、わかる。
ものすごく描き込んでいるものもあるし、らくがきみたいなものもある。
下書きのエンピツが残っているものも、挿絵なのに、手描きの文字で補記されているものも。
画風も画材もかたちも、さまざま。
どれひとつ、同じテイストのものはない。
(ルールなんて、なんにもない)
***
いつまでも、話がつきないランチのあと、いよいよ、お絵描きタイムへ。
自分でやっても、なかなかうまくいかない、水彩画の「たらしこみ」?という技法を、教えてもらう。
ともちゃんが、クレパスと水彩を、上手にくみあわせているのを見て、さっそくマネする。
みかちゃんは、コラージュに開眼。
(たのしい)(わくわく)の連鎖が相乗していく。
自分が、「どういうことが好きなのか」が、わかる。
描いた上から、細筆に白い絵の具をそのままのせて、線を描いたときのトキメキ。
(やっぱり、重ねるのが好き!)
せっかくの、水彩のぼかしを、上から塗り重ねて、消してしまいそうな衝動を、抑えて。
WSの雰囲気がとてもよく、せっかくの機会なので、この場で描きたいと思い、物語の絵を2場面、描く。
ミラクルを体験する。
「わたしが描く絵」のすごさ。
「絵が持つチカラ」
技術的なことや、上手いか下手かじゃなく、ほんの一場面、ほんの一部分、描いたところから、脳は、果てしなくイメージを補完できること。
たとえば、私が描いた、とんがり帽子をさかさにしたシルエットの山は、私以外の人には、なんの変化も起きないと思うけれど、私は、その絵を観ているだけで、360°全方位の場面が見えるし、時間も動く。
(24時間。365日。その山と空と大地と風と、山を巡る人たちの声が聴こえてくる)
~ハルのラボは、とんがり帽子を伏せたようなシルエットの山の頂上にある。
頂上には、こんこんと湧きだす小さな丸い泉があり、朝日も、夕日も、月の光も、その泉に映る。
泉のまわりは、草原が揺れていて、蝶や虫、小さな鳥が飛び交う~(物語より)
白のクレパスを包んで流れる黄色~緑のグラデーションと青いぼかしは、どんなふうに見えるだろう。
私以外の人には、なんの変化も起きないと思うけれど、私には、そのうねりが起こす風が届く。
描いたのは、黄色~黄緑~緑で、ほんの一部分。
(だけど、その風は、虹になり、七色のグラデーションは、帯のように連なり、うずまき、舞い上がり、音楽を奏ではじめる)
~葉っぱは若い緑で、卵のように丸くふくらんだ形をしていて、たくさん茂り、風にさわさわときらめいている様子は、たくさんの小さな魚が、群れをなして泳いでいるようでした~(物語より)
物語の最後、樹には花が咲く。
物語を書いているとき、私は、その花の色を決めることができなかった。
でも、その答を、絵が見せてくれた。
絵から音楽が聴こえてくる。
(「わたしが描く」ことの意味)
それは、人によって、ちがう。
求めるものが、やってくる。
(イメージの世界と、現実の世界の橋渡し)
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大満足のWSのあと、カフェタイム。
番号札がお花で、すてきすぎる。
寒い日だったのに、夢中で描いて、しゃべって、熱くて、ゆずソーダにアイスをトッピングした。
夏でも、そんなことしないのに。
(すてきな時間)
(すてきなひとたち)
みんなと別れて、帰宅してからも、生まれた絵は、ひかりを放ち、鼓動を続けている。
それは、架け橋。
「わたしが描く絵」のすごさ。
「わたしの絵」が持つチカラ。
物語から絵が生まれ、絵から物語が生まれる。
ミラクルを連れてくる。
ぜひ、体験してほしい。
浜田えみなのノベルセラピーWSと、白澤裕子ちゃんのお絵描きWS。
コラボするよ!
浜田えみな
前回のてんけん隊
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