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276.イメージの世界 ~顔でリトリート体験~

イメージの世界とは、なんと壮大で、豊かなものなのだろう。

そう感じたとき、この体験を「知っている」と、感じた。

(本文より)

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6月から、新しいクラスに参加している。
それがどういうものなのか、まだよくわかっていない。
もちろん、クラスには名前があるし、ウェブページに説明が書かれているし、継承されてきた伝統ある叡智であり、歴史があり、書籍も出ている。

その世界を高峰(霊峰)にたとえるとしたら、視える人には気高く美しくそびえたっているけれど、視えない人には、まったく視界に入らない。

高い山は、富士山しか登ったことがないけれど、登山ルートはいくつかあり、特徴がある。
そのことにあてはめると、自分が今、どの登山口に立っているのか、それはどういうルートなのか、どのように頂きを目指すのか、どんな景色が見えるのか、というようなことが、ぜんぜん、わからない。
だけど、導かれるようにして、その入口にきて、入山した。

不思議な体験をしたので記したい。

イメージの中で、〈三面鏡に映った自分を見る〉というワークをした。

正面の鏡は私の顔をまっすぐに映し、左右の鏡は、横から見た私の顔を写している。

見ていると、顔だけが大きく、ズームアップされていく。
頬には、シミやソバカスが、浮かんでいる。

自分ではよく知っている、その位置や形がクリアになる。
右側の頬にも。左側の頬にも。

正面の鏡を見ると、顔全体のくすみが感じられ、軽いショックを受けながら、目を離せず、まじまじと見ている状況で、終了。

そのことをシェアすると、先生が、その先を続けてくださった。

ふたたび、目をとじて、先生の言葉のままに、三つの鏡のうち、一つを選び、右手の人差し指を伸ばして、特徴的な形をしている大きなシミに、タッチする。

…………

すると、不思議なことが起こった。

タッチしたとたん、シミが、シマになった。
もともと、南アメリカ大陸の形にそっくりだと感じていたので、そうなったのかもしれないけれど、みるみる、緑がこんもりした小島になり、まわりが海になった。

(青い海原に白い波頭が広がる平らかな世界を、俯瞰していて、風に吹かれている)

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その心地よさ。

その世界から戻り、「自分のシミにふれる」という体験を、再度イメージしたとき、もう、シミはシマにならず、まわりが海にもならず、私の頬にあるままだった。
けれど、とても、平安で、浄化された心地がした。

シミが、「じゃまなもの」、「ないもの」、ではなく、「一体化」されている。
その存在が、「ショックなもの」ではなく、「自然」で、「統一化」されている。
それを「受容」している。

そのような体験をした。

シミにふれた指先が、アンカーになって、グラウンディングに導かれるようだった。

***

そのあとも、クラスは続いて、60分で終了した。

〈シミが海に浮かぶシマになる〉

という体験が素敵すぎて、さっそく、洗面台の鏡の前に立ってみた。
リアルに、自分の頬のシミにふれてみる。
シミは両頬にあるので、左右のひとさし指で、タッチ……。

すると、イメージの中で、みるみる、こんもりした緑の島になっていった感覚や、青い海と白い波頭、吹いている風が再現されてきた。

しかも、鼻すじに浮かんでいる、いくつものソバカスを見ていると、それが「星」になり、今度は、顔全体が「銀河」になり、遊泳している感覚が生れてきた。

(シミで南の島へ!)
(ソバカスで銀河へ!)

思わず、にんまり笑ってしまう。
顔の造作は変わらないけれど、トーンが明るくなった。

(顔でリトリート体験!)
(美白!)

イメージの世界とは、なんと壮大で、豊かなものなのだろう。

そう感じたとき、この体験を「知っている」と、感じた。

きっかけは、絵本や、童話。物語だ。
本の扉をひらくことで入っていけたイメージの世界。

いつのまにか、自分の中にも扉を持つようになり、その世界の体験が、小学生のときに夢中になった、「小さなお話を作る」ことだったのかもしれないと、思い当たった。

「物語」は、私にとって、イメージの世界への「扉」
ずっと、イメージの世界の近くにいる。

それを表現したい、物語を紡ぎたいと願うことは、呼吸をするように自然なこと。

浜田えみな


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