520.てんけん隊 ~MAIKO茶ブティック・アルプラザ京田辺・パワーカード~(2024.7.29)
セッションというのは、エネルギー交歓の場だと、あらためて体感する。
言語化できないものを、裕子ちゃんは受け取って、手描き水彩のグラデーションや、光の中に、ちゃんと封入してくれる。
私は「コトバ」を紡いだり、編んだり、奏でたりしているけれど、伝えたいのは「コトバ」や「文章」じゃなくて、書いていない「余白」や「行間」だということを、
〈わかってくれている!〉
と、作品から感じられるから、裕子ちゃんが好きだし、リスペクトしているし、会いたくなるし、てんけんしたくなるのだと、【裕子ちゃんのど真ん中の背景画像】を見て、胸がキュンキュン。
***
物語が始まる予感でウズウズ。
(〈自分で描く〉って、こういうことなんだ)
上手とか下手とかじゃなく、
ログインコードみたいなもの。
(本文より)
◆久々のてんけん隊
◆いまさらですが、年齢差
◆ミニパフェ(抹茶)の粋
◆zoom背景
◆パワーカードで絵を描く
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◆久々のてんけん隊
裕子ちゃんとのてんけん隊は、創造性の子どもと遊ぶアーティストデート。
滋賀に住んでいる裕子ちゃんとは、距離的には離れているし、前回のてんけん隊は、去年の8月26日だし、お絵描きのワークショップも、去年の12月16日だったし、しょっちゅうお互いを気にしているわけではないのだけど、ふと私がイメージしたものが、裕子ちゃんの日常にリアルに出現していたり、同じ先生のワークショップを時間差で受けていたり、共通の友人知人がつながりあっていたりなど、話をしていると、シンクロしていることが多くて、やはり何かしら、ご縁があるのだと感じている。
また、とてもナチュラルに、それぞれが必要としているものを、言葉や色やチャレンジや存在や振動で交歓している実感がある。
なにより、私は、裕子ちゃんの描く色とイマジネーションの世界観がとても好きなので、出逢えたことに感動しているし、そんな素敵な人とお話したり、デートできる関係になった自分を、ほめほめにほめている。
せめて2ヵ月に一度くらい、てんけん隊活動をしたいのだけど、今回も、気がつけば1年近く経っていて、びっくり。
しかも、父の介護で、デイサービスやらショートステイやら在宅介護やら、予定がぐるぐる変わって、落ち着かない状況だったので、いつものてんけん隊のように、おでかけプランが立てられない。裕子ちゃんが、私の家の近くまで行くと言ってくれたので、電車の乗り換えポイントの京田辺市で会うことに。
京田辺市に住んでいるお友達に、幾つかお店を教えてもらってわかったのは、京田辺市は【日本有数の玉露の産地】であり、お茶の品質日本一を決める全国茶品評会で、幾度も農林水産大臣賞を受賞するなど、最高級の玉露がいただける地だということ。
駅から数分のところに、古くから玉露づくりが盛んな京田辺市普賢寺地区にある茶舗直営のカフェがあり、抹茶、ほうじ茶、玉露を使ったスイーツや、蕎麦や雑炊など、ほかでは味わえないメニューが満載で、心惹かれる。
私が大事にしていることは、その土地を訪れたら、ご挨拶をして水にふれ、その土地の食べ物を食べること。
お茶は、大地と光、雨、風とつながり、人の手によって摘まれ、蒸され、揉まれ、その凝縮された成分を、湯によって滲出させて、味わうものだから、まさに、その土地と住まう人々からの贈り物だ。
◆いまさらですが、年齢差
10時35分の電車で、裕子ちゃんが到着。
ワクワクしながらカフェに向かうと、店舗はオープンしていたけれど、物販のみで、カフェの営業は11時からと言われてしまい、がっくり。
小さなお店なので、そこで立ったまま20分間待つというのも気がひけて、駅直結の総合大型スーパーに入り、時間になるまで、適当な椅子に座って、まったり。
裕子ちゃんとおしゃべりできれば、場所はどこだってよく、森の中でも、カフェでも、商業施設のフロアでも、いつまでだって話していられる。
裕子ちゃんと初めて話したのは10数年前で、そのときはあまり意識していなかったのだけど、このときに再認識した衝撃の事実は、裕子ちゃんと私の年齢差。
裕子ちゃんのお母さんが、裕子ちゃんのひいばあちゃんの介護をしている(もしくは、していた)という話を聞いて、
(ん?)
となった。
ひいばあちゃんの介護をするということは、その次に、ばあちゃんの介護も控えているわけで、
(え、裕子ちゃんのお母さんって、何歳なの?)
と思い、尋ねてみると、裕子ちゃんのお母さんと私は、そんなに歳が違わない!
(え、じゃあ、裕子ちゃんって、何歳なの?)
と思って、いまさらながら、尋ねてみると、
(えーーーーっ! もうそんな年齢?)
と驚いたのだけど、よくよく考えたら、私は、もっと年を取っていて(汗)、冷静に計算すると、裕子ちゃんと私は、親子でもおかしくない年齢差だったので、衝撃を受けた。
これまで、あまり意識したことがなかったことが不思議。
魂年齢は、人間の年齢とは違うのだろう。
娘のNもそうだけど、私のまわりにいる年少のかわいい人たちは、みんな私の母親か姉か先輩のように感じる。いっしょにいて、ダメむきだしの、スイッチオフの私でいられることは、とてもありがたい。
そして、もはや、誰といっしょにいても、そういう私でいる方向に、シフトしつつあるような気がする。
そんなことを思いながら、時間になったので、フロアの椅子から立ち上がり、炎天下の道路に出て、カフェに到着したのだけど、思ったより距離が近くて、まだ11時前(!)
しかたがないので、店内の物販コーナーに並んだお茶やスイーツのギフトやパッケージを眺めて、オープンを待つ。
◆ミニパフェ(抹茶)の粋
最近、スピプロ10期の仲間と、お茶の産地の和束を訪れ、新茶や京番茶を買って飲んだり、同じくスピプロ10期の仲間と、ムレスナカフェの「ティーフリー」という、2時間制限で、いろんな紅茶を飲ませてもらって、フレーバーティーの魅力にはまったり、スパイスチャイに目覚めたりして、「お茶」を楽しんでいるので、「玉露」をいただくのが待ち遠しくてしかたがない。
ようやくオープンし、一番のりでカフェコーナーに。
最初に出してくれるお茶が、ものすごくおいしい。旨味や甘味が口の中でふくよかにひろがり、液体が喉から落ちた後も、口の中に、いつまでも味わいが残っている。
「お茶って、出汁みたいだね」と、裕子ちゃんと目をまるくする。
水だし玉露だったのかも。とんでもなく美味。
魅力的なメニューを、すみずみまで眺め、私は玉露そば、裕子ちゃんは玉露たまご雑炊を選び、2人とも、ミニパフェがついているデザートセットをオーダーする。
(抹茶じゃなくて、玉露! ここでしか食べられない贅沢!)
「玉露そばは、温かいのか冷たいのか、どちらにしますか?」と聞かれたので、「冷たいのを」と答える。
脳内イメージは、そばつゆにつけて食べるスタイルだ。
ところが、やってきたのは、冷たいだし汁に浸かった玉露蕎麦!
しかも、氷が浮いていて、だし汁が、キンキンに冷えている!
玉露蕎麦は、京田辺市の飯森地区というところで手摘みされた玉露を、ふんだんに練り込んだものとのことで、美味。
裕子ちゃんの玉露たまご雑炊も、なんともいえない優しい味。
食後のミニパフェが、すごすぎて感動。
抹茶アイス・抹茶ゼリー・白玉・あずき餡・フルーツ・大豆グラノラ・ホイップクリーム・クラッカー
ミニなのに、ぎっしり。山盛りだから、スプーンをさしこむだけで、小豆がころがりおちる。
しかも、一つ一つのクオリティが高いから、一口で満足できる。それが、何種類もつまっている。
(何が出てくるかわからない、宝箱のよう)
スプーンをさしこんで、口に入れるのが楽しみ。
小さくカットしたりんごが、シャキシャキしておいしかったり、グラノーラのカリっとした食感が絶妙だったり、抹茶アイスが優しく溶けていくのも、抹茶ゼリーのふるふるした弾力も、ほんのひとかけらでも存在感があっておいしくて、餡も、あずき一粒一粒の素材がすばらしくて、とにかく、大満足。
このカフェで、会ってない間の半年間のことなど、あれこれ話しながら、気づけば3時間超え。
まわりのテーブルも、どんどん入れ替わり、さすがに、追加で何かを頼んだとしても、あと2時間は居辛くて、場所を変えることに。
◆zoom背景
そもそも、今回会うきっかけになったのは、裕子ちゃんが「オリジナルzoom背景製作セッション」というお仕事に乗り出すにあたって、以前のてんけん隊で、私が描いてもらった翼の画像をイメージフォトに使っていいかというメッセージをもらったことだった。
私が思うzoomの背景画像は、全身が見えないzoomでのセッションや、ワークショップの参加にあたって、自分がどんな人か、どんなものが好きか、このセッションの場をどんなふうにしたいか、などを伝えるのに、とっても大切だと感じている。
観ている人の印象にも残るし、自分自身の視野にも入る。
ギャラリービューのたくさんの人の中で、その人の顔は小さくて見えなくても、印象的な背景画像は、記憶に残る。
2人きりのセッションの場合は、色や線、描かれているアイテムに、ヒーリング効果があったり、エールをもらえる画像だと、相手はもちろん、自分にもすごくよいと感じているので、セッションの内容や時間帯に合わせて、背景画像を替えたりする。
(※以前、裕子ちゃんに描いてもらった「翼」の画像は、翼を描いてもらったはずが、出羽三山の山々となり、鳥が落とした種は、その後、ガラスのピアスになって手元にやってきたり、娘のNがノベルセラピーで創った物語に登場したりして、現実の世界に出現し、今はその役目を終えているので、zoomの背景には使っていない)
また、背景画像は、服装との相性もあるので、できれば、ふだんよく着る服の色などが画像に使われていると、調和しやすく、ありがたい。
すべてにオールマイティなzoomの背景画像は、そんなに多くないので、けっきょく、いつも同じものを使っているのだけど、たまには変えてみたい。
裕子ちゃんのコンセプトを読ませてもらったら、とってもワクワクした。
たとえば、インスタグラムの告知文のこんな言葉。
― たかが背景ではもったいない、あなたの世界観ぶちまけろー ―
― 未来をビジュアル化するようなzoom背景 ―
― 画像を使うたびに必要なエネルギーが受け取れるような設定 ―
― Zoomを使うたびに自分の向かう方向、自分軸にチューニングできる ―
(裕子ちゃんとおしゃべりしながら、潜在意識の中にある大切なものを取り出してもらい、すてきな絵にしてもらえて、しかも、そこから力をもらえるなんて!)
(〈自分軸にチューニング〉というのが、すごくいい!)
(「ビジョンマップ的背景画像」なんだ!)
(出世魚みたいに、背景画像を替えながら、ビジョンを叶えていくんだ!)
ぜひとも、お願いしたかったけど、告知文を読むと、「お仕事のためのzoom背景」と書かれていて、zoomで仕事をしていない私は、対象ではないとわかって、しょんぼり。
いつか、お金の循環を伴うセッションで、自分の向かう方向、自分軸が決まったら、お願いしたい。
ちなみに、裕子ちゃんの世界観がぶちまけられた背景画像をみせてもらう。
言語化できず、見とれるばかり(FB、インスタに投稿されていたので、お借りしてきた)
セッションというのは、エネルギー交歓の場だと、あらためて体感する。
言語化できないものを、裕子ちゃんは受け取って、手描き水彩のグラデーションや、光の中に、ちゃんと封入してくれる。
私は「コトバ」を紡いだり、編んだり、奏でたりしているけれど、伝えたいのは「コトバ」や「文章」じゃなくて、書いていない「余白」や「行間」だということを、
〈わかってくれている!〉
と、作品から感じられるから、裕子ちゃんが好きだし、リスペクトしているし、会いたくなるし、てんけんしたくなるのだと、【裕子ちゃんのど真ん中の背景画像】を見て、胸がキュンキュン。
こういう画像と、毎日、一緒にいたいよね。
◆パワーカードで絵を描く
てんけん隊にふさわしく、裕子ちゃんが、おえかきセットを持ってきてくれたので、広げてもよさそうな場所を求めて、さきほどの総合スーパーのフードコートへ。
1階の奥にあるそのエリアは、窓からの光がいっぱいに入って明るく、「本物」なのか、「それ風」なのかは不明だけど、マリメッコみたいなお花の図柄のファブリックボードがディスプレイしてあって、とってもかわいくて、テンションがあがる。
フードコートをチェックして、けっきょくベーカリーでコーヒーとパンを買って、ようやく、アーティストデートな、わたしたち。
裕子ちゃんが取りだしたのは、「パワーカード」という、スクエア型のかわいいカード。
アファメーションの言葉が書かれているそうだ。
ゴールデンゲートが開いたことだし、メッセージをもらう。
裕子ちゃんがひいたのは、
「わたしは素直に流れに身をまかせる」という、アファメーション。
おふろに浮かべて遊ぶ船みたいなイラストがついている、かわいいカードだ。
裏には、そのアファメーションのヒントになるような言葉が書かれている。
「わたしは新しいことや変化にオープンだ どの瞬間にももっと自分らしくなれる 絶好のチャンスがある わたしはスイスイと人生の流れに乗る」
(すごい)
裕子ちゃんから聞いた、ここ数か月の状況と、その流れに飛び込もうとしている今に、ぴったりすぎて、驚く。
(こんなカードが出たら、嬉しいだろうなあ~)
アファメーションのタイムリーさにドキドキしながら、私も、カードを引かせてもらう。
(まさかの収入!)
カードには、リアルに、何枚もの貯金通帳のイラストが描かれている。
アファメーションは、
「わたしは新しい収入の道をオープンな気持ちで受け入れます」
裏を返すと
「わたしはこれから 期待していたところや、思いがけないところからやってくるよいものを受け取る。私は無数の収入源から無制限に受け取る。わたしはこのうえなく恵まれ祝福されている」
(今年いっぱいは、セッションをやるつもりは全くなかったけれど、やるといいということ!?)
(それは、ちょっと違うのだけどな……。でも、ホントはやりたいのかな)
などと思っていたら、裕子ちゃんが
「お金とは限らないから。人脈とか、体験とか、プレゼントとか、うれしいこととか、わくわくすることとか、なんでも」
みたいなことを言ってくれたので、なるほどと思う。
ビッグなプレゼントが舞い込んだときに、謙遜したり、遠慮したり、とまどったりしないように、どばーんと受け取る準備をしておくということ。
(それはすごい)
裕子ちゃんが、色えんぴつと紙を持ってきてくれたので、感じるままに、色えんぴつを走らせる。
最初に塗ったのは、何色だっただろう。重ねているうちに楽しくなる。
何を描くということもなく、繋げていくと、しだいに弧を描きはじめる。
(どこまで行っちゃうの?)
と思ったら、それは、海に起こった竜巻のような、海から飛翔するエネルギーのような、飛んでいくのは、遠くの海に浮かぶ小島。
(そこにあるのは……)
などなど、描きはじめると、どんどんムービーが流れて、妄想はとまらない。
描けるかどうかは別として、脳内では、神話のアフロディーテが生まれたという、海のあぶくが、湧き立っている。
(楽しいーーーーーっ)
せっかくノってきたのに、もう撤収の時間で(裕子ちゃんは、15時5分の電車で帰るため)、名残惜しく片づける。
(家で続きを描こう)
裕子ちゃんを駅の改札でお見送りして、あれこれ妄想しながら帰宅したのだけど、実際は、10日経った今も、手を加えていないまま、ピアノの蓋の上に置かれている。
だけど、その絵を観ると、みるみる海から何かが生まれて竜巻を起こし、弧を描いて、遠くの島に到達するバイヴレーションが、身体に宿る。
映像が、起ち昇ってくる。
(竜巻で運ばれていくのは何? 誰?)
(遠くの島って、どんな島?)
(そこで何をするの?)
物語が始まる予感でウズウズ。
(〈自分で描く〉って、こういうことなんだ)
上手とか下手とかじゃなく、
ログインコードみたいなもの。
(その世界への扉が開く)
(答は、すべて自分の中にある)
「ノベルセラピー」のワークショップも同様だ。
ノベルの世界で遊ぶのは楽しいけれど、現実の世界に戻ってきて、行動する力を身体に宿すためには、物語を「文字化」しなければならない。
このことがわかって、自分が小さいころからやってきたこと、往き来していた世界の謎が解けた。
それから、最近、「文字化」をするエネルギーが全くでないことの謎も。
わたしは今、おそらく何も行動したくないのだ。現実を動かしたくない。
できるだけ先延ばしにしたい。
そのくらい、ノベルセラピーで創った物語を、「文字化」することによって訪れるミラクルはパワフルだ。
今は、エネルギー切れだけど、しっかり充電したら、始める。
ノベルセラピーワークショップ、ほんとうにすごいので、必ずやります。
裕子ちゃんとのコラボで、物語の絵を描くワークショップとともに。
浜田えみな
わたしの絵を描くワークショップ
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