33.それは誰の哀しみ
今、感じている気持ちは、どこで受容しているのだろう?
「心」という場所があるのなら……
まるで標本室のように、「心」だけが集まった国があり、
目で見ることのできる道はなくても、
そこは誰でも行き来が自在で、
わたしたちは、ふと、
別の誰かの「心」の淵に、たたずんでいるのかもしれない。
引き寄せられるようにからだを沈め、
ぽっかりと目をあけて、水の中からゆらぐ月の輪郭をなぞるように。
今、こんなにもひたっているのは、
別の誰かの……「心」の場所。
その中にいて、しんしんと感じているのではないだろうか。
愛されたいとか。欲しいとか。淋しさだとか。ずるいとか。
でなければ、どうして……
満たされても、満たされても、消えないのだろう?
からだが、なぜ こんなカタチなのか、誰にも説明ができないように、
イレモノとしてのからだを、自分のものだとは、とうてい思えないように、
「心」の場所も。
旅する自分も。
そうとは気づかずに迷子になっていて、
見つけた扉に、
ちがう鍵ばかりをさしこみ続けている。
今ある哀しみが、誰のものなのか、
わかったら、さあ、抱きしめに行こう。
Fin.
浜田えみな(初出 2012.9.18)
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