501.【魂活】「第3回 野性の女の伴侶-生・死・再生の関係を生きる(『狼と駈ける女たち』第5章)」レポート
「傷ついた男性性」という言葉が浮かび上がってきた。
少し間をおいて、〈女性性は傷つかない〉という確信も。
次のルーティーンでは、それは「自分の内面」だという気持ちでいっぱいになる。
(私の中で、へなちょこな部分、弱い部分、ダメな部分は、男性性の分野であること)
(進もうとして躊躇したり、ダメだ、無理だと思ってあきらめたり、人と比べて悶々したり、それらは、私の中の男性性だということ)
(女性性は、不動。でかい。平らか。動かない。在る。待つ。受け入れる。圧倒的な力)
漁師と骸骨女の物語は、今の私に、自分の中の男性性と女性性の薬として、浸透している。
(本文より)
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NPO法人 Umiの家 齋藤麻紀子さん主催 越地清美さんの「野性の女を呼びさますお話し会」連続講座 オンライン 第3回目は、クラリッサ・ビンコラ・エステス氏の『狼と駈ける女たち~「野性の女」元型の神話と物語』第5章。
取り扱われているのは、『骸骨女』という、古いイヌイトの物語だ。
【『骸骨女』概要】
「父親が認めないことをしたので、崖から海に投げこまれ、魚に食べられた女性の骸骨が、何千年も経て、遠くから流れ着いた漁師の釣り針に引っかかる。
驚いた骸骨女は、逃れようとして必死でもがくけれど、もがけばもがくほど釣り糸はからまる。
船上では大物を釣り上げたと喜ぶ漁師が、網をからげ、上へ上へと引き上げる。ついに骸骨女は、海面に全身を表す。
カヤックの先から長い前歯でぶらさがっている骸骨女の恐ろしい姿を見た漁師は、「ぎゃっ!」と叫んで、オールで彼女を舳先から叩き落し、海岸めがけて鬼のように漕ぎ始める。
ところが、彼女は釣り糸に絡まっているので、つま先立ちで追いかけてくる。いくら逃げても、カヤックをどの方向に曲げても、すぐうしろについて、突き出した両腕をふりまわしている。
「ぎゃあああああ!」とわめきながら、漁師は砂州に乗り上げると、カヤックを降り、釣り竿をつかんで走る。骸骨女は釣り糸に引っかかっているので、彼のすぐうしろを、がたぴょんがたぴょんついてくる。ひきずられながら、どこまでもついてくる。
(かなり怖い!)
凍てついたツンドラをひきずられながら、骸骨女は、干してあるオットセイの肉を食べ、少しずつ生き返りはじめる。
後ろも見ずに走っている漁師は、ようやく家に帰りつき、四つん這いになって、中へともぐっていき、はあはあと喘ぎ、すすり泣きながら、暗がりに横になり、ドラムのように波打つ心臓が鎮まるのを待ち、助かった、もう大丈夫、ありがたや、やっと助かったと、鯨油ランプを灯すと……
片方の踵を肩にのせ、片方の膝を肋骨にめりこませ、肩も宇の足を肘にのせて、骸骨女がそこにいた。
(怖すぎる!)
ところが、なんと、漁師の心にやさしい感情が湧き、母親が子どもに話しかけるようにして、言葉をかけながら、骸骨女を釣り糸から外しはじめる。
はじめに足の指を。つぎにくるぶしを。「おお、よし、よし、よし」と語りかけながら、えんえんと続け、最後に、暖かくするために毛皮を着せてやる。
いっぽう骸骨女は、漁師が、かつての父親のように、自分を岩場めがけて投げつけ、骨を砕いてしまわないかと、怖さのあまり口もきけずにいる。
やがて、男は眠くなり、敷皮と駆皮の間にもぐりこんで夢を見始める。いつしか、その目から涙がにじみ出る……
その涙を見た骸骨女は、とても喉が渇き、眠っている漁師の涙に口をつける。すると、たった一粒の涙が河のようになり、飲みに飲むと、ついに長年の渇きがゆるむ。
そして、骸骨女は、眠っている漁師の心臓、大きなドラムを取り出し、両面を叩き始め、歌い出す。「肉! 肉! 肉! 肉! 肉! 肉!」
歌えば歌うほど、骸骨女の身体には肉がつき、さらに女性に必要なものすべてを求めて歌い、すっかり歌い終わると、眠っている男の服を脱がせ、肌と肌をあわせて寝たあと、大きなドラム・心臓を漁師の身体に戻し、包み合い、絡まり合って眠り、2人は目を覚ます……。
と言う物語。
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オンライン講座が始まり、こっしぃさんが読み始めたとき、冒頭の
「自分が認めないことをした娘を崖から海に投げ込んだ」
という父親の、あまりにも横暴で身勝手で理不尽な仕打ちに対する猛烈な憤りと、その行為に抗えない社会構造に対する哀しみと怒りと、海に落ちていく刹那の感情の塊のようなものが、ぐっと襲ってきた。
だけど、それはほんの一瞬で、語り部としての、こっしぃさんの声によって紡がれていく、物語の展開と臨場感にひきこまれ、終わるころには、究極のラブストーリーだという感動で、いっぱいになった。
(この世の者とあの世の者が交差する世界観に、「能」の舞台が思い出される)
「能」の構成は、この世に思いを残して亡くなった者が、成仏できずにさまよい、その辛く哀しい身の上を旅の僧に聴かせ、成仏させてほしいと願い、鎮魂がなされる……というものが多い。
能の舞台では、あの世の者は「成仏」して、この世から消えるけれど、『骸骨女』の物語は、あの世にいた骸骨女が甦り、この世の漁師を鎮魂する。
(肉体を持たないものと、肉体を持つものとの結合)
(心臓というドラムを鳴らし、歌うことで、「骨」に「肉」がついていく秘儀)
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「野性の女を呼びさますお話し会」は、こっしぃさんが15年以上続けている『狼と駈ける女たち』の読書会だ。
私が参加しているのは、オンラインの読書会の第5期。
リアル講座とちがって、アーカイブの視聴が可能で、何度でも聴くことができる。
書籍がなくても、要点をつかむことができるよう作成してくださった資料をいただけるし、図書館で借りるか、古本を入手して、書籍を全文読むこともできる。
そのことに甘えているのかもしれないが、オンライン講座に臨むときは、何の予習もせず、わくわくしながら耳をすませ、ただ、物語の聞き手になっている。ノートもとらないので、感じとれていることは、かなり浅い。
書籍でいえば、表紙。贈り物でいえば、ラッピングに目を奪われていて、肝心の中身には、ぜんぜん届いていない。
ほぼ、とりこぼしているかもしれない、と思う。
でも、その後、繰り返して聴いているうちに、変わっていくプロセスが、おもしろい。
今回も、オンライン講座受講時に感じたことは、
【肉体を持たない骸骨女が、漁師の渾身の忍耐力で、ていねいにほぐされていき、一粒の涙を河のように飲んで渇きをいやし、漁師の身体から心臓を取り出すと、ドラムのように鳴らし、歌い、女としての肉をつけていく……という、プラトニックなのに、「ナマ」で、「肉」な、「結合に至るプロセス」が、すごく「官能的」な、「究極の愛の物語」】
だった。
ところが、その後、アーカイブを視聴し、書籍の第5章を読み(48ページもある!)、こっしぃさんの資料を読んでいると、ふいに湧き上がってくる言葉があり、(なるほど。そうだったのか)と思いながら、再び書籍を読み、アーカイブを視聴し、こっしぃさんの資料を読んでいると、また別の想いが湧き上がってきた。
―〈物語は薬です〉―
『狼と駈ける女たち』の序文に書かれている言葉だ。
―〈失われた心の衝動を再生させ、修復する治療法が物語にはふくまれています〉―
―〈物語は興奮を、悲しみを、問いを、憧れを、理解を呼びさまし、「野性の女」元型を表面に浮かび上がらせてきます〉―
という言葉も。ほんとうに、そのとおりだと感じる。
(呼びさまされ、浮かび上がってくる)
アーカイブを聴き、資料を読み、第5章を読むというルーティーンの何度目かに、「傷ついた男性性」という言葉が、くっきりと浮かび上がってきた。
少し間をおいて、〈女性性は傷つかない〉という確信も。
次のルーティーンでは、それは「自分の内面」だという気持ちでいっぱいになる。
(私の中で、へなちょこな部分、弱い部分、ダメな部分は、男性性の分野であること)
(進もうとして躊躇したり、ダメだ、無理だと思ってあきらめたり、人と比べて悶々したり、それらは、私の中の男性性だということ)
(女性性は、不動。でかい。平らか。動かない。在る。待つ。受け入れる。圧倒的な力)
いままで、こんなふうに考えたことはなかったけれど、私の中の男性性が、女性性の大きさにびびって、しりごみして、準備ができていないと、逃げまわっていることを実感した。
なんとかして、タッグをくめばいいのだと。
男性性と女性性の統合とは、このことではないかと。
第5章の最後に、このように書かれている。
〈骸骨女は、漁師に、心に従うことが創造の秘訣だと教える〉
〈創造は誕生と死の反復だと教える〉
〈自己防衛は何も生まず、利己心は何も産まず、すがりついて叫んだって何もならない、と教える〉
〈男性は女性に心のドラムを与え、女性は男性に想像もつかないほど複雑なリズムと情緒をおしえる〉
〈二人一緒なら、どれほどの収穫が得られるか、知りようもない〉
それから、「涙」について。
私は、自分のことでは泣かないし、〈泣くと負け〉という感情が確かにある。
それは、男性性が未熟で、癒されていないからだとわかった。
(傷を認めたくない。痛みにふれたくない)
(傷ついた自分を認めたくない)
(かばってきたことで失ったものを考えたくない)
漁師と骸骨女の物語は、今の私に、自分の中の男性性と女性性の薬として、浸透している。
〈涙には創造の力がこもっている〉という本文の言葉は、薬。
〈「わたしは傷を認めます」と語る一滴の涙を、骸骨女は待ち望んでいる〉という言葉も。
私の中の漁師が、骸骨女のために涙を流すとしたら
(無垢の眠り)
一番、刺さった言葉は、
〈恐怖はその作業をさぼるためのまずい口実にすぎません。わたしたちは、みんなこわいのです〉(P202)
そして、一番好きな言葉は、
〈ある種のドラムは、鳴らし手と聞き手を、さまざまな場所に連れていく旅のドラムであると信じられています〉
という文章。(P216)
奇しくも、6月18日に「旅のドラム」を体験したので、そのことは、別記にて。
浜田えみな
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【備忘録】~読み返して、何度もバイブレーションを感じたい言葉~
〈生―死―再生の本性とは、生命化・成長、衰退、死およびそれに必ずつづく再生命化のサイクルのことです。山も谷も、ただ、そこにあるだけで、狼は、できる限り効率よく流れるように乗り越えていきます〉(P177)
〈自分が最も恐れるものに、まっすぐ立ち向かわねばならない〉(P178)
〈愛するとは、細胞という細胞が「逃げろ!」というときに踏みとどまること、なのです〉(P192)
〈自我(エゴ)ではなく、魂の準備ができたときに教師はやってきます。自我が準備完了することなど決してありません〉(P196)
〈「まだ用意ができていない」とか「時間が要る」とかいってぐずぐずするのは理解できますが、真実は、「完全に準備がととのう」ことなどけっしてない、ということです。「ちょうどいい時期」などはないのです〉(P198)
〈恐怖はその作業をさぼるためのまずい口実にすぎません。わたしたちは、みんなこわいのです〉(P202)
〈生命をもっと増やすために、今日は何を死なせましょう?〉(P204)
〈眠っているあいだに、わたしたちは作り直されます〉(P206)
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越地清美さんのHP
マガジンで連載しています。
https://note.com/emina21/m/m296acf340a2e
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