タロット The High Priestess's Story
"Priestess"という単語を調べると、その意味は「キリスト教以外の尼僧、女司祭」という意味を知ることができます。
日本の神道では、神様に仕える女性のことを巫女(みこ)と言います。
中国の儒教やキリスト教などの外来宗教の影響を受ける以前に存在したとされる古代日本の原始神道では、神を自らの身体に宿す『巫(かんなぎ)』という《憑依》の儀式が行われていたそうです。これが最初期の巫女の発生と考えられています。神に仕え、神意を人々に伝え、祭祀を執り行うなどの役割をする男女のことを巫覡(ふげき)と言い、女性は巫(ふ)、男性は覡(げき)と言われてたようです。
現代では、巫女は神職の補佐的な役割です。神職とは、神道・神社で神に仕え祭祀や社務を執り行う職業ですが、女性で神職に就く方もいらっしゃるようです。
キリスト教の教派・系統の中でも、カトリックやギリシャ正教(正教会)では神父、司祭ともに男性のみに限られています。聖公会やプロテスタントでは女性の司祭や牧師は教区によっては認められているようです。
修道女はカトリックやギリシャ正教、または古いキリスト教の分派に存在する修道士制度ですが、男性である修道士が司祭になることがあっても、女性である修道女が司祭などの聖職者になることはありません。
ではキリスト教が旺盛を誇る以前のヨーロッパはどうだったでしょうか。
古代ギリシアにはアテナイ、スパルタ、テーバイなどのポリス(都市国家)が存在していました。アテナイの近くにある『エレウシス』という小都市では、女神デメテルとペルセポネ(コレ-)を主神とした国家祭儀が行われ、各地から多くの入信者が集まりました。
このエレウシスでの秘儀は、性別や身分で制限されることがなかったので女性や奴隷も入信し参加することができました。エレウシスの秘儀は、アテナイで女性が唯一関わることができる公的な活動でもあったのです。しかしその秘儀の内容は、入信者だけが参加できたその儀礼について口外無用とされたために、儀式の詳細は不明であるようです。
また、古代ギリシアの時代にはケルト系の部族社会が存在しました。しかしケルト人は紀元前1世紀頃には、ローマに征服されます。ケルト人は書き言葉をもたず、文字で記録を遺すことをしなかったのですが、古代ギリシア・ローマ時代の著述家(文章を書くことを職業にする人)たちが、ケルトの宗教について男性の司祭のみならず女性の司祭たちが存在するという報告を遺しています。
ケルトの神官は、古代ギリシア・ローマ人に『ドルイド』と記録され、ケルト社会においても数少ない高位の女性たちが、男性に負けずとも劣らない力を有していたことが示唆されているのです。このことは同時代の、ギリシアやローマでさえみられないことだったといわれています。
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【参考文献】
『ケルト巡り』河合隼雄 NHK出版
『図説ドルイド - The Illusutrated Exploring The World of the Druids 』東京書籍 ミランダ・J・グリーン著 井村君江=監訳 大出健=訳
『ケルトの賢者「ドルイド」- 語りつがれる「知」』 講談社 スチュアート・ピゴット著 鶴岡真弓=訳
『友愛と秘密のヨーロッパ社会文化史 - 古代秘儀宗教からフリーメイソン団まで - 』東京大学出版会 深沢克己・桜井万里子[編]