あの日の感謝を伝えたくて
韓国の田舎に住んでいる。地方色豊かな日本とはちと違い、韓国は何かにつけ首都中心の国だ。良いものは全部ソウルにある、と強く思われているふしがある。何度もそんな話を耳にしたけれど、その度に「そうかなあ、、、」と心の中はスッキリしなかった。
私の周りには光ってる田舎在住の方々がいる。親しく付き合わせて頂いている「酒醸造の先生」と「酢醸造の先生」の元には、都会からの学習者が多く通ってくる。どちらも人気の先生だが、酒醸造なんか講義申し込み開始1時間経たずに満席になるのが常で「幻の講義」と呼ばれてる。広い所で自由にやってらっしゃる姿は都会以上だと思えて「ソウルでなければ、、」が弱弱しく霞んでみえる。
10年近くお付き合い頂いてる元ソウル市公務員の御夫婦も、そんな人達だ。昨日久しぶりにお目に掛かった。この二カ月はアメリカ旅行だったそうで、お土産に有機農の蜂蜜を頂いた。この方たちはコロナ前まで外国人旅行者相手のゲストハウスを運営していた。ご自分達が自転車乗りである縁なのか、フランスをはじめヨーロッパから沢山来ていた。時々おうちにも呼んでくれるので、そこでロンドン在住のご夫婦と親しくなった。いつかロンドンに行って彼らに会いたい。
基本的に宿泊料金を受け取らず、家の草刈りや壁の修復等をやってもらって労働で対価を受け取るスタイルでの運営だった。労働はそれほど沢山あるわけでもないようで。地元の温泉に連れて行ったり、一緒に観劇にいったり、お祭りに連れ出したり夜にビール飲みにつれてったり、なんかまるで遊びに来た親戚の子にしてあげるように親切なお二人だった。なのでゲストハウスの評価はとても高かった。
結局ゲストとゆるい親戚づきあいみたいになって「世界中に友達100人」をリアルにやってらした。「結婚した」「子供が生まれた」の連絡を各国からもらうそうで、そのうちの何件かは結婚式に出席するため現地にも行かれた。コロナ以降はそれも一旦ストップしたが、冬場はよく南米やヨーロッパに数か月滞在なさってたようだ。
この方々が公務員退職後の2012年にすぐにやったことが、「四国88か所お遍路参り」を自転車で回る事だった。日本語は全然出来ないが、退職後すぐ四国に向かったそうだ。お遍路さんのスタートは徳島県で、故郷が徳島の私には驚きしかなった。ええ~あのルートを日本語喋れない人が海外からわざわざ行くんだ!すごい、お遍路さんってそんなに魅力的だった?知らない事だらけだ。今回のブログの話とは違うが、お遍路の「先達」になった韓国人女性もいる。↓
ご夫婦は約3カ月かけて全寺を制覇した。四国での思い出を御主人さんは私の顔を見るたび披露してくれる。何度も聞いたが何度聞いてもいい話なので、私はその度に新しい気持ちで嬉しく聞いている。昨日もまたご主人さんがその話をしてくれたので、ここに書いている。
88か所巡りは寺巡りなので山の田舎道の移動が多くて大変な旅だと思う。「坂が長くて雨もすごくて。その寺に行くまでがすごく大変だった。やっとの思いで到着したその寺は、宿泊可能なはずなのに台風が迫ってて危険だとかで受付の人が「泊まれない」の一点張り。こっちも日本語ちゃんと分からないから、勘でしかないんだけど。だけどこんな所で「泊まれない」って言われてもこっちも困る。町のモーテルみたいな所を紹介されてそっちいけという。
仕方がないから、ものすご~く嫌な気持ちで向かった。心中で毒づきながら。日本人は心が狭いとか。夕方になってその寺の人がお弁当携えてホテルに来た。夕食に食べろっていうから、ありがたく頂いた。次の朝、宿泊料金を精算しようとしたら「昨日の寺の人がもう払ってます」というから夫婦で仰天した。え~そんな!!って。お礼も直接言えずにそのまま次の寺に向かったけど、ずっとそれを忘れられない。」と、その写真を見せてくれた。コンビニ弁当の横に「おーい、お茶」が二本並んでた。この話とセットでみると、お供えものみたいに有難く見えてきた笑
「33番目だか34番目の寺だったと思うのだけど「左」っていう文字が地名にあって、、」寺に関するご主人の記憶がおぼろげだったので、今までその寺を特定できずにいた。寺名さえ分かれば私が連絡いれてあげられる。昨日、気になってもう一回ご主人と一緒にスマホで探してみた。33番目でも34番目の寺でもなかったが、高知県だったのは間違いないという。ふと見ると、高知県の札所で一か所だけ「土佐清水市」にある寺があった。もしやこの「土佐」の「佐」の字の右部分だけを覚えてるのじゃないかと、お寺の画像を見せたらBINGOだった。どうやら38番札所の「金剛福寺」で良いらしい。
お寺の紹介文に『札所から札所までの距離が長い「修行の道場・土佐」の霊場にあって、金剛福寺までの道のりは遠い。』とある。その辺も当たってるらしい。よかった!あとは私が問い合わせてあげられる。といっても12年も前の事なので、その当時の人が今もいるかどうかは分からない。ネット上にメールアドレスがあったので聞いてみよう!
ご夫婦が自転車でアメリカ横断した時も、見知らぬ人に助けてもらったことがあったという。旅が多いので逆に良くない事もあったそうだけど、「良い事の喜びを強く覚えている」のだと思う。だから旅をとめない。
昨日、奥さんが食後のカフェで言った。「韓国も経済的には豊かになったとはいうけど、人の心の豊かさとか色んなことのレベルとか、そういう所で日本は本当にすごいと思う。あと台湾かしらね。日本ととても似た国だった。ぶらっと一人で個人旅行するのに、安全でおススメなのはあの二つの国だと思う」
どこかの日本人の暖かいふるまいが巡り巡って、私はこんな素敵なご夫婦に可愛がっていただいている、韓国の片隅で。あの四国のお遍路さんの日々はその後のゲストハウス運営にも、少なからず影響を与えたのではないだろうか。
「同行二人」(どうぎょうににん)という言葉がある。四国八十八カ所巡りの際、お遍路さんはこの「同行二人」の精神で(金剛杖が弘法大師の象徴でもあり)、弘法大師と寝食を共にする気持ちで巡礼する。一人で歩いても一人ではない。ずっと傍で見守ってくれる存在と共に歩む、のがお遍路さんの精神だ、と一応徳島生まれなのでそれだけは知っていた。88か所巡りでは「御朱印」を各お寺で頂くが、前におうちで完全制覇の御朱印帖を見せてもらい、その中にあったこの言葉を見つけた。それを言うと、「えーそんな事、書いてある事も知らなかった」とお二人が笑った。
言葉自体は知らなくたって、お遍路の道すがら愛し愛されたこの方達は、韓国でも外国でも他の人達に手を差し伸べている。それ、弘法大師さん(空海さん)だって「いいね!」って思うんじゃないかなあ。
たしか以前八十八か所巡りで、韓国人ヘイト問題があったとか、なかったとか。
外国人の流入で色んな問題は起こると思う。今や日本に住んでるのは日本人だけじゃないから。インバウンドのデメリットが話題になる今日この頃。だけどせっかく来てくれた外国人を締め出すのは本当に勿体無いと思う。色んな国籍の人達が一緒に日本の良いものの良さを味わえる道を模索してほしいと思う。日本人だったら当然こうするでしょ?という所で固まって留まらずに、どうしたらこの人達と共存できるのかを、しぶとくしたたかに考えてほしいと思う。
弘法大師はコミュニケーションを如何にとらえたのだろう、、と思って検索してみたらこんなのがあった↓
空海は、人との接触を非常に重要視し、他人との関係の中から自分の精神的な成長やステージアップを志すことを基本にしていました。
とこちらに書いてあった。↓
ということなら、摩擦も大事だね。人は揉まれて磨かれる笑
ありがとうございました。