今朝、日経新聞の日曜版(でいいのかな)の一面に、縁側が特集されていた。
私の最初の家は中庭があり、そこに向かって、おそらく寝室に縁側があった。
朝起きて縁側から中庭へ降りて父とラジオ体操をした記憶。
まだ縁側の下にある石にも届かない足をブラブラさせながら、ちっちゃい私は空を見上げているのが大好きだった。
外とも内ともつかない曖昧な空間。
仕事がら、「クリアに、具体的に」という言葉をいうことの方が多いけれど、私たちの暮らしの中で、そんなふうに白黒ハッキリさせられることがどれくらいあるんだろうか。
経営の数値には曖昧さがあったら困るけど、事業を進めるのは私たちヒトなわけで、そこに曖昧さがあっても許容できる度量がどれだけ組織の中にあるのか、は結構大切な要素のように感じる。
大袈裟かもしれないけれど、優しい社会を創ることにつながるのではないか。
まずは自分自身がそうありたい、かな。