作家と妖精たち。継続作家が作ってくれたもの。
「UNMANNED無人駅の芸術祭/大井川2022」の開幕が直前になった。結局目の前のことをこなすのみの毎日は反省ばかりなのだが少し立ち止まって整理。(友人が「“プチプチ”(包装とかに使う)をつぶしていくようなもんだよね」と言っていてうまいこと言うな)と感心した。
これまで5回の開催を重ねる中、作家と集落の強固な信頼関係はどのように生まれているのか、をずっと考えながら見てきた。数値化できないのでもどかしく、あくまでもエピソード評価、のようなものにしかならないのだが、見えてきたものの過程をまずは書き出す。
①継続参加作家が見せてくれた芸術祭初動期の「姿勢」
5回の開催において、初回から継続して参加する県外作家は3名。さとうりさ、ヒデミニシダ、木村健世である。初回は集落の人達(妖精たち)は、そもそも「芸術祭」が何かわからず、何が起こるのか、なんでアートなのか、まったくわかっていなかった。そのような中3名の作家は、1か月~2か月にわたり、それぞれが滞在制作をした。
さとう氏は、当エリアで採取される志都呂焼きに使われる土を素材に作品を作り、ニシダ氏は長期間にわたる綿密なリサーチ(大井川を数十キロにわたって歩いて)を行い、木村氏は、何日も何日も無人駅に通い、列車を降りる人をつかまえては100人以上にインタビューしていく(こちらが人を紹介したことは一度もない)といった形で、3者3様の滞在制作であった。
さとうりさ/地蔵まえ1
ヒデミニシダ/隠された人々
木村健世/無人駅文庫 福用
共通していたことは、「1人でコツコツと迷う姿も見せながらやっていく」「依存しない(よっぽどのことでない限りヘルプは出さず自分で何とかする)」「1人で想像できない無謀なことをやろうとする」といったところ。
アーティストの滞在拠点である「ヌクリハウス」も貸してもらえたがいいが、快適とはほど遠い環境。「○○がない」と言えばキリがない不便な状況の中、文句も言わずに滞在してくれた。
さとう氏が、昼間ヌクリハウスで志都呂の土と闘っていて(?)たまにふらっと出てきた様子を鮮明に覚えている。いつも真剣で笑顔、不満は言わない。3人に共通していた。主催の我々と参加作家という間柄なのだが、それぞれがプロ意識を持ってそれぞれの役割を全うする、一緒にわけもわからないことに乗り出す同志。というような関係値でいてくれたのだ、と振り返って思う。主催である我々は全てが手探り。なので、たくさんの手落ちがある中、文句1つ言わずに、「ひょうげんする」役割を全うしてくれたのだった。
集落の妖精たち(50~70代のおじさん軍団)は、3人の姿を見ていく中で、作家に共感と信頼と尊敬の気持ちを持っていった。芸術祭が開幕し、作品が開示されていったときに、作家が向き合い続けたことがどういうことかはじめてわかったのだと思う。開幕するとみんなが「ああこういうことだったのか!」と口々に言っていたことも印象的だった。
それをみて、「双方が依存しあわない関係値のもとで、何ができあがるかわからないことに関わることがアートである1つの価値なのしれない」と思った。
滞在制作が続く中、妖精たちと作家は少しずつ親しくなり、一緒にお酒を飲んだりしながら、「表現を理解」したり「集落での生き方を知っていったり」していった。
今はなかなかできないが、コロナ前はよくこうやって協働制作が終われば集まってお疲れ様会を。
私は、ここに新しい「交換」があり、ここにアート(ここでは、作家と作品両方)が作用することの価値があるのだと思う。そして、集落の生活の中にもともと残る、芸術と生活が地続きになっている道、のようなものがより濃くなるのだと思うのだ。
②アートが作用するからこそ起こる「新しい交換」
アートの役割は、普段見過ごしていたり、見て見ぬふりをしているような地域のものやコトに、「音・色等」思いもよらない表現が不可され顕在化されていくことなのだと思う。(課題解決はその先)
芸術祭と作品制作により集落の人と作家との「交換」が生まれていて、これは、アートだからこそ強固で価値ある、新しい「交換」なのではないか。
「交換」を、「与える」「受け取る」「返礼する」の3フェーズで考える。
*地域が作家に「与え」、作家が地域から「受け取る」もの
作家の生活支援と協働による制作。集落の個人的なことまで含めた歴史や記憶、交流することで感じ取ることのできる生きているそのまますべての、それぞれの感情。
*作家が地域に「与え」、 地域が作家から「受け取る」もの
地域のリサーチと地域をあらわす作品。その制作過程に地域の人々が関わることのできる余白。アーティストという生き方を見せる(感情も含めて)
「返礼する」は、与えること、受け取ることを集落と作家が双方に行うことにより、それぞれの関係は深まり、作品表現に反映されたり、関わった集落住民の意識の変化が生まれていくことも含め継続的な信頼関係が芸術祭の魅力となり内外にもれだしていくこと。予想もしない返礼が双方から生まれていく可能性も信じている。
妖精たちは、「なんだかわからないし、どうなっていくかわからないけれど、自分の住む地域の何かが作品になる」ことを理解するから「交換」が生まれていくのだ。
開幕したら作品のそばで自発的にお茶をふるまい出した妖精たち
初回からのこの3作家以外にも、固有で忘れがたい「交換」をしてくれた作家はまだまだいる。今期も。それが静かに積み重なっているから今がある。本当はそれぞれの作家の「交換」についても述べたいのだが、それは別の機会に。
さて、5回目の開幕が来月25日から!とにもかくにもお楽しみに!(HP更新が滞っている。。)