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UNMANNED無人駅の芸術祭/大井川を終えて。生まれたきっかけなど。

主催運営している芸術祭が幕を閉じた。UNMANNED無人駅の芸術祭

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ひびのこづえ/RYU

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力五山/表参道~願いをつなぐ~

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ヒデミニシダ/境界の遊び場Ⅱちゃばらのカーテン

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コロナ禍の中、16組の作家、集落の方々と共に戦った(やりぬいた)日々が終わってぼんやりしている。本当は一回リセットして日常をとりもどしたいのだけど、年度末なので報告書やら支払いの山が高すぎてだらだら仕事の日々。

UNMANNEDは実質、オットと2人で運営している。というとみんなに驚かれる。他の芸術祭と比べると予算も多分5分の1とか下手すると10分の1。なんでやってるの。と聞かれるし、なんでできるの。とも聞かれるんだけど、考えたことがない。やりたかったから。というしかない。(笑)

制作が立て込んでくると、私の実父とその仲間たち(妖精たち)が動いてくれる。道具のことから集落内でのトラブル回避まで。某車会社のサラリーマンだった父は、整備士免許があり元々整備をしたかったらしいが、明るすぎる性格を買われ営業畑に。持っている顧客数が多すぎて1人だけ異動することがなかった異例のサラリーマンだった。定年真近には会社社長(今はトラブル続きの海外出身の、、)から表彰されていた。人が好き、情に厚い、頼まれたら損得関係なく純粋に相手のために動く。父はこんな人間。この人の存在があるから、全体部分をオットと2人で運営できる。

元々、大地の芸術祭が大好きだった私は、小さい息子を連れて見に行っていた。作品とその先で出会う人たちの笑顔に感動しながら、何より驚いたのは息子の変化だった。

重機が大好きな息子は静岡では見ることのない雪上車に興奮し、天井が変わると眠れないような神経質だった子が新潟は何度も行きたい!というように。そして、重機好きの息子のために2012年の「スノーワーカーズバレエ」を鑑賞した。思えばこれが私の人生を変えたと思う。(そして15歳になった息子は、今や芸術祭を完璧にアシストしてくれるスーパーサポーターになっている。スーパーは褒めすぎか)

*ミエレル・レーダーマン・ユケレスによる「スノーワーカーズ・バレエ」you tubeにも動画やメイキングがあるのでぜひ。

夏の夕方の河川敷で、雪上車が「ロミオとジュリエット」を舞うというぶっとんだ作品。運転するのは実際の運転手たち。普段スポットのあたることのないまちの裏方の彼らが、最後運転席から降りてきたときのハレバレとした表情に私は魂を持っていかれてしまった。

「普段の作業」が作家によって作品になる。それにより冬を超える厳しさを作品を通して多くの人が体感する。思考するきっかけを与えられる。さらに作品は地元の人によって成立する。

こんなことが可能なのか。という驚きが最初の原動力。

そこから何年もかけて準備をしてきた。

芸術祭の舞台は「無人駅」に。鉄道というなくてはならない地域の足を軸にすることで、「新しい地域(枠組み)」が浮かび上がるということと、大井川鐵道はSLやトーマスで有名だけれど20駅中16駅が無人駅。数値で測れず見落とされる価値や魅力を逆転の発想で提示しなくては、この時代何かが狂っていく。そんな感覚的な焦りからだった。

作家、設置場所、表現プラン、運営、、、決めなくてはならない多分1,000個以上あるtodoは、オットとの雑談で決めていく。仕事中のランチに、娘を迎えにいく車中で、作業的なことは仕事中に。ケンカもするし険悪にもなるが何度も同じ内容について話し合う。ときには実父にも相談する。意見が合わないこともしょっちゅうだが、大地の芸術祭での原体験を共有しているから軌道修正できる。そして、地域づくりは携わって20年以上になるから、様々な人の立場や想いを「翻訳」することは我々はプロ。作家、集落の人、サポーター、関係団体、行政、、みんな違う言語と違う目的で動く人々全ての最適を推し量りながら芸術祭という舞台にあてはめていく。これは、我々が作家ではないからこその視点なのかもしれない。UNMANNEDにおいては作品至上ではない。作品と集落の融合が至上であり、その先に生まれてくるものを丁寧に少しずつ広げていく、時間をかけて。

今期の作品のすばらしさ、会期中のエピソードを綴っていると終わりが見えなくなるのでこの辺で。(とか言いながら私のnoteはいつも続きを無視しているよな)また気が向いたら何かのきっかけで綴ろうと思う。

集落の妖精たちについても少し。主に抜里エリアの60代~80代のおじいちゃんたちをいつの頃からか作家たちが親しみと驚きを込めて「妖精たち」と呼び始めた。みんな元気、常にダジャレを言い合って笑っている(全然おもしろくないけど)、お酒が強いのが特徴。

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小山真徳/盃と沢蟹 

今期象徴的となった作品の撤去のひとコマ。解体も妖精たちがかけつけてくれた。作品がなくなり日常に戻ることが少し寂しそうな背中。

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小山真徳/盃と沢蟹 

実際作品はこちら。10メートル以上の直径の盃を小山氏が2か月かけて竹120本を使用して制作した。

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地域づくりの現場は、女性にスポットがあたることが多い。好奇心旺盛で柔軟で、新しい動きにもしなやかに乗っていけるからなのかもしれないし、女性活躍ということばもよく目にする。

一方で60代~80代男性というのは、男尊女卑を教えこまれ、亭主関白サイコーの時代を生きているから現代において最も時代遅れな人たちなのかもしれない。料理、できない。孫の世話は自分の子すらやってないんだからできない、女性のようにわいわいつるんでイキイキと、、もなかなかできない人たち。そういう人たちが芸術祭となると、「ワクワクする」と言いながらわらわら出てきてくれることは実は私の誇り。年代や育った環境だけを見ると、もしかしたら最も「お荷物」的な人達。そんな妖精たちが、大井川鐵道の「お荷物」的エリア(無人駅エリア)で力を発揮するのがUNMANNEDなのだ。見えないことにこそ、真実があると私はいつも思う。

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さとうりさ/地蔵まえ4(縫い合わせ)

作品を広大な茶畑に出すことも妖精たちと。さとう氏と妖精たちの息のあった様子が写真のひとコマからも透けてみえる。

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なにはともあれ、ご参加くださった作家のみなさま、オット、息子、実父はじめとした家族、集落の妖精たち、来場くださったみなさまに感謝!UNMANNEDはまだまだ続く。






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