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【歴史から臨む未来】産業革命と鉄・綿花

先日、第一次産業革命について書いてみたが、やはりまだ何かすっきりと整理しきれていないように感じるので、もう少し考えてみたい。ひっかっている要素は二つ、鉄と綿花だ。

鉄の種類と性質

まずは鉄について。その種類と性質についてまだしっかりと整理できていないようなので、それをまとめることから考えたい。とは言っても、多分全然理解できておらず、間違いだらけなのだろうが、素人の自由研究レベルということでご容赦いただきたい。

鉄の種類については、炭素の含有率によって、低い順に鉄、鋼鉄、鋳鉄に分かれるようだ。一般的に、炭素の含有率が高くなるほど、固くなる一方で脆くなる。この特性から、鉄は薄い製品を作れ、寸法精度が安定するが、強度には欠ける。反対に、鋳鉄は、鋳型さえ作れば複雑な形状でも量産可能で、固くて複雑なものを大量に作るのに向いているが、鋳型が必要なので細かな変更がききづらく、さらに鋳型を作ってもそこに流し込んでから冷える時に収縮するので精度が安定せず、また脆いので暑さや重さが必要となる。
製造工程で考えると、炭素を飛ばすには低温で長時間加熱するか、あるいは高温ならば酸素を吹き付けるなどの処理が必要となる。さらに、高温では、硫黄やリンなどの不純物を飛ばすのに別途の処理が必要となる。また、木よりもコークスの方が熱量は高いが、コークスは硫黄などの不純物を含んでいる可能性が高いので、それを燃料に使うことによってかえって不純物が鉄に混入することになる。
このような製造工程の違いから、たたらのような低温長時間の玉鋼は強度には欠けるが、薄く加工することが可能で、また叩いて伸ばすことができ、その特性のために刀には向いている。鉄鉱石を直接コークスで溶かす高炉は、高温短時間での溶解なので、そのままでは加工には使えないほどに炭素を含んだ不純物が多く含まれている。だから、さらに反射炉においてコークスからの熱風をある程度の時間吹き付けることで炭素を飛ばす必要があり、さらにパドル法という熱風を吹き付けながら溶けた鉄をかき混ぜるということを行うことで錬鉄という鋼を作ることができた。これは、玉鋼よりも短時間で多少多くの生産はできるが、質としては玉鋼には及ばず、不純物の除去も十分には行えないやり方であった。

近世日本の製鉄技術水準

幕末に日本でも鉄製の大砲を作る必要があるということで、慌てて反射炉がいくつか作られたが、高炉を持っていなかった日本で反射炉を作っても鉄製の大砲を作ることはできず、さらにいえば、転炉技術が十分に成熟する前の欧州では、リン含有量の低い鉄鉱石を算出したアメリカは別として、鉄製の強度のある大砲を作ることはできず、大砲の主流は依然として青銅砲であったという技術的な事実は無視することはできない。確かにあの時期に開国しなければ、その後の技術革新の流れからは完全に取り残されて、先進国グループには入れなかっただろうが、だと言って急いで暴力的な維新を行わねばならないほどに技術格差があったか、といえばそのようなことはなかったのだと言える。

転炉の発明

さて、1856年に転炉が発明された。これは、鉄自体が十分に熱せられていれば、酸素を吹き付けるだけで炭素との反応を進め、それを除去できる、という特性を生かした炉で、炉の中に高炉で溶かした鉄を流し込み、それに酸素を吹き付けて脱炭し、そのまま鋳造や、現在では圧延工程に流し出すものである。これは非常に革新的なやり方で、リンが含まれていなければ、これによって一気に鋼鉄の生産量を増やすことができるようになったが、リンはこのやり方では除去できなかったので、結局その除去のためにパドル法も併用され、結果として生産量の急速な増大は成し遂げられなかった。

アメリカ産鉄鉱石の性質によって起こったこと

リンを飛ばすことのできるトーマス転炉は1878年になってようやく発明されたので、明治10年までは、アメリカは別として、ヨーロッパでの鉄の大量生産はまだできなかったのだ。そして、このアメリカでの原料の優位性に基づく鉄への需要が、ミシガンでの鉄鉱山を確保する必要性に結びつき、そこでのネイティブアメリカンとの摩擦、ひいては南北戦争の裏テーマであると言えるネイティブアメリカン征討につながっていったのだと考えられる。よく、アフリカで奴隷獲得のために銃と奴隷を交換して原住民に殺し合いをさせた、との話が出てくるが、実用性の高い殺傷力の高い銃の大量生産は、鋼鉄技術の確立後であると考えられ、そうなると、その話の元はアメリカでの対ネイティブアメリカン紛争であった可能性が高いのではないか。

火縄銃の先進性

また、たたらの技術の高さを考えると、開国時の銃器の製造技術は日本の方が西洋よりも高かった可能性もある。どの時期からかはわからないが、西洋製の銃は鋳鉄に穴を開けるという作り方をしていたのに対して、日本製の火縄銃は鉄板を巻いて筒にしていたようで、つまり、もはや西洋産の技術とは違う方法で銃が作られていたことになるのだ。銃の伝来とは、マッチロック機構の伝来のことであり、鉄加工の技術自体は日本の方が進んでいたのだと考えられる。もっとも、開国から明治維新の間に、まさに南北戦争があったために、一気に銃器の技術革新が進んだ可能性もあり、維新の時にはすでに西洋の技術の方が優っていたかもしれない。その意味で、アメリカ産の鉄鉱石にリンが含まれていなかったという偶然は、世界の現代史を大きく規定し、そして日本もそれに非常に大きな影響を受けていたことになる。

蒸気機関と鉄

鉄にも関わる技術として、蒸気機関がある。蒸気機関の発明自体は18世紀初めにはもはやなされていたが、鉄の大量生産が難しい以上、おそらく真鍮で作られていたのだろう。ただ、真鍮は融点、沸点が低いので、それほど高温にはできず、だから蒸気機関自体の効率も非常に限られた物だっただろう。だから、蒸気機関も、原理はともかく、実用は鋼鉄の生産がある程度できるようになってからだと言える。そして、ワットによる蒸気機関の大幅改良によってようやくパドル法が実現できたのだといえ、その両輪が少しずつ噛み合って鉄の生産が伸び出したのが18世紀末から19世紀前半にかけての第一次産業革命の時に起こっていたことなのだといえそう。ただ、それはまだ実用レベルで影響を及ぼすほどのものではなかった。

綿織物での産業革命

一方で、そのまさに産業方面での鉄と蒸気機関の技術革新とは独立して、より直接の消費者に近いところで、綿織物の技術革新が急速に進歩していたのだといえそう。それは、新大陸から綿花の大量供給が可能になったことから、原料供給主導型で起きた技術革新の連鎖であるといえる。

シュンペーターモデルの技術革新

全然話は飛ぶが、オーストリアの経済学者シュンペーターの技術革新についての見解は、この連鎖を観察してのことではないのか、と考えてしまった。しかし、これは歴史の偶然に大きく影響された非常に珍しいケースであったといえ、確かにシュンペーターの分類は見事な物ではあるが、それが常時応用可能な実際性の高い物であるか、といえば、かなりの疑問符をつけざるを得ない。というのは、それぞれの革新の実現化までのタイムラグと競争の激しさが見合っておらず、綿花のような革新的な新原料の大量供給の発生という、利潤が幅広く行き渡る条件下でなければ、個別技術がシュンペーター的に美しく展開されるのは非常に難しい、ということがあるからだ。現在では、インターネット関連技術はシュンペーター的に展開されているとも考えられそうだが、実際にはほとんどが新販路という名の既存の販路、マーケティングセグメントの奪い合いに終始しているといえ、その他の技術主導での革新が起こせるのはまさにGAFAレベルのグローバル大企業のみであると言える。シュンペーターモデルは、理念型としては非常に優れており、マインドセットの基本に据えるのは非常に重要だが、それを現実応用するのはかなり難しいことなのだといえそう。

第一次産業革命の本当の主役

少し話がずれてしまったが、イギリスで第一次産業革命が起きた理由は、綿花という新原料を確保し得たからであるといえ、その意味で、植民地の有無が英仏での産業革命の展開を規定したというのは、市場という面よりもむしろ原料調達の面であったと言える。その分析がずれたので、プロイセンやフランスが植民地獲得競争に狂奔することになり、それが第一次世界大戦につながっていったのだと考えられそう。重商主義者の罪深さは、売れないことを需要側の責任に切り替え、だから需要を支配すればうまくいくはずだ、というとんでもない勘違いに基づいて、どんどん植民地支配を広げようとする傾向なのだと言える。それはそのまま共産主義の失敗につながっており、つまり需要は管理できるから、それに基づいて生産をすれば売れるはず、という生産管理的計画経済の発想だったから、市場に見捨てられ、うまくいかなかったのだと言えそうだ。

第二次産業革命と資本主義の誤解?

なんかまた話がずれてしまったが、要するに、蒸気機関や鉄といった産業革命らしいものは、第一次産業革命の段階ではまだ実用段階には入っておらず、繊維織物産業での技術革新と、水力を使っての自動化が第一次産業革命の主役で、そしてそれは技術革新主導というよりも、むしろ新大陸からの綿花の安定供給によって起こったことなのだと言える。そして、それが資本蓄積を可能にし、それによって蒸気機関等の大規模な技術革新に結びつく資本投資が可能になったのだろう。ただし、本当にその資本蓄積が第二次産業革命につながったのかといえばそれもまた疑問で、実はその時期は不換通貨の成立の時期と重なっている。つまり、資本蓄積が起きようが起きまいが、単にマネーサプライの増加によって第二次産業革命への投資が行われたという可能性も十分にあり、その場合、資本蓄積が産業革命を起こした、という資本主義の神話そのものに疑問が生じることになる。その認識なく、いわゆる”資本主義”を金科玉条の如く政策立案のベースにしていたら、端から有効なわけがない、ということになるのかもしれない。歴史をきちんと見る重要性は、そういうところにもあるのだろう。

Photo from Wikipedia 反射炉


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