教育デジタル化
2022年(令和4年)1月7日中日新聞夕刊3面に「教育デジタル化データ環境整備」の記事。
とのこと。教育データには児童生徒の個人情報や教職員の勤続年数、各学校の児童生徒数などが含まれるという。デジタル庁としては簡単に成果が出せそうな部門として教育に目をつけたのだろうが、管理しやすいところの管理データを集めるという、なんともお手軽感は否めない。教育データなどは、すでに各担任、そして学校レベルでは当然データ化されていることであろうから、そのフォーマットを整えるということなのだろうが、データ形式を整えてapiか何かで取り出すのならばともかく、フォーマットを完全統一などしたら、それぞれの学校で工夫して作られたデータ形式のノウハウなどが削り落とされる可能性がある。フォーマットありきでデータ収集することによってデータの質が劣化するなどということになれば本末転倒も甚だしい。
そもそも管理目的でデータを集めようという発想が現場無視の中央的な考え方であり、データ集約のためのインプットは結局現場に行くことになる。そして既存の作業を新たなフォーマットに置き換えて、一体現場になんのメリットがあるのか、というのは必ずしも明確ではない。児童生徒の状況に応じた教育の提供や新たな学習法の開発などが期待できる、と勝手に期待するのではなく、先に具体的なメリットを示してそれを提供することを約束しなければ話にならないのではないだろうか。中央がデータ管理しやすいように、ということの優先順位の高いデジタル化ならば、おそらくやらない方がマシだろう。
デジタル化を進めるのならば、先に現場にメリットのあることを行い、そこからデータ収集という順序にしなければ、データ収集した時点でデジタル庁の方は満足してしまい、結局なんの役にも立ちませんでした、ということになってしまいかねない。教育ということを重視するのならば、例えば優秀な児童生徒のための補講をインターネットで提供し、現場だけでは教えきれないことを追加で教えられるようにして教育水準を自発性に合わせて引き上げるようにするとか、管理自治体が異なっていて難しいのだろうが、中学から高校は受験によって進むことになるのだろうから、中学生が高校の先生と自由にコンタクトが取れて、先生によって高校を選ぶという選択肢を広げるとか、中央だからこそ提供できるサービスというのは少なからずあるのだろう。まずそれを提供した上で、それに参加するにはデータフォーマットが統一していた方がいいね、ということでデータを集める、というふうにしないと、現場のやらされ感というのは拭えなくなり、それはデジタル活用ということ自体現場にとって負担感と共に広がることになってデメリットの方が遥かに大きくなるのではないか。
手軽に成果を上げるという目先の利益にとらわれることなく、特に教育という国家百年の計にもあたる重要分野では、デジタル化という将来性の高い技術が受益者であるべき児童生徒や現場の先生に歓迎される形で展開されることを強く望みたい。
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