相対性戦略と外交

令和四壬寅年(西暦2022年)1月19日付朝日新聞夕刊2面時事小言で、藤原帰一先生が過信しないリアリズムによる外交模索を提言している。基本的には現実的にそれはその通りなのだろうが、外交という国際社会に与える影響が非常に大きい場が、そのようなリアリズムという名の相対性戦略で成り立っている、ということ自体が非常にコストを高くしているな、と感じる。

主権の認識というのは、それが対立関係にあればゼロサムゲームにならざるを得ないので、どうしてもリアリズムに基づいた外交になるのだが、国家主権の問題で対立の舞台にならざるを得ない、記事中で言えばウクライナや台湾の当の本人たちは、そんなことで自らの支配者が定まることは望んでいないだろう。かといって、その理屈を利用して20世紀からその原則を振り翳して勢力を広げてきたのがアメリカであり、アメリカがその態度であり続ける限り、その干渉主義に対しては相対性戦略を取らざるを得ず、それが予測を難しくする。

モーゲンソーは、国際政治が権力闘争であるという認識を示した、とのことだが、そのような場にしているのが、特にモーゲンソーがそれを主張し始めた第二次世界大戦後には歴史的後発国で外交的資産をほとんど持たないがゆえに、既存の外交舞台に参入するには権力闘争によってのしあがるしかない、というアメリカ自身であり、そのアメリカ的立場を正当化するためにそのような理論立てをしたのだといえる。良きにつけ悪しきにつけ、今となってはアメリカに外交的資産は山ほど積み上がっている。そのときに、権力闘争の認識に基づいたリアリズム外交観というもの自体が、アメリカにとっても大きな負担となってのしかかっているのだと言えよう。

少なくとも、ウィーン会議の頃までは、そこまでゴリゴリのリアリズムで外交が展開されるというイメージはない。それが新興国であるプロイセンなどの不満、そしてリアリズム的世界観の誕生につながっていったことは否めないのだろうが、外交は、新規参入者に扉が開かれていれば、そこまでのリアリズムを必要とするものではない。そして、ロシアはともかく、中国に関して言えば、歴史的にそんなにゴリゴリの拡張主義を持った覇権志向の伝統を持っているわけではない。そのように追い込んできたのは、近代化の過程による西洋諸国の態度であり、そして、モーゲンソー的世界観に基けば、新興国として扱われれば理屈としてリアリズム外交を取らざるを得なくなる。

外交において、普遍的価値なるものを国益の中心に据え、その極大化を図る、という手法をとれば、それは排他的価値観の衝突によるゼロサムゲーム、覇権主義にならざるを得ない。普遍的価値を掲げられたら、他国がどのような原則を掲げても、それは普遍的価値の中で相対的にしか位置付けられないわけであり、その目からは全てが相対的戦略にしか見えなくなる。そのような世界観の中で、相手の方針も相対的戦略に基づいているに違いない、と勝手に想定し、自分が「リアリズム」という名の妄想の中で踊っているにすぎない、といえるのではないか。

中国は明白なほどに長期戦略を明らかにする国であり、覇権主義理論の中で、その覇権的傾向が中国の長期戦略の中自体に織り込まれる、ということ自体が世界にとって最大のリスクであるといえる。なるべく早めに国際政治が権力闘争であるという世界観から脱し、それが中国の長期戦略の中心となることで固定化してしまう状態を防ぐことが今最も求められているのではないだろうか。

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