福島事件
地域のことについて書こうとしてもなかなか書けない、という状況の原因を考えていったら、どうも明治時代の自由民権運動の一つとされる福島事件が引っかかっているのではないかという考えに至ったので、ここでシェアしたい。
福島事件というのは、明治15年に福島県で県令の三島通庸の暴政に対して、県会議長の河野広中が中心となって抗議行動を行い、多数の逮捕者を出したという事件である。
この時点における地方税の仕組みを見てみると、
とあり、県会の議決なしの地方税、しかも規則に定められたもの以外での徴収は違法であると言える。一応、非常の費用については県会の議決を経てから内務卿と大蔵卿に報告するという規定もあるが、天災でもない通常の道路建設でその規定は適用し難いだろう。内務卿から特別許可とあるが、内務卿、大蔵卿へは報告であり、仮に特別許可だとしても、内務卿の管轄は道路建設の事業そのものについてであり、予算措置については大蔵卿管轄であったと考えるべきであろう。
ただし、明治13年の地方税規則改正によって内務卿の権限が強化されており、直接条文の規定に則したものだとは言い難いが、それに基づいてのことだと言えるのかもしれない。
警察は、基本的には自治体の管轄であり内務省管轄であるが、国事犯を裁くような検察の仕組みが整っていたかというと、刑法自体がまだできておらず、まだまだ未整備であり、その意味で、この事件は、当時の法制度にとっては対応の難しい大問題であったと言える。
当時内務卿であった山田顕義はその後司法卿に代わり、日本の法制度の確立に尽力することになる。その意味では、この事件は、地方自治制度、そして司法制度の隙をつく形で、近代国家が形成される直前に大きな前例を作り出し、そのために、地方自治について根本的に考えようとすると、この事件に行きつかざるを得なくなり、それが日本の地方自治制度改革の大きな足枷となっているのでは、というように感じるのだ。
すなわち、この事件に従えば、暴政を行う地方自治体の長が、国の支持を得れば、血盟でも行って蜂起し、国事犯として裁かれるという覚悟が必要だ、というようなことになってしまう。誰もそこまでのことをして地方自治をどうにかしようとは思いにくいわけであり、結果として国の制度的枠組みの中でうまくやってゆこうというのが地方自治体にとって合理的な判断ということになり、事勿れで集権的枠組みのなかをながれてゆく、ということにならざるを得なくなるのだろう。
これを変えようとすれば、とりわけ警察や検察について、どの程度地方の判断を優先させられるのか、というところから考える必要がある。つまり、地方自治体の長の行動、例えば公約違反といったことを罪に問いうるのか、予算決算についてはどうなのか、あるいは汚職のようなことを、国政との絡みなしで地方独自で動くことができるのか、といったことが、まあ、地方自治法の枠組みの中で、というようなことになれば、誰も面倒なことには関わりたくはないので、なあなあで適当に流れてゆく、ということになってゆくのだろう。
その意味で、この事件は結局自由民権運動の一つとされながらも、結果としては有権者の権利を実質的に諦めさせる方向を打ち出したものであると言えるだろう。
では、歴史的文脈からこの話をもう少し掘り下げてみると、河野広中の河野という姓は瀬戸内海の水軍で、全国の三島神社の総本社である大三島の大山祇神社とのゆかりを語っている。そして、鎌倉時代以来の河野氏は通という字を通字として用いており、その意味で三島通庸という名は、河野氏の奉ずる神を姓とし、河野氏の通字を名として用いている、いわば河野氏の分身であるとも言え、通字を持った神が県令として、県民のための事業だと称して徴収徴用を行うことに対して民会の代表者として血盟を行ってでも反抗し、そして一番重い罪を被ることによって、いわば神に対する殉教、というか、神の過ちを体を張って止めようとしたのだ、という劇画的世界観を作り出すことで、地方自治、そして刑法のあり方について、神をも凌ぐ発言力を確保したのだとも言える。このような、いわば自作自演的な近代的神話を用いて、前近代から近代への変わり目において、自由と秩序という、近代的社会の肝となるような重要概念について暗黙の正当性を確保したということは非常に大きな意味を持つのであろう。なお、河野氏というのは、例えば松本サリン事件のように、このような近現代的神話を自家薬籠中にするのが得意だな、というのが、私の全くの個人的な感想である。果たして誰かこの偽りの近代神話を壊すことができるのか、というのは大変興味深いが、ますます集権化の度合いを強めているようにも見え現代社会で、そもそもそれを壊すというモチベーションを誰か持ち得るのか、というところから始めなければならないのかもしれない。
7月22日追記
この事件は、リコールの制度があればここまで過激化する必要もなかったのだろうという気がする。その意味で、地方自治法の充実によって暴力的行為なく正当な主張ができるようになっているということは言えるのだろう。
ただ、刑法の中で、地方独自の価値観、文脈をどう活かすのか、ということはいまだに未解決の問題ではないかと感じる。