情報とは何か?

情報とは一体何なのだろうか。

多面体イメージの情報

それは、物理学的な光のイメージである粒子でも波でもある、というものとはまた違ったもののように感じる。それは、みる角度によってさまざまな形に見える多面体であり、そして他の多面体と自在に接続、分離をすることのできる動学的な運動体であると言えるのではないだろうか。

情報による人の論理制御

現状のバーチャル世界では、一人一人がそのような情報イメージとなりきり、そして他の情報を目的合理性で安定軌道に載せることで身の回りの環境を整える、と言ったようなことが行われているようにも感じる。科学的な考えが重視されるのは、その安定軌道が計算できるからだと言えそうで、その延長線上で、他者を論理的に制御しようとすることが一般化しているようにも感じられる。
情報の論理制御はともかくとして、人が論理的に制御されるようになると、それは生物体としての肉体を持つ人との間で様々な軋轢を生むようになり、人が論理の圧力に押し潰されるようになってゆくのではないかと感じる。

単一情報イメージの問題点

そこにはいくつかの問題があり、まず、目的合理性圧力の中で一人が一つの情報イメージになり切るということの無理というものが生じる。人の生き方は多面的なものであり、もちろんそれ以上はできないという嫌の閾値はあるだろうが、その範囲内でかなりの幅を持って生きているものであろうと考えられる。それを一つの論理前提に基づいてその基本的情報イメージの中で論理圧力にさらされ、そのためにその論理に従うよう生き方の幅が制限されてしまうようだ。さらに他の情報の整理もそのように行われることで、インプット自体が非常に偏りのあるものになってゆく。それはその本人の嫌の閾値を超えていようがいまいが自動的に流れてくるようになり、非常に大きなストレスの原因となってゆく。人を組織の部品にするというのは、そのように情報の流れが管理されることで起こってゆくのだと言えそう。

多面性による観察者同士、被観察者内部の分裂

ついで、観察者から見た場合、人がなり切った個別の情報ビットの識別は非常に困難であり、そこでエージェント、さらにはトークンによってそれらを大まかに把握することになる。そうなると、折角の個別の多面性は捨象され、観察者の見ている集合体の一部として個が把握されるようになるので、多数の観察者から観測されるとマクロ的には分裂して観測対象として把握されることとなり、全体合理性の中では一貫した論理では把握され難くなる。そこに社会的論理一貫性を求められると、被観察者もそうだが、観察者側でも解釈が別れることとなり、論理の分裂が起こることになる。

情報の完全性の不可能性

これは、情報の完全性という、論理を成り立たせるために非常に重要な要素が、情報の持つ多面性という性質そのものによって論理的に達成され得ないという、重大な情報の論理矛盾という事態を発生させることになる。つまり、論理的に情報は論理的に取り扱うことができない、ということになってしまうのだ。

情報に内在するデジタル社会でのリスク要因

これはデジタル化によって急速に進む情報化社会において重大なセキュリティリスクどころか、その仕組自体を脅かしかねない理屈となる。現状では、情報をデジタル的に一義的に解釈することで、情報システムを電子的に制御できるようになっているが、それは情報の多面性を単純化するものであり、その意味で、情報システムに載っている情報は既にその時点で何らかの偏りがあることを示している。それは、典型的には手書きの書類なら筆跡鑑定などが可能だが、活字化してデジタル化してしまえばそれができなくなるということになるし、また仮にそのままデジタル化したとしても、そのフォーマットが再生できなくなったらもう使用できなくなってしまうと言った様々な問題を抱えることになる。行政記録などは、間違えた、などとして一括消去などのリスクがないともいえず、記録の抹消改竄はやりやすくなる可能性すらもある。

情報多面性とその処理の困難さ

少し話が逸れたが、情報の多面性を論理的に扱うためには、多面性のそれぞれの面ごとに独立の論理を打ち立て、それがそれぞれの観察者にとって理屈が通じるようにする、という多面論理性が求められることになるだろう。それは、現状のような情報のデジタル化による一括論理性構築の手法ではなかなか処理しにくいことになりそうだ。もっともデジタル処理自体は0と1の非常に単純な構造なので、工夫次第では何とでもなるのだろうが、プログラムのあり方が、デジタル的に定義されたオブジェクトを中心としたオブジェクト指向の手法では、オブジェクトの多面性という処理は難しそうで、そこに根本的なパラダイムシフトが必要となりそう。オブジェクト指向でオブジェクトの相互依存が定義された時に、それはオブジェクトの性質を固定しないと動かないが、多面的オブジェクトだと、その間に別の処理を進めることもあるわけで、そこで情報の混線が起こってしまう可能性が出てくるからだ。一方で、オブジェクトを複数に分けてしまえば、その同一性確認が難しくなる、ということになる。デジタル的な処理ではif~elseの二者間分岐の直線的繰り返しでの多数分岐となるので、多面性処理の間のタイムラグにセキュリティリスクが生じる余地がありそうで、この処理は、もしかしたら、CPUレベルでのコア分岐など、ハードレベルでの処理が必要になるのかもしれない。ただ、ハードレベルでの分岐となると、一旦戻っての処理がしにくくなる。デジタル処理自体の直線性の問題だと言えるのかもしれない。

情報の性質の再定義は情報化社会の局面を一変させるかもしれない。活発な議論が期待されるところだ。

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