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広島から臨む未来、広島から顧みる歴史(11)

選挙制度について

前回普通選挙法が導入されたときのことを少し書いたが、それにかけてのVisionary Essayとして、選挙制度についてまとめてみたい。

日本選挙制度の歴史

まずは、日本の選挙制度の歴史をみてみたい。その始まりは、明治7(1874)年に、民撰議院設立建白書が提出されたことだと言える。そこから長い議論を経て、明治22(1889)に大日本帝国憲法発布され、衆議院議員選挙法も制定されて、ようやく選挙制度が導入された。最初期の選挙は、満25歳以上の男性で直接国税15円以上を納めている者だけに選挙権付与された制限選挙であった。翌明治23(1890)年に行われた 第1回衆議院議員総選挙では、一部完全連記制の2人区を含んだ小選挙区制で、記名投票によって行われた。この制度は明治31(1898)年8月の第6回衆議院議員総選挙まで行われ、この結果の議会が任期満了まで続くと、その次は直接国税納付額が10円に引き下げられたため、有権者数が倍増し、定数も76議席増え、376議席となった。選挙制度は、秘密選挙が導入され、府県を基本に市部に独立選挙区をおいた大選挙区制で、郡部を大選挙区としたこの制度は地方自治をどうするのか、ということを模索しながら考えられた選挙制度だといえそう。

小選挙区のもたらした混乱

大正9(1920)年の第14回衆議院議員総選挙では、直接国税納付額が3円に引き下げられ、有権者数はさらに倍増した。選挙制度は小選挙区が導入されたが、これが日本社会に大混乱を引き起こしたのだといえそう。これによって前回までの地方自治を視野に入れた選挙制度の模索が、全国一律での制度へと変わったからだ。この改革を行なった原敬内閣は、初の本格的政党内閣とされるが、納付額制限を緩和の上小選挙区を導入して解散し、それによって政友会が圧勝したことで、民意の暴走に歯止めが効かなくなったのだといえそう。小選挙区では政党の力が強くなるので、初の本格的政党内閣とは、政党独裁への道が開かれたことを意味する。ある意味で、大政翼賛会への道はこの時準備されたと言えるのではないだろうか。原敬は結局理由不明のまま刺殺されるが、一つには八八艦隊計画とワシントン海軍軍縮会議との兼ね合いで、誰かが責任を取らないと国内と海外との間で説明を繋げるのが難しくなったということがありそう。また、昨日書いたような西原借款の扱いで、相互預金で密着し、一蓮托生のような状態になっていたかもしれない銀行制度をどうするのか、ということについても答えを出しにくくなったのではないか。結局この制度の下では、内田康哉臨時総理、高橋是清内閣、やはり中途で亡くなった加藤友三郎内閣、再び内田康哉臨時総理、関東大震災を挟んで山本権兵衛内閣、そして、超然内閣で選挙管理内閣とも言われた清浦奎吾内閣による任期満了選挙の第15回衆議院議員総選挙に至り、大正デモクラシーとも言われるが、混乱した時代を彩った徒花のようになった。この選挙では、小選挙区なのにも関わらず、多数の政党が乱立して票が分かれるという結果が出て、政党政治なるものへの反発が強く出たと言えるのではないだろうか。

普通選挙、そして現在へ

そこから普通選挙制度導入に向かって動き出すことになった。結局普通選挙制は治安維持法とセットで導入されることとなり、選挙制度自体は中選挙区が導入され、戦後すぐの第22回衆議院議員総選挙で大選挙区制が導入された以外は、平成6(1994)年の小選挙区比例代表並立制導入までずっと続くことになった。一方、戦後から選挙が行われるようになった参議院では、昭和55(1980)年の第12回参議院議員通常選挙までは地方区と全国区の一人二票の大選挙区制、それより後は地方区と比例代表制という選挙制度が取られた。

小選挙区制

では、それぞれの選挙制度について考えてみたい。まず小選挙区についてだが、これのメリットは二大政党制を作り、意志決定を早くする、ということに尽きると考えられ、今のようなデジタル社会とは非常に相性が良いというべきか、とにかくデジタル的処理を社会全体で行いやすくする制度だといえそう。個人的には、意志決定はYesかNoかの二者択一で何とかなるものではなく、もっと微妙なニュアンスが多様に存在するものだと考えており、だから、そのように単純化された制度に何のメリットがあるのか、その意義を見出すのは難しい。

中選挙区制

ついで中選挙区だが、Wikipediaから引用したい。

前者・後者ともに 考案者は、林田亀太郎とされている。林田は、小選挙区制は多数派の代表のみが選出されることを問題視し、累積投票を元にこの制度を考案した。単記移譲式投票は性能が良いが複雑であり、政党名簿式は無所属を排除するゆえに、選挙の経験の少ないうちはさしあたって中選挙区制が望ましいとした。

Wikipedia | 中選挙区制

選挙制度を複雑化させれば、多様な民意を反映する方法は何か出てくるのかもしれないが、それは選挙による試行錯誤を経て、ということになるのかもしれず、いつまで経っても結論が出ない、ということになりそう。個人的には代表制間接民主主義自体に限界が来ていると思うので、選挙制度というより、民主主義のあり方自体が問われているのではないかと考えているが、いずれにせよ選挙を行うのならば、差し当たって中選挙区制が望ましい、という考えには同意する。

大選挙区制

大選挙区については、どのような投票をするかによってその性質は大きく変わってくる。Wikipediaからみてみると、

完全連記制(Bloc voting):選出する人数分だけ候補者を選ぶ方式 。
制限連記制 (Limited voting):選出する人数より少ない人数分の複数の候補者を連記する方式。
ボルダ得点 (Borda count):各候補者に1位、2位、3位、と順位をつけて投票し、それぞれの位に応じてポイントを割り振り、ポイントが多い順に当選する方式。比例代表になるよう改良された種類もある。
単記非移譲式投票(Single non-transferable vote):当選者数に関わらず、一人の候補者だけを選んで投票する方式 。
単記移譲式投票(Single transferable vote):優先順位を記述し、その選好によって票が移る方式 。単記でも連記でも順位をつけることができるが、票が生きるのは一つの候補に対してのみである。
認定投票 (Approval voting):選出する人数に関係なく自由に単記・連記できる方式。 多数代表になるのを避けるために調整が加えられることもある。
累積投票(Cumulative voting):複数の候補を選んで投票するが、一つの候補に票の価値を集中させることもできる方式 。

Wikipedia | 大選挙区制

といった方式があるようだ。考え方としては、一人一人の票の重さが均等になるようにした上で、方式自体は個々人が選ぶ、というあり方が模索されても良いのでは、という気もするが、それはかなり複雑なことになるので、インターネット投票でも採用されなければ集計不能になってしまうだろう。

比例代表制

最後に比例代表については、政党を主として考えた時にはかなりフェアなやり方だと感じるが、それは人ではなく政党を選ぶことになり、間接民主制がさらに間接になり、ますます政治が人と人との関係から遠のいていってしまうように感じる。そして、政党の力が強くなると、それは必然的に中央集権的な圧力が強まり、地域的な多様性や個々人の微妙なニュアンスというものが失われてしまうのではないかという危惧がある。

理想としての直接民主制

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