試練の始まりは七夕から
私は夫と2007年の7月7日、七夕に入籍した。
11回目の入籍記念日。
2018年7月7日の午前11時頃、妹からの電話。
「今〇〇医院なんだけど、話があるからババ(母)と今から行ってもいい?」
何だか深刻な様子で、胸騒ぎがした。
妹には子供がいて、私も既に2人の子供がいた為、私達は母の事を「ババ」と呼んでいた。
〇〇医院から私の家までは車で5分程。
妹と母が家に来るまでの間、私はモヤモヤしながら何があったんだと考えた。
父の事が思いついた。
きっと父の体調が悪化したのだろう。
それしか思い当たる節はなかった。
こちらを読んでいただければ、私が何故そう思ったのかお分かりになるはず。
妹と母が到着した。
妹の子供も一緒だ。
家には私の子供達もいた。土曜日でお休みだったので。
「子供達は上の部屋に連れて行って」
妹に言われた通り、子供達は別室へと移動させ、妹と母と私はリビングの椅子に座った。
「私、癌みたい」
いつもの明るい自分を装いながら、母が言った。
母の言葉に対して、私は何と言ったか覚えていない。
父の事だと思っていたのにまさか母が?!そう感じたのは覚えている。
母が癌になるなんて、微塵も想像した事はなかった。そんな想像がつくような母ではなかったから。
母も、「まさか私が癌になるなんて...」
そう言った。
母の家系には癌になった人はおらず、自分が癌になるとは思っていなかったようだ。
戸惑う私を前に母は、
「大丈夫、大丈夫」と明るく振る舞った。
子宮体癌の可能性があるとの事だった。
だから、手術で癌をとってしまえば大丈夫、そんな感じで母は言った。
自分が癌になるとは思っていなかった母は、癌の可能性と診断をされ、かなりショックを受けたはず。そんな自分を奮い立たせる為と、何より私達に心配させたくないとの思いで、気丈に明るくしていたんだと思う。
それが母の性格だ。
事の経緯を聞いた。
半年前から出血があったとの事。
少し前にようやく妹に打ち明け、一緒に病院へ行ったと。妹と母は同居していた。
半年間の間に何度も母に会ったのに、何で早く言ってくれなかったんだろう。メールでも良かったのに。
「何でもっと早く病院へ行かなかったの...」
私はボソっと言うのが精一杯だった。
母は誰かに弱音を吐けない、頼れない性格だった。母の性格を知っているので、責める事はできなかった。
寧ろ、頼りになれなくてごめんね、と思った。でもそれは伝えられなかった。
診察をしてくれた先生は、私と妹が産まれる時もお世話になった、熟練の先生。
「Mさん、これ癌だよ」
正確な癌の診断は、生体検査などが必要だが、診ただけでその熟練の先生は癌だと言ったそうだ。
すぐに大きな総合病院へ行くようにと、紹介状を書いてもらった。
現状の話を聞き終わり、子供達も連れて近所のラーメン屋さんへお昼を食べに行った。
何も知らない子供達。いつものように賑やかだ。
大人の私達は、母が癌かもしれないという恐怖感でいっぱいだったが、子供達の無邪気さに救われる。
その日から、私は母の癌の事で頭の中がいっぱいだ。