【創作小説】受験に崇高な高校〈改訂版〉
桐原直樹は、バスケット部の主将でエースだった。部員の面倒見もよく、バスケットの腕だけでなく、人望厚い。成績もよく、将来を嘱望されていた。
そんな直樹は、スポーツ特待生として、冬星学園高校の推薦入学を希望していた。実力は学力もバスケットの能力も充分。勿論、生活態度なども良く、バスケット関係者各位の評判もよかった。
高校バスケの頂点で、NBAバスケにも縁の深い冬星学園高校への桐原直樹の推薦入学は、周囲にはもう当然なことと見なされていた。
それだけ、直樹の将来のレールは確実なように見えていた。
冬星学園高校で活躍した直樹は、やがて米国留学し、世界で活躍するだろう……
そんな青写真を胸に直樹は高校生活を夢に見ていた。
ところが。
そんな直樹の希望をよそに、冬星学園高校のスポーツ推薦の枠は、隣の中学の沢村慧に決まってしまった。受験戦争の真っ只中12月半ばのことである。
冬の淡い光のなか、直樹は肩を落とし、誰の目にも落胆の影濃く、ひとり街道沿いを歩いていた。自分のどこが悪かったのだろう?
通りの向こうから、一人の紳士が歩いてくる。
見覚えがある。
その紳士は、冬星学園高校受験面接のとき中央に座っていた。のちにホームページで調べると、冬星学園高校理事長だった。
彼は、気がついた。
「あ、君は……」
直樹は、すこし恨めしげな目で、その紳士にお辞儀をした。
「今回は、済まなかったね……」
直樹は、紳士と一緒に街道沿いを歩いた。砂砂利を積んだダンプ、軽自動車、乗用車、タクシー、バスなどが引っ切り無しに往来していた。
直樹は、納得できない心持ちを紳士にぶつけようかどうか迷っていた。
「あの合否結果に、憤懣やるかた無い、と言った風だね」
紳士が言う。街道のクラクションが鳴る。
紳士の眉間に苦悶の深い影があった。
「無理もない。君は、たしかに合格者内定だったのだから」
直樹の額にひやりと冷たい汗が走った。
「……僕には、知る権利があります」
直樹は、拳を握りしめ震わせた。
紳士は、重たいコートに身を包まれて悲しそうな目をしていた。
「こんなことを云うのも何ですが、もしかして……不正が働かれたのではないですか⁉ 」
直樹の暗い感情に歯止めが効かず、ついこんなことを口走ってしまっていた。
「教えてください‼ 」
直樹の目には、悔し涙が流れていた。
その涙に、理事長である紳士は悲しい目をして怯んだ。
「もしかして、あれは裏口入学だったんじゃないですか……? 」
まだ、中学生の直樹は真っ直ぐな目で、祈るように理事長を見た。直樹の目には、チラチラと暗い炎が燃え、返答を聞いて問い正したい強い意志が溢れるようだった。その真摯なすがるような目を見て、理事長は常日頃、心の中に悶々としてきたことを告白しようか迷った。
「僕は、なぜ……」
直樹は、俯き手を握って震えていた。
理事長は、そのまだ中学生だががっしりとした体躯の肩を震わせる直樹をただ見ていた。
「場合によっては……」
直樹は、冷たい炎をその瞳にフラッシュさせた。
「場合によっては、調べてもし不正を働いてたら、訴えてもいいですか⁉ 」
遠くでいきなり消防車のサイレンがけたたましい音をたてて近づいてきた。
けたたましいサイレンの消防車が通り過ぎていく。さらに、救急車がそのあとを追い駆ける。
直樹の目からは涙が溢れ、その腕で涙を拭った。実に口惜しそうにその肩は震えていた。
「仕方ない……」
紳士は、諦めようと口を開いた。
「君には、話したほうが良いかもしれない。あれは、不正ではないんだよ」
直樹は、なお、深い疑問とショックを受けて紳士を見た。
紳士は、口を重むろに開いて話しだした。
「あれは、一、二ヶ月前のことだった……」
紳士……理事長の話ではこうだった。
その頃、推薦入学の応募締め切りが終わり、合格者の選定が進んでいた。
当初の誰もの予想の通り、桐原直樹は誰もの推薦で、推薦入学の特待生に決まる流れだった。
ところが、その頃、理事長は道端でお婆さんを助ける新聞配達の中学生に出会ったのだった。その中学生は、くたびれた服を着て、大きな新聞紙の束を抱えて、水溜りに嵌ったお婆さんの歩行機を助け上げているところだった。時間が掛かる。理事長は、思わず、自分も助けに参加した。二人は、泥まみれになってお婆さんを助けた。
二人で、やっとお婆さんの歩行機を水溜りから救出すると、その少年は、ニッコリと笑って去ろうとする。
理事長は、そのくたびれた服を着た少年が気になって、その後素性を調べた。
その少年は、沢山の妹や弟を抱え、シングルマザーの母親の生活を扶けていた。新聞配達のアルバイトをしながら、これだけは、と頼んでバスケットをしていた。
その腕前は相当なもので学業の成績もかなりのものだった。
理事長は、その少年のバスケットの部活の場も訪れた。どこか気になる。あの優しい気性も、この頃では珍しいくらいの善良な心掛けも、その少年が、どんな選手なのか。
その少年は、ところがそれがとんでもない逸材だった。
元々のバスケの才能に加え、中学でバスケ部に入ると、その弱小だったバスケットチームを、三年の間で、チームをこころ一つにして、みごと纏め上げ、自分のバスケットボールの研究を余すことなくチームに伝え、先日の夏のインターハイで、それまで県大会一回戦負けのチームを、全国ベスト8まで叩き上げたのだ。
ところが、彼はインターハイで中心になった直樹ほど実績を謳われなかった。周りを活かすことにばかり一生懸命で、実績がなく、スカウトの目に漏れがあったのだ。
その少年の活動や試合、それらの記録を見て理事長は唸った。
そして、その少年は、ある高校の推薦枠で、スポーツ特待生に希望を出していたのだが。
他の高校へは、学費の工面が付かないので、その高校に入るしかなかった。他の高校では、学費が払えない。
その高校に入れなかったら、中卒、ということになるのだと。
この少年は、チームを、そして彼自身の可能性を上げることではポテンシャルがかなりなツワモノ。ところが、このままでは、中卒で終わってしまう。
理事長は考えた。実績、実力ともにあり、他でも自力で高校進学の叶う桐原直樹か、このままでは中卒で社会の荒波に放り投げられてしまうその少年か……選考委員会にかけた。
「桐原くん」
街の灯りが点き始めていた。
師走の街は、次第にざわめく。
「私たちは、考えました。これは、桐原くんにとっては、とても残念なことです。しかし、私たちは、一人でも多くの若者に……、将来ある若者に、可能性を残したい。心意気ある、素晴らしい才能溢れる若者にすこしでも灯りを点したい。それで……」
「それで、僕を落として沢村を入れたんですね。その新聞配達の少年、沢村を……」
「そう、……その少年は、沢村慧くんだ」
先ほどの救急車が、怪我人が出なかったのか、ライトも点けずに来た道を走り帰ってゆく。ゆっくりと、ゆっくりと……
直樹は、うなだれて、ただ、うなだれて、先ほどとは違った手の震わせ方をしていた。しかし、その影は今はあたたかい空気が包んでいた。
「桐原くん……、済まない……」
理事長は、続けた。
「家庭環境で、進学が出来なくなる沢村くんは実に惜しい。けれど、君は一般入試で我が校に来れる。来てくれないか。虫のいい話かもしれないが……そして、沢村くんと競い合ってくれないか。君たちは、きっと良いライバルになる。そして、NBAへ……」
直樹は、すっきりとした表情で、きらきらと理事長を見返した。
「いえ、……」
理事長は、はっとして顔を見上げた。
直樹は、そして、一呼吸おいて、
「済まないなんて……、聞いて、よかったです! あなた達の、あなた達の決定に!! そして、沢村くんに…、僕は、これから、一生懸命勉強します!! そして、……!! 」
おわり
トップ画像は、
横田 裕一/写真家 さんの作です。
ありがとうございます。
©2025.1.1..山田えみこ