見出し画像

【短編読切小説】薬屋の裏切り

 小林敦子は、中小企業の経理課に勤める会社員だった。シャープな銀ぷちのメガネにショートのボブで、いつもの様に内科医から処方された薬を持って家に帰り着いたところだった。

 コホコホとかすれた咳をする。

 彼女は喘息持ちだ。時間は、もう午後8時を回っていた。

 敦子は、少女時代からの喘息持ちで、慢性のもので、常に吸引のステロイドと服用の薬を絶やすことが出来ない。

 窓の外には、中秋のうつくしい名月がかかっていた。月を観るとすこしは一日の疲れも取れるような気がした。
 
 鞄から、喘息のステロイドや内服薬の薬を取り出そうとすると途端に大きくスマホが着信音をあげる。

(プルルル……プルルル……)

 着信画面は、さっき出て来た薬局。

「はい? 」
「あ、小林敦子さんですか? 申し訳ありません」
「はい、何でしょう? 」
「すみません、あの……」

 薬局の薬剤師はためらった。
 それもその筈。その薬局は、とんでもない間違いを犯していたのだ。

「なんですって⁉ 」

 敦子は、冷たい汗を流し、声を荒げていた。会社の部下にもあげないような激しいものだった。

 薬局の薬剤師の話ではこうだった。

 内服薬をまとめた袋(一回ずつに分包)のなかの薬が一つぶが、薬を分包する台の上に落ちていた、というのだ。敦子のいつも飲んでいる内服薬の一部の薬だった。分包から外れたのか……。それがないと、敦子の症状は当然悪化するもの。

 敦子の薬の分包のなかで、その一つぶが足りないものが無いか、確かめてほしい、と。

 敦子は、あわてて鞄のなかを漁った。
 薬の袋を取り出し、分包を一つ一つ確認する。そして……
「あった……」
 そのなかの一袋、一錠が足りていない袋があったのだった。

 烈火のように怒り、敦子がスマホを取り上げた。手が震える。こんなに怒ることは、普段、部下のときでもあり得ない。
「なにやってんの! 」
声も震えていた。
「ひどいわ!! あなた達、職業意識はあるの⁉ 」
「すみません……」
電話の向こうの薬剤師は、蚊の泣くような声だった。
「すみませんじゃないわよ! 今度から、そちらの薬局は使いません!! 」
と、言って敦子はスマホを切った。手が震えていた。そのときの敦子は非情だったのだ。

   *      *      *

 二週間が過ぎようとしていた。小学校や自治体のグラウンドのあちこちから、運動会の歓声があがっていた。

 敦子は、また通院のタイミングを迎えていた。少々、この頃の激務で疲れていたが、薬が足りないので一日早く行き、クリニックから出ると、駅までの道のりで考える。

(あの薬局、駅にもちょうど良くて、使いやすいのだよな……)

 ためらいながらも、利便性と人情で考える。
 自分も仕事でミスするのだ。自分のミスで部署を残業の憂き目にも遭わせる。経理課は一円でも合わないと帰れない。合うまで計算する。

 気がつくと、いつもの薬局の自動ドアを開けていた。

 いつもの薬局の薬剤師と、事務員がこちらを見て(はっ)とした表情をする。

 いつものように手続きをするが、その手つき、表情が明るい。

 敦子はすこし悪いような気がしていた。薬局員たちは、どれだけ憔悴していたのだろう。最近では、インターネットで星やレビューなどがあり、悪い口コミや評判を入れられたら命取りだ。しかも、敦子の薬の失敗は大ごとで、薬局にとってはそれを口コミに入れられると致命的だった。それを思って生きた心地もしない局員もいたに違いない。けれど、敦子は、口コミを書くような習慣はない。自分で行ってその場所を確かめるし、口コミが全部合っているとも敦子は思わない。

 けれど、一般的に「薬を間違えられた」と、書き込みをされたら……

 そんなことが、おくすり手帳や処方箋を渡しているときに敦子の心をよぎった。

「小林敦子さん……! お預かりします!! 」

 敦子は、ソファに座りながら待っていた。後ろでは、調剤の機械音と共に颯爽と動き回る薬局員の気配がする。

 秋の半ばの日差しがやわらかい。

「小林敦子さん……! 」
 敦子は、窓口に向かった。
「このあいだは、すみませんでした!! 」
事務員は、申し訳なさそうに顔を紅潮させている。瞳がすこし、うるっとしていた。

「いえ、あのくらいのことで、私もすみませんでした」
 幸い、分包で一つぶ足りないものは見つかり、それで、症状は悪くなることがあったかもしれないが、命に関わることではなかったのだ。

 敦子と事務員、会話をした。
 敦子は周りに(調剤のミスがあった)と分からないように会話をした。
 それから、薬局の対応は変わったのだった……
 
   *      *      *

 「小林さん……!! 」
行くたびに、薬局の局員が全員破顔の笑顔なのだ。こんなに昔から仲良かっただろうか? と、思うくらい。
「もうすぐ、クリスマスですね! 寒くなりましたから、お喉、お気をつけください‼ 」
 親しみを込めた温かい歓待だった。
 (大事なかったし……、赦してよかったのだ)。
 こちらも、胸が温かくなる想いだった。
 街にクリスマスソングが溢れていた。

   *     *     *

 冬の休暇にどこの店も入った。

 敦子は、発作を起こしていた。
 鞄のなかを探していたが、吸引器がどこにもない。さっき、道でカツンという音がしたが、そこで落としたに違いない。その場所に戻るがなにも落ちていなかった。

 クリニックへ行った。
 クリニックももう、休暇前の最後の受診日で、もう受診時間は終わっていた。

 途方に暮れて、道をたどった。
 呼吸は、苦しい。けれど、医師の処方が無ければ薬は出されないのだ。

 しゃがみこんだ。
 そこは、あの薬局の前だった。


 気がついたら、目の前に人が立っていた。
「小林敦子さん……」
 見ると、薬局の薬剤師だった。
「発作……です」
「大丈夫ですか……⁉ 」
「………」
敦子は咳込み、涙が出ていた。
「吸引器は、ありませんか? 」
「……無くしちゃったんです……」
薬剤師は、顔色を変えて……店を閉める用意をしていた薬局へ消えていった。

 「いま、救急車を呼びました。……けど、近くで火事があって大変らしくて……」
 薬剤師は、駆け寄って背中を擦ってくれた。そして……
 手のひらに真新しいステロイドの吸引器を持っていた。工面してきたのか? 医師が、処方箋を書かないと出せないのに……

「内緒です。倉庫からくすねてきました。使ってください」

「あなた、……法律違反になるのに……」
 敦子は、涙の浮かんだ瞳を向けていた。

「いいんです……」
 薬剤師は天使のように微笑んでいた。



             おわり

トップ画像は、
つかはらゆき| 漫画・Vファッション さんの
「みんなのフォトギャラリー用3」より
    使わせていただきました。
    ありがとうございます。
  

©2024.12.21.山田えみこ



いいなと思ったら応援しよう!