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【創作小説】ぼくたちの軌跡

部屋の片隅のティーテーブルの上に、街でもらった、読んでもいない広告の紙がある。
それは、ひらひらと春の風を受けている。
近くには、乾いたコーヒーの跡のこびり付いたコーヒーカップ。
コーヒーカップは、ソーサーの上に載って、たった一つ。
たった一つ。

となりに、食バンの欠片の残ったちいさな皿。
遠くで聴こえる、電車のフォーンという汽笛。

わたしは、……この、どこかわびしい彩色ない生活が、いつか終わるのを知っていたのか……


ちいさな工場。表札には「トメダ自動車」。

ツナギを着て、修理中自動車の下でスパナをリズムよく回すわたしの所へ、林係長がやって来た。

大きなくしゃみをいつも大袈裟にするので、彼だと判る。なんでも酷いスギの花粉症とブタクサの花粉症を併発しているそうだ。

「林係長!」
わたしは、車の下から顔を出す。
「おお、メグちゃん、もうすぐ正規雇用、申請が通りそうだぞ」
「ホントですか?」
「ああ、よく工業大学出てから頑張ってるな」
わたしは、工業大学、ーー自動車整備の専門の大学を出て、ここに非正規で就職し、正規雇用を申請していた。

林係長は、私の作業している車の近くへ来ると、
「おい、メグちゃん、新入りだ」
と、鼻を啜りながら言う。この人は、ハンカチやチリガミは持たないのだろうか。しかし、人柄は嫌いではないが。よく、居酒屋でお酒も奢ってくれる。勿論、下心でないようだ。他の社員も一緒に。

とにかく、上司、それも新入りの紹介。作業中でも少しくらいは話を聞かなきゃ。

作業中の車から出ようとすると、頭がボサボサの青年が、まだ、わたしの潜り込んでる車の下をヒョイと覗き込む。

「こんちはす、室井 秀(ひで)っす」

覗き込んで、わたしを確認すると、すぐに元の場所に戻ってフラフラとギターを弾くように身体を揺らす。

(?なに?このフラフラしたの……)

ちょっと、この行動に辟易。
まあ、時々こんなのは来るのだわ。先輩だけど、こちらから握手してやらなきゃ、こういう類は。

さっと、車の下から飛び出し、わたしは内心嫌々ながらもツナギの腿で、手を拭いて差し出す。

秀は、こちらも、さっと手を出して、握手をしたかと思うと、また、さっと引っ込める。そして、またフラフラとギターを弾くふり。

「えー、コホン。こちら、小野田メグさん。3年もここで勤務している紅一点。女の子なのに、自動車の資格で生きていきたいんだって。珍しいけどいいコだよ?何でも教わって」
「珍しいは、余計です」
私は、帽子をさっと脱ぐ。長い茶色のウェービーヘアが踊り出す。
はっ、と この男性陣はヒルンダ様子を見せるが、
「はいー!よろしくっす!」
と、秀は 急にハイトーンな声をして、輝くような爽やかな笑顔と歯を見せてにこっと微笑った

    ☓     ☓     ☓

ひたすら、わたしは、車の下でスパナを回し続ける。
まったく、何時になったら、この車は修理が終わるのか。ほんと、手強いことこの上ない。

「ちょっと、新入り」

「いえ、秀っす」

「そこの、ドライバー取って」

「せめて、室井と呼んで下さい」

「ドライバー!」

「ドライバーって、運転手呼べばいいんすか?」

わたしは、車の下からいきなり飛び出した。

「へ?ドライバーも知らないの?」

「えっ?工具?技術・家庭の時間、サボってたんで……」

「オトコだろ!」

「男尊女卑ですよ!?」

「逆‼」

わたしは、怒りながらスパナを回している。
室井 秀は、その近くでモジモジしている。
秀は、意を決したように、……

「……あの、……」

「はん……?」

「さっきの、ふぁさって やってもらえませんか?」

「はあ!?な、なにをいきなり!!」

「あの、帽子を脱ぐの、髪ふぁさっ!やって下さい」

「……なんで!」
わたしは、顔を真っ赤にして憤怒した。

「きれいなんですモン!」

「……」

相手にしても、仕方がない。こういうバカは上手く使うしかない。バカとハサミは使いよう。
「そこの、金屑まとめて捨てといて……」
再び、車の下に潜る。

「ふぇーくしょい!!」

大きなくしゃみの声がする。林係長だ。
「おーい、メグちゃん、新入りはどうだい?」
「……」
わたしは、困った顔で、作業中の車の下から出る。
「どうも、こうも、ドライバーも知らないんですよ?」
「ええ?そこまで酷いの?」
「なんで、雇ったんですか?」
「面白そうじゃん、ミュージシャンなんて」
「稼がせてもらえばいいっす!!」
「あんたは、黙ってて!」
「まあまあ……」
林係長は、なだめると、
「しばらく、様子を見て。なにか使えるかもしれないから……」
(使えねーよ)
と、わたしの心の中の反逆児的な文言も知らず、林係長は、素知らぬ顔で去っていった。

    ☓    ☓    ☓

車の計器を測りながら、わたしはチェック表に数値を記録していく。

「メグさん、メグさんの汗も、キレイっす」

「あんた、ここへオンナ口説きに来たの?」

「フフ……、芸術家は惚れっぽいんすよ」

「ああ、そう、惚れっぽいの。惚れたのね?」

「へへ……、はい!」

「へっ……!?」
(バターンッ!)

驚いてわたしは、近くの廃棄用の車のドアに引っ掛かって転んだ。運悪く、棒に脚が掛かって嫌な音がする。(ボキッ)。

わたしは、骨折した。左脚を。全治三ヶ月。腱も傷んでリハビリが要るそうだ。


    ☓    ☓    ☓


(だれのせいだ、だれのせいだ)

(こんな目にあうのは、だれのせいだ)

(なんで、わたしには親がいないの?)

(わたし、工業学校へ行く。資格を取ってひとりで生きていく)

(ええーん、ええーん。ええーん)

(遠くで声がする……あれは、泣き虫毛虫……と、言ってるの?挟んで捨てろ?)

わたしは、病室の中で目を覚ました。目の淵に冷たい涙。
中学時代の夢を見ていたのだ、な……

外は、曇っている。大部屋の枠の大きく張った窓からは、春の変わりやすい天気にねずみ色の雲が翻弄されていた。

隣のテーブルには、ちいさな菜の花が一本と、みたらし団子のパックが手もつけられず置かれていた。みどり色のお茶のハーフボトルも一つ。

反対側に目を向けると、心配そうな顔をした林係長と室井秀の顔があった。

「眠ってる顔も麗しい……」
「おい、新入り。少しは慎め」

林係長にたしなめられて、秀は少しがっかりしたような顔。

「全治三ヶ月だって。困ったね。うちは、非正規には労災が無いんだ」
林係長、まさにこれが、というような困り顔。いや、本当に心配しているのだ。わたしは、申請はしてるが非正規雇用の社員だったから。

顔が青ざめてきてくるのを感じる。わたしは、その日暮らしのようなもので、貯金は殆ど無い。三ヶ月……生活の危機……。

「あ……」

秀が、夢から醒めたような顔をした。

「ごめん……」

わたしは、諦めを付けようとして言った。

「いいのよ」

……、三人の間に、春の虚しげな風が吹く。
カサカサと、みたらし団子のプラスチックに窓のカーテンが触れる。カサカサ。

「……、骨は拾ってやるからさ」
林係長とわたしが秀を凝視する。突然なに?

「死んだら、骨は拾ってやるから安心して……」

「勝手にコロすな……!」

わたしは、傍にあったみたらし団子とペットボトルを投げつけた。

    ☓     ☓     ☓

それから、来る日も来る日も、秀はわたしを見舞いに来た。責任を感じているのらしい。
同時に変な色気も感じる。目つきが、桃色のオーラを帯びている。気持ち悪くも感じ、少しは危機も感じたが、ここは病院。まず安心。暇で、テレビも面白いのが無いので、話相手にはしてやった。悪い子ではないらしい。

どうやら、芸術家肌で変わっているが、芸術家だけに純粋さは本物らしい。

歳を今更聞いたのだが、驚いたことに、わたしより二つ歳上。無邪気なので年下かと思っていたのだが。二十七歳。
秀には私の歳は明かさないが、わたしは二十五歳だ。ああ、まだ若いな。

その頃、友達は、自身の青春を謳歌していた。コンサートへ行ったり、映画を観たり、推し活や、クラブ、なにかの集まり、旅行、サークル、キャンプ、そして、イベント……。

恋人のいるコもいた。
わたしの高校からの友達は、専攻の関係で男の子が多かったけど、どうにも私に合う子がいなくて、誰とも付き合ったことはなかった。こう見えても「難攻不落の高嶺の花子さん」だ。

理想が高い訳ではない。ただ、お母さんを道連れにして、ちいさい頃死んだ父親が信じられず。
いわゆる男性不信というやつだ。信じられるに足るオトコがいない。それ以来、わたしは、養護施設で育ち、工業高校へ進み、働きながら夜間の工業大学へ進んだ。

(ああ、わたしはこのまま結婚しないんだな)。
一人で、一人で生きていくんだ。資格も持ってるし……。

隣で、秀がギターを爪弾いていた。なにか、記号のような物を紙に書き入れながら。
そういうときは不覚にも「カッコいい」と、思ってしまう。
指の節が太い。ノドボトケがやたら大きいのが色っぽい。何処か浅黒くて、色っぽいオトナを感じる。ツナギを着ているときには観察なんかしなかったけど。

「すみません、ギターの音、煩くないですか?」

と、秀が、まわりに気遣うところが、わたしの予想を裏切って、自分勝手な人ではなかった……。
ちゃんと、まわりも考えるとこあるんだ。

秀が、爪弾くギターは、途中で記号をしたためるときに途切れても、心地よい感じで切れる。わたしの実家の隣でピアノの練習をしていた女の子は、途切れ方が煩わしい感じだったが。

秀は、心地よい感じで切れる。夏に殺人したく(比喩)なるようなピアノの事件と程遠い音楽の世界。

時々、秀を見てると、美術の時間に見たような、ホリも深い顔でエキゾチックなんだ。やっぱ、プロのミュージシャン目指すだけあって、ルックスというのも……

なんて、秀の良いところだけがクローズアップされてしまう。どうかしている。オバサン達のなかの寝たきり生活でオトコに飢えたか。

わたしは、心のなかで自分に喝を入れた。

    ☓     ☓     ☓

また、今日も秀は来る。自分も生活で苦しくないのか?バートに来るくらいなのに。なんで、会ったばかりのわたしのためにこんなに会いに来る。責任感も強いのか?

    ☓     ☓     ☓

秀に、買ってきてくれたコーラのペットボトルを投げつける。
わたしに、ゲップをしろというのか。

    ☓     ☓     ☓

今日は、秀は来ない。
どうしたというのだろう?

    ☓     ☓     ☓

秀が、来た。ギターを担いでいる。
フォークギターというのだそうだ。
弦がすぐ切れるので、あまり使わないのだそうだ。
けれど、この方が音がいい。聴かせたい曲のイメージに合ってる。聴いて欲しい、という。


「メグさんに捧げる歌……」

ギターの、音符の踊りが始まる。

(はじめて遭ったのは…

 モノクロームのメトロノームがリズム刻ん 
 で

 春を連れてきてくれた頃

 ほどけた髪の束がおどる時

 ひらめく感覚

 何が 僕をここへ連れてきたのか

 すべては 恋の魔物の術(すべ)

 しなやかな躰が かがむとき

 ピアノの雫のような音で

 きらめく汗がこぼれた

 夢に見る 君とレースのカーテンで
 戯れる夢 からみつく

 纏わりついて それが夢

 放り投げた

 すべての ためらい

 この想い

 この衝動

 君とがすべて

 明日へのおそれもそのままに


 夜が明ける 立ちつくす

 星のように消える

 抱いているのは

 道端に捨てられたホシクズか

 朝陽に残る 昨日の悔恨

 うたかたの夢 好きなのは


 君だけなのに 君だけなのに)



私は、黙って聴き入ってしまった。メロディーは、とても魅力的だったけど……
ギターだけで、これほど聴き入ってしまうのは初めてだ。

詞は、……訳わかんない。

「なんか、『メトロノーム』って何?」
「音楽で、リズムを刻んで教えてくれる機械っすよ」
「『モノクロームのメトロノーム』てのも、なんかラップみたいなのが混ざっててダサ!」
「あ、だめっすか?」
「なんかね……」
「はいー!」

(……あ、そう。あ、そうなの……素直。けど、……秀は、やっぱり……、ミュージシャンだったんだ……)

こころが、少し きゅん と、した。


    ☓     ☓     ☓


ここは、夢の中か?
まわりは、真っ白。

中心の水溜まりに、わたしは屈み込んで覗き込む。傍にあった棒で水溜りの真ん中をつついて波紋を起こす。

秀は、いっぱしの曲を作っていた。
ちゃんとデビューを目指して頑張ってるんだ。
ミュージシャンなんだ。

そういえば、綺麗だったな。秀の横顔。
鼻筋がすっきりしていて、わたしみたいな団子っぱなではなくて。
よく見ると、波紋の収まった水溜まりに映っているわたしは、
薄汚いツナギを着ていた。工場のツナギを着ていた。油まみれで、汚くて、とても、とても……
秀のような綺羅びやかな世界には、似合わない。とても似合わない……

「世界が違うんだ……」

首を振った。

「わたしは、何を勘違いしてたんだろう。秀みたいな派手な世界の人が、わたしとやっていける筈がないよ。親切にしてくれるけど、わたしも、淋しいから……退屈だから、話ししてたけど……」

屈んだ膝に頭を埋めて、わたしは気分が潰れた。頬が、ひとすじ温かい感覚が伝う。
(ぽつん)

ピアノの雫のような音で

涙が零れたんだ……


   ☓     ☓     ☓


秀が、また来ない。
来ないの……
やっぱり、わたしには…… 


   ☓     ☓     ☓   


あんな、女たらしな曲を聴いたからって、気持ちがぐらぐらするなんてどうかしてる!
私は、発情期か。
結局、これからは年増の悲しいオンナになっていくんだな。ちょっと、いいオトコに、いいコト言われるとぐらぐらする。みっともないぞ。て、わたしは、若いが。

わたしは、男なんて信じないぞ。お母さんは、浮気なんてしてなかった。ただ、わたしのクラスのお父さんに、わたしの運動会の写真を分けてもらっていただけなんだ。
二人で仲良く話してたからって、「浮気」と間違えるなんて、とても了見が狭い。勘違いだよ。お父さんは、毎日の疲労で、どうかしてたんだ。そりゃ、お母さんは、すごい美人だったよ?けれど……、信じてあげたって……

何も、お母さんを殺して自分も死ぬなんて……

「くっそー!畜生ー!」

わたしは、リハビリ室の補助バーに捕まって奮闘していた。昔のことを考えながら。やはり、身体を動かすといい。すこしは、悩みが飛んていく。健康的な方へと傾いていく。

負けるな!自分!
負けるな!おひとりさま女性の人生!(まだ、若いけど) 
独りでも、最近は人生をうまくやってる人、多いじゃないか!
たのしく、ラクに快適に生きてる人、多いじゃないか!
どくしんバンザイ!っだ!

わたしは、根性入れてケガした左脚を伸ばしてみる。

「うおおおおー!」

破裂しそうな痛みが走る。
「くぇー!」

少し、脚の緊張を弛めて、休みをいれる。

「ゔあー!」
再び、チカラをいれる。

「小野田メグさん、美人なんだから、そんな声出さないでくださいよ……」

メディカルトレーナーに言われるが、

「ほっといてください!」

わたしは、くいっとアクエリアスを飲み干した。


    ☓     ☓     ☓


もう、秀が来なくなってから何週間も経つ。雨の日と晴れの日と、様々な日が過ぎていくのを見送った。

秀が、来なくなった……


    ☓     ☓     ☓


あれから、三ヶ月経った。わたしは、無事退院した。

病院の玄関を、看護婦さん達に見送られて去っていくわたし。若くてきれいな看護婦さんが、手を振ってくれる。

わたしは、国道沿いをとぼとぼと歩いていく。ボストンバッグを抱えながら。

とぼとぼとぼとぼ歩いていく。

借金が膨れ上がっていた。取り敢えず、高額医療費になる為、高額医療費制度を使って、入院費はある程度は抑えられていたが、アパートの部屋代、その他、貯金が切り崩され、マイナスになっていた。その日暮らしで、満足してるんじゃなかった。「宵越しの金は持たない」なんて、どこのええかっこしいが言ったんだか。

空を見上げる。蒼く晴れている。白い雲がわずかに空に浮かんでいる。夏が近い。わたしの嫌いな梅雨は、もう明けかけて、むわっとする湿気と、蒸し暑い気温が忌々しくまとわりつく。

国道沿いに緑に覆われた公園が現れる。ちいさな子供連れの若い母親。わたしと同じ年頃の母親もいる。母と子。微笑ましく幼児が駆け寄っていく。お母さん……

わたし、借金背負っちゃったよ。三十万。今まで一人で突っ張って生きてきたのに。それで、よかったのに。やっぱり、一人じゃ……

ふらふらと公園の近くを通り過ぎ、彷徨い続ける。どうしよう。わたしの友達には、女の子が殆どいない。転がり込んだら、一応オトコだ。友達でも何されるか分からない。アパートは、とっくに解約されている。

ふと、見上げると、そこにはネットカフェがあった。

   ✕     ✕     ✕

ネットカフェで、いそいそと会員証をつくり、機械を操作して中に入る。一番安い、入口近くのソファ室に決めた。シャワー室も、ドライヤーもある。ドリンクバーも。
落ち着くまで、ここに居よう。
職場には、還れるかな。技術はあるから、また雇ってはくれるだろうな。こういうとき、資格があるのは強い。ああ、もう少しで正社員だったのに。

シャワー室で、シャワーを浴びて、出てくると、何故かオトコがやたらと室内をうろちょろしていて、こちらをちらちらと見る。ここも、気をつけないとキケン地帯か?

ソファ室の鍵をがちゃっと掛け、やっとひと息安心してつく。

暇だ。

わたしは、天然のウエービーヘアにする為、ドライヤーは掛けない。タオルで拭き拭きしながら、手持ち無沙汰で、室内のパソコンをいじり、インターネットを開ける。

わたしの好きな音楽分野……

急に、ひとつのワードが目に飛び込む。
「室井 秀、いきなりのデビューヒット!」
(は……?)
なんだ?なんだ?わたしは、何を引いた?
コンピューターの電源を入れ直す。
「最新のミュージックチャート……」
「室井 秀」
「室井 秀」
「室井 秀、デビュー曲がいきなりの検索1位!!」
「室井 秀、MV百万回再生!!」
(は……!?)
わたしは、「不思議の国のアリス」の世界にでも迷い込んだか!?
目をこすり直して、再び検索を続ける。
「室井 秀、デビュー曲『ぼくたちの軌跡』」
流れてきた曲に耳を傾ける。
「あ……」


はじめて遭ったのは…

モノクロームがリズム刻んで

春を連れてきてくれた頃

ほどけた髪の束がおどる時

ひらめく感覚

何が 僕をここへ連れてきたのか

すべては 恋の魔物の術(すべ)

しなやかな躰が かがむとき

ピアノの雫ような音で

きらめく汗がこぼれた


夢に見る 君とレースのカーテンで
戯れる夢 からみつく


纏わりついた それが夢

放り投げた

すべての ためらい

それが夢


この想い

この衝動

君とがすべて

明日へのおそれもそのままに


夜が明ける 立ちつくす

星のように消える


抱いているのは

道端に捨てられたホシクズか


朝陽に残る 昨日の悔恨

うたかたに残る 好きなのは


君だけなのに 

君だけなのに



わたしは、インターネット回線を閉じた。

秀が、夢を叶えた喜びとともに、
(秀は、わたしの手の届かないところへ行ってしまった……)


    ✕     ✕     ✕

まず、不動産屋まわりから始めよう。
住むところから確保するのが一番。取り敢えず、保証人のいらない物件を検索。ワンルームでもいい。マンションかアパート。肥るからコンビニが近くないとこ(すぐ買い物行っちゃうからね)。ユニットバス。料理には凝るから、キッチンは広め。布団は干せる南向きベランダ付き。オートロックシステム付き。駅から歩いて10分以内。平坦地。閑静な住宅街。エトセトラ……

ぱぱぱ……、と検索して、申し込む。
月8万。結果は……

審査に通らない(職がないため)。

……、仕方ない。めげないぞ。
取り敢えず、タウンワークを漁り、寮付きの交通整備員あたりを探る。入社祝い金10万円。これだ!
お金を稼ぐんだ。ちゃんとお金を。少しお金が溜まったら、また、前の自動車整備士に戻ろう。自動車整備士は、以外にお金になる。月30万は軽い。深夜シフトもある人間関係ドロドロの(偏見)看護婦よりずっとマシ。汚いって言われるけど、わたしにとっては、そこまで汚いものでもない。

今度は、その日暮らしをやめて、月5万は貯めなきゃ。少し、コンサートやカラオケ、お洋服なんかにお金を使いすぎた。

レッツ・ゴー!新生活!

わたしは、ネットカフェの一室から出て、シャワーを浴びに行こうとした。
オトコたちが、うろついている……
やめた。
身のキケンを感じる。早いとこ引き払って、交通整備員の仕事、申し込もう。


   ✕     ✕     ✕


わたしの、新生活がはじまる……
わたしの、新生活がはじまる……

浮き浮きしながら、面接に通り、社宅に入る。
キッチンの床が、ふかふかにフヤケていた。
畳の擦り切れた、6畳一間。西陽の当たる部屋。

(まど〜に、にし〜びが〜、あたる〜へやは〜♪)

歌いながら、はたきを掛け、運び込んだお布団を整え、その日は健やかに就寝。

    ✕     ✕     ✕

近くに商店街がある。
わたしは、リンゴや塩せんべいをたくさん買って、夜中の空腹に備えた。夜中のポテチほど、健康に悪いものはない。夜食にはリンゴ、塩せんべいだ。

(リンゴ追分〜♪)と、心のなかで歌いながら、リンゴの袋をぶら下げていく。
レジのおばさんが、
「ジャムでも作るの?感心ね」
と、褒めてくれる。うん、ここは、いい店みたい。

商店街のちいさな電気屋さんのテレビ画面に大写しに秀が映ってる。

「神曲、『ぼくたちの軌跡』が大ヒット!」

あわわわ……

いい気なものね、秀。
あれから、なんにも来ない。連絡、なんにも来ない。しょうがない。あなたは、雲の上に行っちゃったんだから。

会いに行っても、受け付けてもらえないだろうな。

怪我の保障をしろ、と言っても、意味のわからない恐喝かと思われるわ。やめとこ。

今ごろ、わたしに「メグさん、すきっす!」って言ったことも忘れて、同じ芸能界の女子のこと見て恋心やシタゴコロでも持ってるのか?惚れっぽい奴だったからな……可愛かったけど。そんな秀は。

明日から、仕事だ。


   ✕     ✕     ✕


仕事始めが、いきなり雨だった。
おいおいおい……。
私は、初夏の雨のなか、ずぶ濡れになりながら工場前の交通整理を始めた。鼻のてっぺんから雨が滴り落ち、半ばヤケ。

(あ〜め、あ〜め、ふ〜れふ〜れ、もっと〜ふれ〜♪)

「雨の慕情」を心のなかで歌いながら、交通整理。
目の前をアクアやフィット、ノートの軽ボックスの車たちが走っていく。
頭のなかで、彼らを分解しながら、懐かしの「トメダ自動車」に還る日を夢見る……

目の前を林係長が、歩いていく……

(?)
「ふぇーくしょい!」

わたしを見て、いきなりくしゃみをした。


    ✕    ✕    ✕


「メグちゃん、言ってくれれば、うちの会社に帰ってきてくれてもよかったのに。探したよ?」
と、林係長。この人情に涙が出てくる。
「ああああ、そんなに泣かないで。もう、大丈夫だから」
林係長は、慌ててポケットから、くしゃくしゃのグレーの今治タオルのハンカチを出す。
人情極まりない。有り難いよ。わたしは、林係長のハンカチで派手に鼻を噛んだ。
「メグちゃん、近くにアパート借りてやるから、うちの工場に帰っておいで。うちも、技術のある工員が足りなくて、困ってたんだ」
「でも、アパートまで、借りて……それじゃ、林係長の妾と思われますよ!」
林係長は、大笑いした。
「ははは……!大丈夫。俺は、そんなじゃないから。給料が出始めたら、ちゃんと、メグちゃんの名義にして。アパート代は、返してもらうよ」
わたしは、大きくうなずいた。

    ✕    ✕    ✕

「トメダ自動車」に帰ってきた。懐かしい「トメダ自動車」。こんなに早く帰れるなんて思わなかった。神様はいるんだな。いちおう。
私は、また、以前のようにスパナを回す。工場のラジオから、秀の歌声。あの歌が、ロングヒットだ。メグさんに捧げる歌。いや、「ぼくたちの軌跡」。

本格的に……本格的に……、あなたは、スターだ。わたしの手に届かない………。

    ✕    ✕    ✕

アパートに、時々、林係長が届け物に来る。
昨日は、梨。今日は、ぶどう。有り難いが、多分、肥る。
できるなら、米など持ってきて欲しい。季節は秋間近。令和の米騒動で、米が手に入らない。
あまり、しょっちゅう運んで来てくれるのも恐縮する。お返しができないから。けれど、林係長は、いつも、
「いいよ、いいよ、困ったときはお互い様」と、大手を振ってわたしのお辞儀にかえって恐縮する。
恐縮の応酬。ペコペコの仕合い。アパートの住人は、微笑ましそうに見ていた。

空が、高くなり始め、蝉はツクツクホウシに変わっていく。飛行機雲が、高く、鮮やかに伸びていき、ツバメは旅立ちに向けて旋回する。もうすぐ秋だ。豊かな秋。

道路を歩く。商店街へ続く国道。

通り過ぎるクルマからは、カーラジオから、秀の「ぼくたちの軌跡」が、聴こえる。ロングヒットになりそうだった。紅白に出るかも。

わたしの、頬から涙が伝う。
わたしは、いつの間にか、秀が好きだったのだな。
わたしを怪我させた責任を感じて、秀は、毎日のように病院に通ってくれた。
「骨を拾う」と、まで。
「骨を拾って」は、くれないんだな。もう、秀は……
わたしは、夏の上空の飛行機雲を見ていた。哀しい、透明に見える空。


   ✕     ✕     ✕


秋が深まり、樹々にタイワンリスが飛び交う。なんて、秋らしんだろ。秋にリス。うん、秋らしいな……。
わたしは、林係長と、喫茶「オリジン」に来ていた。これから、アパートの部屋の権利の譲渡だ。
「林係長、有難う御座います。林係長が、いなければ、わたし、ここまで来ていません。どうなっていたか……」
「いやいや、メグちゃん、君の頑張りだよ。よくここまで来たね」
「いえ、それにしても」
「いや、君も大人になった。来た頃は、鼻っ柱の強いお嬢さんだったのに」
「はは……、そうでしたか」
「うん……、メグちゃん……」
「はい……?」
林係長は、急に居住まいを正した。
コーヒーカップを手に取り、一口飲み、ポケットから、小さい箱を取り出した。
今治タオルで汗を拭き、
ビロード布に包まれた小さな箱を持ち。
喫茶店に流れる音楽の曲目が変わる。
「メグちゃん」
林係長は、咳払いをし、と、一言。
「結婚してくれないか?」
「は……!?」
わたしの、心のなかに、涼やかなちいさな風がびゅうと吹く。

国道沿いをわたしは、歩く。俯いて、少しゆっくりと。
(お母さん、わたし、プロポーズされたゃったよ。どうしよう?林係長は、悪い人じゃない。けど、恋愛って、もっと、どきどきして、ロマンチックなもんだと思ってた)
サーッと車がヘッドライトを照らして、走り去っていく。

(どうしよう?わたし、秀のことが……。けど、もう、一人でいるのはたくさん……。たくさんなんだ……)

ギターを弾くふりをして、フラフラと現れた秀。わたしの脚を台無しにしやがって。
それでも、いっぱしのミュージシャンの秀。ギターと歌と歌詞づくりが上手い、それ以外は、まったく人間的にヌケてる秀、けれど、可愛い秀、わたしより歳上なのに、可愛くて、ハンサムで、カッコいい秀。ドライバーも知らないアンポンタンだけど。

コーラを買ってくる秀。ギターを弾いてくれる秀。わたしに、わたしのための歌を作ってくれた。

この曲を、カラオケなどで、彼女に歌う男の子も多かった。女の子は、みんな酔いしれるよ。

秀、秀は、もう日本中のものなんだよ?世界も、秀の曲に注目して動き始めていた。その頃には。

秀……、秀……、秀……

秀は、とおくの人になってしまった……とおくの人になってしまった……

   ✕     ✕     ✕

年の瀬の準備が、あちこちで始まっていた。
年賀状の発売、おせちの予約、お歳暮、……。テレビでは、大晦日の紅白の発表が、もうそろそろ。
街中が、年末年始に向かって動き出していた。

林係長が、わたしの部屋に来ていた。今度は、みかんを山ほど持って。林係長の親戚には、農家か、八百屋さんがいるのだろうか?

こたつを出して、みかんを二人で頬張りながら、紅白のメンバーの発表の番組を観ていた。秀の名前もあった。こたつが温かい。こたつの上に、ふたつのカップスープが温かい湯気をくゆらしている。
画像のなかに秀が映り、秀は、歓びにきらきらとして見えた。わたしは、それを、ぼんやりと見つめる。


遠い目で。
微かに目を細めて。
林係長は、それをじっと傍で見ていた。


    ✕    ✕    ✕

林係長と、ウエディングドレスの打ち合わせに行く。話しは、早かった。3月には結婚したい、と言う。街中は、クリスマス・ソングが流れていた。ウエディングドレスを買ったあと、林係長の車の中で、カーラジオから、秀の曲が流れる。「ぼくたちの軌跡」。

「メグちゃん、いいの?」
と、林係長、唐突に。
「あ、なにがですか?」
「室井 秀だよ」
「……いえ、もう、昔のことです」
「僕でホントにいいの?」
「え?なにがですか?」
「結婚だよ」
「……大丈夫です。林係長、ホントにいい人ですから……」
「ホントに?」
「ホントにいいです」

車は、大きくカーブを曲がった。

林係長は、右ポケットを探り、長細い紙切れを出す。

「……ここに、室井 秀の年末コンサートの券が一枚ある。行って来なよ」

と、言って、室井 秀のチケットを手渡した。


    ✕     ✕     ✕


わたしは、秀のコンサートに来ていた。
ここで、お別れを告げよう。人知れず、心のなかで、秀とお別れだ。さようなら、秀。あの春の頃、ときめきをありがとう。わたし、ときめいた。ときめいていたよ。秀は、やさしい。軟弱なくらい。やさしくてヌケてて……、そして、ロマンティストだ。歌声が、伸びがあって、やさしくて、歌も、詞も、上手かったよ。わたし、隠してたけど、………惚れてたんだ。コーラをくれる秀に、惚れてたんだ。また、どこかで会うことがあったら、笑って言える。(好きだったよ。ほんとはね。けど、きみは、もう、遠くの世界の人。わたしは、現世の世界の人で、いいからさ……)と。わたしは、ここで、ここで、お別れを告げる。

舞台で、秀が、飛び出してくる。

シンセサイザーのピアノが踊る。

わっと、湧く歓声。

ほとばしる激しい感情。

秀の歌は、秀の歌は、こんなに熱狂させるんだ。

わたしは、覚えていた歌を、秀と観衆とともに熱唱する。
ぴょんぴょん跳ねて、熱唱する。
たのしい、たのしいよ。うん。秀!秀は、こんな、楽しい曲も作るんだ!

ひと通り、歌が終わる。みんなが、落ち着いたところで、秀が、ひとり語りを語り始める。ギターを抱え、爪弾きながら。
皆、耳を傾ける。

秀……

秀が、語り始めた。懐かしい語り口…… 
「みなさん、ありがとうございまっす。こんなに、たくさんの方に囲まれて、幸せものっす。ここまで来れたのも、やっと、ここまで来れたのも、ボク一人の力じゃない。色々な人がボクに力を貸してくれました……」
(ポロン)と、ギターを爪弾きながら……
(ポロン)
「ボクが、ここまで来れたのは……、ある女性との出逢いがありました」
(ポロン)
「ボクが、まだ、アマチュアでも、まだ名も売れなくて、地下でくすぶってた時です」
会場から、かすかにクスクスという声。
秀らしい……お茶らけて。
「ボク、車工場で働いてて、ドライバーも、スパナも知らなくて……」
(ポロン)
「そんな時、出逢ったのが……」
(ポロン)
その時、会場のわたしと、秀の目が合ったような気がした。
秀は、狼狽したように見える。
「……そんな時、出逢ったのが……」
(ポロン)
秀は、ゆっくりと一呼吸した。そして、語りだした。
「……メグさんと言うひとでした。彼女は、ボクにすさまじいインスピレーションを与えてくれた。けれど、ボクが 或る日、脚にケガをさせてしまって、それで……。一生懸命、時間を作って、お見舞いに行きました。けれど、ボクが、また、病院を訪ねた時は、もう、退院したあとでした。行方を探したんだけど……」
(ポロン、ポローン……)
「それ以来、みつからない。ボクは、その後、忙しくなっていきました。だから……」
(ポロン……)
「この歌を捧げます。だから、だから、ここで、勇気を出して、出てきてください。ボクのメグさん……」

「ぼくたちの軌跡」が流れる……。

はじめて遭ったのは…

モノクロームがリズム刻んで

春を連れてきてくれた頃

ひらめく感覚

何が 僕をここへ連れてきたのか

すべては 恋の魔物の術(すべ)

しなやかな躰が かがむとき

ピアノの雫のような音で

きらめく汗がこぼれた


夢に見る 君とレースのカーテンで
戯れる夢 からみつく


纏わりついた それが夢

放り投げた

すべての ためらい

それが夢


この想い

この衝動

君とがすべて

明日へのおそれもそのままに


夜が明ける 立ちつくす

星のように消える


抱いているのは

道端に捨てられたホシクズか


朝陽に残る 昨日の悔恨

うたかたに残る 好きなのは



君だけなのに

君だけなのに



「だれよー!!だれよ!メグっておんな!ゆるせない!!」
会場から、絶叫が。
やばい、ここから、名乗ったら、コ◯される……
わたしは、戦慄を覚える。
会場は、波を立て、うねっていた。けど……。
わたしは、汗を拭い、涙を拭い、ひとを掻き分け、掻き分け、秀のほうへ進む。こんどこそ、こちらから、……勇気を出して。

秀……、秀……!

秀は、歌い終えたあと、こちらに目の焦点を合わせた。泣いていた。

秀……、秀……!

わたしは、人混みをかき分けながら、絶叫した。

「秀ーーーっ!!!」


    ✕    ✕    ✕

 

その次の日、朝のニュースが流れた。

(室井 秀さん、コンサートで、大熱愛告白!「小野田 メグさんが、好きだ!!」)
(会場にいた、小野田 メグさんと、熱い抱擁。その場で熱愛宣言!!)
(小野田 メグさんも、告白を承諾。二人は、両思い!熱いおふたり!!)
(小野田 メグさん、室井 秀のかつての職場の上司!)
(神曲、「ぼくたちの軌跡」のメッセージ相手は、小野田 メグさん!!)
(メグさん、室井 秀さん!!おめでとう!!)
(おめでとう!!おふたり!!)


林係長は、この顛末を家で見ていた。
「やっぱりね……」
と、ため息をつき、テーブルの上のみかんをしまっていた。みかんが、ひとつ、ころり。


             完



©2024.8.30.山田えみこ









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