【考えたこと】結果がすべて?それとも、それまでの道筋が?それとも……
世の中に、会社のなかの仕事などで、「結果がすべては嫌だ。その道筋をみてくれ」という意見がある。しかし、反対に、「ちゃんとした結果をだして欲しい」という、主に管理側の意見があるのも事実である。
「結果にこだわる」のも、ある程度は必要だ。結果が出せなければ、組織は前に進まなくなる。しかし、「結果が出せなかったとき」は、その後が、私は、じつは大事なことだとも思うのだ。
例えば、クラシックの演奏などで、ソロで演奏に入った楽器があるとする。それが、ひとつ失敗をしたとき、それが、その楽器担当者が二度とそのソロを任されない原因になるというのは、とても問題なのである。
結果至上主義ならば、そうなるだろう。けれど、大事なのは、その「結果」を経験値に、次の演奏に踏まえ、成長すればいい。
たった一度の失敗で、その将来も何もかも取り上げるのはどうだろう。あまりに、人間として冷たいではないか?
そういうことが、待っていると思うと、人間小さくまとまって、あまり、大きなことができなくなる。それに、第一、萎縮して、まともに力が発揮できないことになる。
「結果がすべて」というのは、会社側としては、正直な要求だろう。しかし、それだけでは萎縮するのが人間だ。
しかし、「途中の道筋をみる」だけにするのも、私は、正しくないと思うのだ。
「途中の道筋をみる」だけにすると、「頑張ったけど、駄目だった。けれど、それでいい(頑張ったのだから)」と、なりかねないのだ。「頑張れば、失敗してもそれでいい」とは、かなり自己都合だと、私は思う。
道筋さえ、一生懸命やっていれば、何もならなくてもいいとは限らない。
そこには、改善の余地があっていい。
今までの道筋、経験、結果をすべて自分のなかに溶かし込み、これからの挑戦にぶつけるのだ。
もちろん、それは、物事の結果が成功に終わったときも同様だ。
成功した経験も次に活かす。そうして、どんどんグレードアップし、成長し、確かな足掛りにしていく。人間として深みを増す。
頑張るのは、誰もが同じ。しかし、その結果が失敗しても、成功しても、私は、その経験を踏まえて次の成功の糧にするのはとても大事なことだと思う。
要は、次に活かすことだと思うのだ。次に頑張るときにすべてを忘れなければいい。そして、良い結果に繋げれば、なおさら、いい。
それまでの、すべてを、次にぶつけるのが重要だと、私は思う。