動けないのは、自分が傷ついていたことへのいたわりかもしれない
大学生の頃、日によっては大学に行けなくなる、という事態が突如出現した。
授業がない日も昼夜逆転して、眠れないと泣きながら朝を迎え、昼過ぎに起きて無気力にまた泣いた。
外に出て、無神経な出来事に会うのが怖くて、それが単位を落とす心配よりも大きかった。
社会人になってからも、起き上がれない休日は度々訪れる。
朝早くに目が覚めてもまぶたが重くて、気がついたら昼、夕になっていて、何もせず布団の中で夜に気がつく。
普段は不安からSNSをずっと眺め、友達や恋人とやりとりをしたりするのに、それすら怖い。
こういう日のわたしにとって、SNSは安心材料ではないのだ。
どんなに親しい人であれ、人と接するのが怖いのだ。
とても真面目に生きてきた。
皆勤賞で表彰されたこともある。
家族以外の価値観・世界観を知らずに育った。
あの頃のわたしは自分に自信があって、無敵だった。
それなのに、今は常に燃え尽きたような感じがあって、やる気がなかなか起こらない。
すぐに情緒不安定で泣き出すし、塞ぎ込むし、いわゆるメンヘラ女かもしれない。
好きでそうしてるわけじゃないのに、
こういうわたしを作り上げたのは親とか田舎の学校とか元彼なのに。
そうは思うけれど、こんな自分をどうにか出来るのも自分だけなのだと思うと、とんでもなく死にたい。
どうしてわたしは起き上がれなくなってしまうんだろう。
寝巻きのまま、布団の中で考えている。
仕事でしか縁のない街、小さな部屋はわたしを守ってくれる。
思えば、大学のために家を出るまではものすごく強がりだったのかもしれない。
なんかよく分からないけれど、自分の気持ちに蓋をしても平気だった。
親や先生の期待を読み取って、その通りにすれば成果が出ていた。
今よりもずっと視野が狭かったから、勉強で優秀になること以外に憧れを抱かなかった。
地方の無駄に生真面目な高校生にとって、勉強と部活以外の青春は異国の話だった。
地元を出て、全てがひっくり返ってしまった。
詳しくは他のnoteを見て頂きたい。
あーあ。わたしは万能ではなくなってしまった。
失った自信と引き換えに、自分自身がなおざりにしていた感情が押し寄せる。
ほんとはあれすごく嫌だった、
何であんなこと言われたんだろ、
わたしってそんなに悪い子だったかな、
ほんとはこうしたかった、
あの時こんなこと言われたけど、おかしいのはほんとにわたしだった?
もう手に負えないのだ。
だってわたしは、多感な思春期にこれらの感情と向き合ってこなかったから。
学力はあっても、自分自身との向き合い方は学んでこなかったから。
しかも、他人の期待に応えてきたものだから、
嫌われたくないとか、迷惑かけたくないとかそんなのも自分に圧をかけている。
自分の思いに敏感になってから、他人を気遣った嘘をつくのがつらくなった。
その場の空気を読んだ発言をすることがつらくなった。
だって、それをしたらわたしの本当の感情はどうなってしまうの?
昔のように踏みにじられてしまうでしょう。
他人にわがままを言って鬱陶しがられるのも嫌だ。
そんなことを考えて前に進めない自分が情けなくて、消えたくなる。
そうするとわたしは布団という保護具を身に纏って、外界をシャットダウンするのかもしれない。
こうすれば、自分の悲しみが何かに癒されることもないけれど、傷口に自分や他人が塩を塗り込むことはない。
昔のように自分の感情を踏みにじることもない。
ありのままのかたちで、自分の感情を放っておける。
寂しがりだけど、嫌われるくらいなら最初から最後まで孤独でいたい。
悲しいことを知るくらいなら、何も知らない方がいい。
幸せになりたかったのにな。ってぼんやりと思う。