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他人がいい思いをすることが許せない心

「先生に言ってやろー」
すれ違った子供たちから聞こえてきた言葉。

わたしはこの言葉が昔から苦手だった。
権威みたいな存在に言いつけると脅して
ターゲットをみんなでよってたかって
追い込む様子にこわさを感じるのだ。

この言葉には次のような意味が隠されていると思う。
「わたしたちは言いつけを守り、マジメにしてるのに
 あなただけ言いつけを破り、いい思いをするなんて
 許せない。
 それではマジメにやってるわたしたちが損をする。
 だから大人に言いつけて叱ってもらうのだ。」

書いていたら思い出したが
冒頭の言葉を子供のころ言われたことがあった。

小学生だったわたしは通学路の途中まで
友達の親に車で送ってもらっていたことがある。
友達は母親の運転する車でいつも迎えに来てくれた。
通学路の半分ぐらいまで来たところで車を降りる。
そこからわたしたちは通学路に合流するわけだが
その時は同級生たちとバッタリはち合わせしないか
いつも気が気ではなかった。
わたしたちがわき道から現れるところを見られると
批判の眼差しを向けられたり、何か言われたりして
とにかく肩身がせまいのだ。
そのことに罪悪感を覚えながらも子供のわたしには
友達の親の好意をないがしろにすることはできず
歩いて行きたいなぁという思いを抱えたまま
迎えに来てくれる車に乗り続けた。

でも同級生たちにそのような態度を取られなければ
はたしてわたしは歩いて行きたいと思っただろうか。
ただ批判されることがこわかっただけではなかろうか。

楽してずるい。
みんな歩いてるのに。

同級生がそのように責めたくなる気持ちもわかる。
反対の立場ならわたしだってそう思ったかもしれない。
ならば、わたしもわたしを責めた同級生と
何ら変わらない。
それを踏まえた上で、今改めて思う。

楽して何が悪い。
みんなが歩いてるから、なんだっていうんだ。

車で登校することは
そんなにも悪いことだろうか。

人は他人が自分より得をすることがなかなか許せない。
なぜなら自分が損しているように感じてしまうから。
でも実際自分の持ち分が減っているわけではないのだ。

他人がどんなに何かを得たとしても
わたしたちの何かが減ることは決してない。

もし減ったように見えたなら
そもそもそれは本当に
あなたのものだったのだろうか。

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