行動が制限されたとしても、心まで制限される必要はないのだ
今までできていたことが禁止されショックを受けたことがありました。そして何かできることはないかと模索しましたが、結局わたしの一存ではどうすることもできず、日々は過ぎていきました。
そして考えました。この出来事を通じて、わたしは何に苦しんでいるのだろうと。
考えついたのは結局、自分の自由を制限されたように感じたことが苦しかったということです。
やりたいことが禁止されてしまったことは残念です。しかし自分の自由まで制限する必要はどこにもなかったんですね。
そしてそうしたのは紛れもない自分自身です。
禁止を受けたことで、わたしは人目を気にして自分自身を枠からはみ出ないように見張るようになってしまい、そのうち自らの心まで縛ってしまいました。
しかし自分が望んだようには動けなかったとしても、自ら心まで縛って苦しくなる必要はなかったんだと気づいた時、心が少し楽になりました。
好きなもの、大切にしたいもの、信じているものは、いつもわたしが自由に決めていいのです。誰の制限も受ける必要はないのだとわかると、人目を気にして自分を見張っていたのは自分自身で、自分を閉じ込めていたのもやっぱり自分自身だったとわかったのでした。