辞める自由がない社会
先月、気心知れた数人の友人達と新年会をしたとき、40代のA君が「町内会の役員を一度だけ善意で引き受けたら、次々といろんな役が回ってくるようになり、今ものすごく困っている」という話をしてくれた。
最近は少子高齢化が進み、どこの町内も若所帯は少なくなったため、A君のような40代でも「若い人」の仲間に入るようになった。
そんななか、ひと昔前なら、その地区の長老や有力者が引き受けるはずの町内会の役員職(完全ボランティア)に「是非なってほしい」と、A君のところに依頼があったそうである。
そのときは、あまり深く考えず、ただ単純に「こんな自分でもお役に立てるのなら・・・」と素直に引き受けたA君。町内会の古いシステムを一新させる大改革まで行い、かなり頑張ったそうな・・・。
たたがボランティア・・・であるはずなのに「乗りかかった船」で真剣に取り組み、かなり大変だったけど、それなりに成果をあげることができた。結果、町内の老人たちからはすごく感謝されたようであるが、「この若い者はかなりやり手だ」と認識されたようである。
結果、無事に町内会の任期を終えて「やれやれ…」と一息つく間もなく、また次々といろんな役が回ってきたそうだ。
今は、神社の氏子の役員になってほしい・・・と依頼が来ているのだとか。
前回の町内会の役の時は、仕事を休んでまで町内会の仕事に従事しなくてはいけないことが多く、「もう自分には無理!」と思ったらしい。でも任期が決まっているから、その期間だけ・・・と辛抱して頑張ったそうである。
ところが、周囲は定年退職して暇を持て余している老人たちばかりで、そんなA君の苦労にはあまり気遣いしない。
むしろ、「やっとで見つけた若き人材を絶対に逃さない」とばかりに、とにかく執着してきて、どんなに「仕事があるから」「生活があるので」とお断りしても離してくれないらしい。
「自分は絶対に受けないので。頑として断ります。」と、A君は強い口調でそう宣言した。
ああ・・・、このA君の気持ち、私もよく分かる。
◇◇◇
私も以前、地域の文化的な活動をする組織の一員になったことがある。
これも昭和から続いている団体で、勿論ボランティアだ。私が教職を辞めた後に、この団体の長が、私の自宅までわざわざ出向いて下さり、私に頭を下げて「是非入って欲しい」と何度も頼みにいらっしゃったのだ。
「三顧の礼」じゃないけど、そんな町内の偉い方が、当時30代そこそこの私の所にわざわざ来てくださり、丁寧に頼んでくださることに、私は義理と責任を感じてしまった。何度も頭を下げられているうちに、とうとう断りきれなくなってしまい、私はその依頼を受けてしまった。
最初は、その仕事自体がとても物珍しく、興味本位で楽しみながらやっていたのだけど、楽しんでやればやるほど周囲に変な期待を持たせてしまったようで、そのうちに、だんだんと辺りの空気が「Emikoさんはよくやってくださるから、次期会長」へと変わっていった。
いやいやいやいや・・・(稲川淳二風)、当時の私はペーペーの30代。私以外のメンバーは、皆さん60歳以上の大御所ばかりである。そんな人生の大先輩を下に従えて、私がこの団体の会長?!・・・そんなの絶対に無理ーーーー!何ぬかしとるんや!アホかーーー!と思った。
地域の活動に参加してくれる若い人がなかなか見つからず、慢性的な人材不足とはいえ、私はそんな役職まで引き受ける気は全くない。
ただの下っぱのペーペーという立場で、仕事を気楽に楽しくやっていくのが望みであり、権力欲も自己顕示欲も全く無いから、そんな役職や肩書きを得ることに何の喜びもない。むしろ重苦しいだけだ。
私は、自由な気持ちで、目の前にある仕事に取り組みたい、ただそれだけなのだ。
ところが、ある時、この団体のメンバーで私がもっと苦手としていた天敵のBさん(当時60代半ばの男性)が、私の了承を得ないで勝手に私を「副会長」として登録してしまい、私は異議を申し立てることもできないまま、副会長をやらされることになったのだ。
以前からBさんは、人の意見を聞かずに勝手に何でも独占してやってしまうところがあり、いつも周囲と衝突して問題をよく起こし、まさにトラブルメーカーだった。そんな人なので、団体の他のメンバーからも結構煙たがられていたのだけど、今回は、私が嫌がっているのにも関わらず、私の気持ちなど無視して勝手に副会長に仕立てたのだ。
人の意見も聞かずに勝手なことをして、とんでもない奴だ・・・と、私はこのBさんのことがますます嫌になった。
でも、それ以上に、この団体の嫌なところは、自由に抜けられないことだった。
一度入ったら、死ぬまで抜けられない。
信じられないかもれないけど、実際に、私がこの団体に入って以降、一度もお会いしたことがないメンバーがいて、いろいろ話を聞くと、なんと高齢で重い病気になり入院されたとのこと。ご家族を通してご本人から「もう団体の仕事は出来ないので、メンバーから外して欲しい」と依頼があったそうだけど、残されたメンバーでで話し合った結果、「そう仰っているけど、ここで外すのは、何だか切り離すみたいで気の毒だ。いつか必ず戻ってきて欲しい・・・という願いを込めて、このままメンバーでいてもらいましょう」という結論に達した。
この話し合いの場に私もいたのだけど、このとき「もう離脱して自由になりたい・・・という願いも、ここでは聞いてもらえないのか」とかなりショックを受けた。
私なら、自分で「辞めたい」と決めて申し出たのだから、その気持ちを尊重し、素直に受け止めて辞めさせてあげたい・・・と思う。
でも、それすら許されず、結局、その方はお亡くなりになり、亡くなったことでようやくメンバーから外れることが出来た。
他にも、そういう方が何人かいて、私はとても不安な気持ちになった。
辞めたいと言いにくい雰囲気が漂っていた。
そんな様子を端からずっと見つめていて、「私も死ぬまでこの団体に属していなくてはいけないのかな・・・」と少し怖い気がした。
◇◇◇
しかし、私の場合は、副会長に就任させられてから1年後、前述のBさんの不正について私が言及した結果、Bさんと大喧嘩となり、私たちの間に組織の上の人が入って喧嘩両成敗いう形がとられ、Bさんは辞めさせられ(クビ)、私も責任を取って辞めることになった。
私が辞めることに関しては、他のメンバーの皆さんから惜しまれたけど、ここで辞めないと死ぬまで辞められない・・・と思い、少し後ろ髪を引かれつつも、私は勇退することにした。
そんな経験があるから、町内や地域の役職は、一度入ったらなかなか辞められない・・・というのがよく分かる。
◇◇◇
A君の話を聞きながら、私も自分の過去の体験を思い出し、「そうなんだよね」と何度も頷いた。
「辞める自由がない」
これは本当に怖いことだ。
途中で気が変わることも、そこを卒業することも、今より成長することも、違う世界へ鞍替えすることも、変化していくことも、絶対に許されない意固地な世界。
その時のまま、永遠に自分を固定しなくてはいけないのだ。
こんなこと、令和の時代になった今じゃ、絶対に無理なことだと思うのだけど、昔の価値観で生きている人々は、「変化しないこと」「いつまでも同じでありつづけること」=「価値あること」「安定している」「安心」と思い込んでいるから、変わろうとすることを嫌がるし、抜け出すことを忌み嫌う。
だから、一度その世界に入ったら、絶対に抜けることができない・・・という状態がまかり通る。
それでも「抜ける」には、周囲が納得し理解してくれるような「言い訳」が必要だ。何となく合わないとか、興味が無くなったとか、違うことをしたいとか、新しいことにチャレンジしたいとか、そういう曖昧な理由は「ワガママ」「自分勝手」と片付けられ、バッサリ切り捨てられる。
こちらの意向や気持ちなどお構いなしで、組織の都合や合理性を優先させられる。とにかく今ある組織やシステムを、昔のまま温存し維持して継続していくことに意義があり価値がある・・・と、昔の感覚のでそう信じられているのだ。
そして、一度、その組織に属したら、抜けることは許されない。組織に入ったら、昔ながらのやり方をゴリ押しで躾られ、若い世代も新入りも皆が自分たちと同じ価値観・同じ感覚でやってくれることを期待する。
昔は良かった・・・と言うけど、いやいや、昭和の高度経済成長の頃に出来たシステム・組織を維持させること自体が、今はもう無理なのだよ。
当時の人口と今の人口、年齢別や性別の比率を見ても、もう別世界くらいに変化している。それなのに昔の組織を、昔のまま続けていこうとするから、みんな無理を感じて離れていくのだよ・・・。
◇◇
これも一種の沼みたいなものだ。
好きで入り込んでいく「沼」ではなく、義理と責任と罪悪感でガチガチに束縛され、周囲の勝手な期待で執着されることではまっていく・・・一度はまったら死ぬまで抜け出せなくなる「底なし沼」。
特に今の高齢者世代は、「辞める」=「悪いこと」という認識が強く、一度取り込んだものは絶対に手放さないという執着も強いから、彼らに一度気に入られると、どこまでもしがみつかれてしまう。
A君の話をうんうんと聞きながら、「本当にそうなんだよね」と私は共感した。
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