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若けりゃいいってもんじゃない
このnoteを使い始めて、ふと気づいたこと。
それは、ここで発信している人たちは若い人が多い…ってこと。
私の目につくのは、だいたい20代から30代。
そんな皆様のいろいろなnoteをこっそり読んでいると、ときどき驚くようなことに遭遇する。その一つ。なんと、noteを書いている若い子のなかには、20歳を過ぎた自分のことを「もう私は若くない」と悲観的に受け止めていて、それを徒然とnoteに書いている子がいるのだ、これには正直参ってしまった。私は、「おいおいおい…!それじゃあ、アラフィフの私はどうなるんぢゃ!」とかなりの衝撃を受けた。
このnoteで発信している若い子たちにとって、(よーく考えたら)私は親世代にあたるんだよね…。確かに、自分の子供が今年23歳になるんだから、まさに親だ。そう、オカンなのだ。
オカン世代である私が、今、イマドキの若い子たちに嫉妬している。
みっともなくて恥ずかしいけど、私はマジで嫉妬した。
イマドキの若い子たちは何を焦っているというのだ。私たちの世代のように社会の常識に縛られること無く、自由に自分らしく生きていける時代に、彼らはまだ20代30代なのだ。なんとまぁ羨ましい…。
私が若い頃は、ネットなんてなかったから、こうしたnoteのような自由な自己表現の場なんて存在しなかった。全てがアナログな時代だ。創作したら、それを人目に触れる場所に公開するのに、やっぱりアナログ的な努力が必要で、自分の表現を社会に認知してもらうには、まず最初にその世界で最も権威ある大人の承認や推薦が必要だった。そこをクリアしなくては前へ一歩も進めない。とにかく何をするにも面倒で多大な労力が必要な時代だった。それなのに、今の時代は、その世界で権威ある大人に認めてもらうという手間を省いて、サクッと社会に公表できるのだ。自分が表現したものを、こんな風にパソコンやスマホでサクサク公開して、何の障壁もなく多くの人々と自由に繋がっていける…。こんな羨ましい時代に、まだ肉体年齢が若いってことに、私は心から嫉妬した。私たちが多大な困難を乗り越えて多重のエネルギーを使わなくてはできなかったことを、イマドキの若い子たちは、簡単に手に入れ、躊躇なく取り組んでいる。そして、私たちの世代だと年功序列でたくさん年を取って順番が来ないとやらせてもらえなかった様々なことを、イマドキの若い子たちは、まだ若いうちから積極的にどんどん体験させてもらい、のびのびと自分のキャリアを積んでいる。
これって本当にすごいことだと思う。
イマドキの子たちは本当に自由でいいなぁ~としみじみ思う。
オカン世代の私は、内心「その若さ」に嫉妬しつつも(笑)、イマドキの若い子たちには、そのまま、自分の可能性をどんどん発揮して経験値をあげて、その体験をもって社会にどんどん貢献してほしいと思う。
◇◇◇
そんななか、私がイマドキの若い子たちに嫉妬して、もう若くない自分を悲観してイジケていた頃、夫が中学時代の同窓会に参加した。田舎なので、帰省の時期に合わせて、このお盆の頃によく同窓会が開催される。
ちなみに夫は私より年上で、なんとアラ還だ。
夫は見た目は若く見えるけど、それでももうすぐ60歳。きっとイマドキの若い子たちから見たら、アラ還のオジサン(ジジイ?)は高齢者みたいなものなんだろうなぁ~と思う。
そういえば、これは以前、夫から聞かされた話だけど、夫が職場の飲み会に行くと、夫の部下の子たちが「部長!カラオケ入れておいたので歌ってください!」と気を利かせてくれるので、「何の曲だろう?」とワクワクしていたら、なんと入れてくれた曲は「鳥羽一郎」や「さだまさし」で、「俺ってそういう風に思われているんだ」とショックを受けてガッカリした…と、夫はよく嘆いていた。
アラ還の男性(オヤジ)というと、イマドキの若い子たちは「演歌系」または「フォーク系」だと思うんだろうなぁ…。だけど、夫の好きなアーティストは「サザン」「ミスチル」そして「くるり」だ。くるりのライブは私も一緒に何度か行っている。最近では趣味でギターをやっていて、ミスチルやサザンの曲を弾いている。肉体年齢は還暦間近でも、精神年齢はまだ学生レベルで若いのだ。
そんな夫が、久しぶりに中学校時代の同窓会に参加して、淋しそうにして帰ってきた。
聞くと、みんな老けてしまい、自分たちはもう若くないことを実感させられて悲しい気分になったとか。もう鬼籍に入った同級生も多い。
「60歳になるって、とっても淋しいよ。50歳になるときは、ここまで淋しくなかった。でも、60歳となると、次は70、80…。もう先が無いんだよね…。皆も老けてしまって、未来に希望が感じられないし…。」
と夫は話していた。
確かにそうだろうなぁ~と思う。
50歳になるというだけで、私も相当淋しくてしんみりした気分になるのに、さらに60歳となると、自由に生き生きと過ごせる時間が残り少ないことを実感するだろうし、自分の人生の先々が否応なしに見えてくるから、本当に淋しくて悲しい気持ちになるだろうな~と思った。
自分の人生が後半に向かっていくことを自覚するとき…。
心は昔の若い頃のままなのに、肉体だけが老いていく淋しさ。
「自分たちの時代」が終わっていくことへの感傷も、きっとあるのだと思う。
でも、そんななかでも、若々しく光り輝いている同級生もいたそうだ。
若々しくて輝いている人たちは、「これからは人生100年の時代だから」と、100歳まで生きるつもりで人生設計を立てていて、明るい気持ちで自分の未来を見据えている。そして、これからやりたいこと・夢・目標をしっかり持ち、日々忙しくそれらに取り組んでいるそうだ。
あと、感謝の心を持っている人。…「ありがたい」という言葉をスッと使っている人も、全然老けていなくて若々しかった、と夫は話していた。
なるほどなぁ~と思う。
要は、心の持ち方なんだろうなぁ…。
私は、50歳になる…というので落ち込んでいたけど、夫たちの世代と比べたら、まだまだ若い。これからの50代を大いに楽しみ輝かせよう…と思った。
そうそう、「私はもう若くない」…と悲観することはない。
私は年は取っているけど、結婚も出産も子育ても経験し、人生体験は一通り終えている。やることはやっているのだから、世間様に後ろめたく感じる必要もないし、堂々としていられる。もう何も怖いものはないのだ。
若くない分、私はオカン世代の強さを堂々と発揮すればよい。
ずっと年を取っていくことにいじけて、イマドキの若い子たちにメラメラと嫉妬していたけど、気持ちを切り替えることにした。
私は、イマドキの若い子たちが憧れるようなカッコいい大人になろう…。そう思いついた。自分の人生後半戦を楽しく有意義に燃焼させよう。もう失うものは無いのだ。これからの私は自由だ。
若ければいいってもんじゃない。年を取った者にしか醸し出せない魅力や輝きがある。長きにわたる人生体験から得た「気づき」や「学び」もたくさんある。
「亀の甲より年の功」
そうそう、年の功だよ(笑)。
いつまでも、イマドキの若い子たちに負けてはいられない。オカン世代の底力を発揮しなくては…(笑)。「年の功」という武器を手に、私はこれからも自分の楽しみの一つとして、このnoteを書き続けようと思う。
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