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いつも敬体で書いてたけど、これからは常体でも書いてみよう
今まで、noteの文末表現を『敬体』(〜です、〜ます)で統一して書いていたけど、これからは『常体』(〜である、〜だ)でも書いてみようかな…と思う。
というのも、常体で書いていると、なんだか自分がふんぞり返って偉そうにしているみたいで、なんとなく自分には合わないような…居心地の悪さを感じたから…。
今も、これを書きながら、お尻がモゾモゾするような不安定さを感じている。
文末が常体だと、どうも収まりが悪い感じがして落ち着かない。
もしかしたら、ただ単に「慣れていないだけ」…かもしれないけど(汗)。
でも、感覚的に面白いのは、敬体だと読者の存在を身近に感じながら、読者を説き伏せるような感じで書いているのが、常体になると、読者の存在が自分の頭のなかから完全に消えて、書く内容が「自分一人の心の世界」を物語っているような、そんな感じになる…ということ。
確かに、敬体は尊敬語を使うことなので、常に自分以外の他者の存在を感じざるを得ない。
つまり、読者に対して敬意を払い、敬語(丁寧語)を使って気を配って書いていると言うことだ。
ところが、常体だと読者に敬意を払っている感覚がないから、常に自分一人の閉じた世界の中から、ひっそりと外に向かって独り言を呟いているような…そんな感じを得る。
外の世界に向かって言葉を発するとき、誰に向かって言葉を発信しているのか?の部分が、常体と敬体、二つの末表現を少し入れ換えるだけで大きく異なってくる…ということだ。
それを今、ひしひしと感じながら、この文章を書いている。
たかが「文末」だけど、侮ることなかれ…だな。
これ、面白い。
細やかだけど、こうした自分の中の「小さな変化」を感じるために、これからは常体と敬体をいろいろ使い分けてnoteを書いてみようと思う。
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