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けっしておなじではないもの

人と会ったり、人と話したり、体に触れたり、といった仕事をしていると、自分の中のなにかの感覚が磨かれたり、人の気持ちが感じられるようになった、という気がすることがある。

ある意味、きっとそうだし、まちがいではない。
でも、気を付けなければいけないことがある。

「私」と「誰か」は、違う個体である。ということ。

変な表現だけど、その単語がふさわしいかな、と思ったので選んだ。


私には、お客様から行動について意見を求められたり、アドバイスすることが必要な時がある。

その時に、私の言葉に対して返ってきた相手の表情や一つの単語から、
「この人はきっとこう思ったんだな」と読み取ることがある。

でも、それは「私は、相手がこう思ったんだろうと感じた」というだけで、
本当にそうなのかどうかは、相手に確認してはいない。

その点が、ポイント。

自分の経験や体験や考えから生み出されたものは、自分のものでしかなくて、相手のそれと同じではない。
相手の経験や体験や考えとは、近いことはあっても同じにはならない。

そこをわかってること、がだいじ。


お店で服を見ている時に、お店の人が「この色もありますよー」と色違いの服を見せてくれることがある。
こちらが何も言わないのに「青はイヤですよね。赤の方が好きですよね」とわかったふうに言われたら、本当は青がいいと思っていてもなんだか言い出せなくなってしまう。


「私」と「誰か」とは、違う。
24時間、365日、生きてきた年、出会った人、起こったこと、見るもの聞くものすべて。

たとえ、親子でも、兄弟でも、双子でも。


じゃあ、どうしたらいいのか?

って困るのなら、相手に「どう思う?」ってきいてみたらいい。

相手の言葉で、相手の気持ちを、語ってもらえばいい。


ということを、いろいろな失敗を省みつつ、今、思ったので、メモ。

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みちのえみこ
最後まで読んでいただいてありがとうございます! ここで私の言葉をお届けできたこと、うれしく思います。 みちのえみこ