犬猫を飼っているクライアントさんとよく犬猫の話になる。
犬って、猫って本当に凄いね。言葉は話せないけれど、全身で愛情や優しさを伝えてくれる。言葉は話さないのに、慕ってくれてる、愛してくれてるっていうのをしっかり伝えてくれるし、伝わってくる。その存在に本当に救われるねえ。
そんな話をする。
そんな時いつもふと思うことがある。
「あんたは本当にいい子だ。今度生まれ変わるときは人間になれるよ」なんていう人がいた。
それは違うな、と。
犬よりも人の方が上の生き物という考え方から発せられる言葉なんだろう。犬からしたら、いや〜、やっと犬までたどり着いたのに、人間に戻りたくないです、と思ってるんではなかろうかと。
仏教に輪廻、涅槃という考え方がある(私は宗教家でもないし、特定宗教に属してもいない。仏教にしてもキリスト教にしても哲学として興味を持っている)。
輪廻は命あるものが何度も生まれ変わるという考え方で、涅槃は釈迦が人間としての生を終えてたどり着いた世界、つまり全ての煩悩が消滅した時にたどり着く安らぎの境地のことらしい(詳しく知りたい方は仏教に詳しい人に聞いてください)。
人間であったシッタールダさんが、人として悩み苦しみ、人を終えた時にたどり着いて、仏と呼ばれるようになった。そのたどり着いた世界が涅槃。
この仏教の考えに基づけば、私などは、まだまだ煩悩だらけなので、何度も何度も生まれ変わって(輪廻)人生という修行しなければならないが、その輪廻によって仏に近い『生』を送っているのが犬猫なのではないか、と。
彼らが最終的にたどり着くのが涅槃。生まれ変わって人間なんかになるものか。
特に、以前飼っていたメルは仏のような犬だった。
じっと私を見守り、言葉こそ話さないが目で励ましやら癒しやらのメッセージをくれ、全身で愛情を示してくれ、そう、言葉を話さないのにその存在が救いだった。
飼い主として至らない私をいつも許してくれていた。たぶん(笑)
彼女は、犬にたどり着き、そして仏に近い存在として家族を見守り、亡くなった今、きっと涅槃に行ったのだろうと思ったりする。
人は自分たちがこの地球上で最上階の生き物だと思っている。しかしどうだろう、犬や猫は確かに、人から餌をもらったり世話をしてもらわないと生きていけないのかもしれないが、彼らの存在、物言わぬ瞳に救われている人の多さといったらない。
人は、たくさんのことを物言わぬ瞳から教えられている。
人がどんな仕打ちをしようとも、愛ある瞳で見つめ返してくれる。
世話をさせてもらっていると思うことさえ私にはある。
「今度生まれ変わったら人間になれるよ」
人ってなんて傲慢なんだろうと思う。
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