【きものの歴史 古墳時代~奈良時代】
やったこと
座学 着物の歴史 古墳時代~奈良時代(十二単の前まで)
着物の歴史 古墳時代~奈良時代(十二単の前まで)
「縄文時代」
布を織る技術はなかった。
獣皮や羽毛や樹皮などを利用して腰を覆う。
「弥生時代」
布を織る技術を考え出した。しかし縫うことは出来なかった。
男性は一枚の布をけさ掛けに体に巻く横幅衣を身にまとっていた。
女性は幅の広い布を二つ折りにして、中央に穴をあけ頭からかぶる貫頭衣を着ていた。
日本の服飾史に登場する最初の衣服は横幅衣と貫頭衣である。
「古墳時代」
埴輪にみられる風俗が登場
男性は髪を左右に束ねた角髪(みずら)に結い、上衣とズボン風の上下二つに分かれた「衣袴(きぬばかま)」を着ていた。左前に合わせていた。
女性は下げ髪にし、月桂樹の葉を髪飾りにしていた。上下に分かれた「衣裳(きぬも)」を着ていた。前は左右を合わせて紐で結んでいた。男性同様、左前だった。
「飛鳥/奈良時代」
遣唐使・遣隋使の往来により、大陸の服飾が上位の人たちの間で流行した。衣と裳と領巾からなる服装を取り入れ、天平文化(仏教文化)を作った。
袖が長く右前である特徴がある。
推古天皇の時 摂政であった聖徳太子のの冠位十二階により、身分や階級により着用すべき衣服・色を決められた。
国家の重大な儀式に着る「礼服(らいふく)」と一般官史がふつうの儀式や朝廷へ参内する際に用いた「朝服(ちょうふく)」がある。
羅(薄絹)綾(綾織の絹)綿などの織りの技術があった。
臈纈(ろうけち)・・・ろうけつ染め 纐纈(こうけち)・・・絞り染め夾纈(きょうけち)・・・板締めという「天平の三纈(てんぴょうのさんけち)」である染の技術も流行した。
一方、庶民の服装はまだまだ古墳時代のなごりをとどめていた。
所感
古代の着物を再現したものを見る機会がないので、いい経験になった。
大雨 洪水 暴風のなかでの合同授業だった。この天候下でも先生方は着物を着ておられ、「着物愛」を感じた。それに、洗える着物も必要だな、、と感じた。
はじめて行く校舎なのでまよわないか心配だった。遅刻はしなかったのでよかった。