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知りたいことを学びたい
凄い脳の使い方』を読んで「エッセイ」
勉強は嫌いだった。楽しくないしワクワクしない。
コツコツと積あげるようなことが苦手なのだ。
粗野で身の回りのことにも無頓着。
ただ好奇心は強いので
知りたいとなると貪欲に食いついて聞きたがりだった。
母子家庭だった。母は厳しい人で距離はとおく
家族を支えるのに必死で、何とか生活は成り立っていた。
そんな環境のなか、思春期あたりから次第に、
何がやりたいのか分からなくなり、世界は色を失い、
軽い鬱状態になってきた。
霧の中をさまよって、漂い流れてきた筏にすがりついた。
子どもが二人できた。
子どもの無邪気な目を見てはじめて、
ここではない。何やってるの私。と焦りだした。
今、ここから抜けたいと、バタバタあがき、
押し出さるように、子ども2人をつれて、
2千キロ先の東京まで来てしまった。
やっと、たどりついた。
ここだったのだという不思議な安堵感。
生きることが楽しいと
久しぶりに感じた爽やかな感覚を手に入れた。
子どもは無邪気に母を信じて走り回っている。
その姿を見て「ごめん!あなたたちの人生振り回して・・、
お母さん頑張るからね」とそっと詫びた。
それから女性問題を考える仲間と出会い、サークル活動をとして、
学びの楽しさを見つけた。
女性の歴史、差別問題、子育て問題、カウンセリングと
猛烈に学び、エンジンがフルに動き学び始めた。
今思うと、子どもにいかに学ばせるかより
自分の学びたいことを優先したのかもしれない。
疑問は数知れず。
不条理なことはとことん知りたい。
不思議と感覚に触れる。
SDGsって本当に実現可能なのか?
本気で人間は環境の問題や、持続可能な人類の幸せと
取り組んでいるのだろうか?
持続するという考えが正しいのか?まやかしではないの?
滅びることで、持続するという世界、地球もあるのではないの?
そんな母親を見て、育った子どもは「かぎっ子」だったが
元気に飛び回り、無邪気にたくましく育った。
今では子どもに「あなたは好奇心が強すぎる」と云われる、
困った母親として見守られているのかもしれない。