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「嫌われる勇気」

「嫌われる勇気」が「ふみサロ」課題本です。エッセイを書きました。

 人の根っこには承認欲求がある。
集団で、社会を作って暮らすことを選んだ人間は、他者から嫌われるということは、はじかれ、食べていけない、生き延びていくことができない。
大切なことは人と繋がること、いい変えれば愛を学ぶために生きているのかもしれない。
 アドラーを学んで、そう思うようになった。そして自分の弱さを受け入れることが大切と考え、気が楽になった。
 
 自己主張が苦手で肝心な場面では黙って回避してしまう。

 多分4,5歳の頃だったと思う。取っ組み合いの喧嘩に弱くてよく泣いた。
そんな自分が悔しくて考えた。今度から取っ組み合いしても逃げないで、頑張って突っかかっていこうと決めた。それから喧嘩になってもみ合ったとき、踏ん張ってみた。
 でも途中で、心が折れてしまったのだ。どうしても踏ん張れなかった。
それから自信が持てなくなった。
 小学校一年の頃、ピンチヒッターで人前で話す機会があり、その時の評価が小6まで続き、生徒会副会長をやるなど、成長するにつれ少し自信もついてきたが。

 気の弱さは高校生になっても変わらなかった。
あるとき理不尽なことを言われ悔しい思いをした。
そしてそれは誤解だと何故言い返せなかったのかと歯がゆい思いをした。
何としても誤解を解こうと、その人を呼び出し話を持ち掛けた。
しかしその時も私は肝心なことを切り出せずにお茶を濁して話をうやむやに終らせてしまったのだ。
 自分のだらしなさが情けなかった。
 
 やがて気の弱さを隠すため、遅刻しても謝らないなどふてぶてしい態度をとるようになる、嫌われないために迎合する。
ニコニコして穏やかに振舞うことを身につけた。

 30代。子育てに自信がなく、本屋で見つけたアドラー心理学を学び、自分の気の弱さはズルさを含んでいるのだと、正面から見つめるようになった。
人を攻撃しない一見穏やかな特性をもっているかもしれない。
信頼関係とは何かを考えるようになった。
 嫌われる勇気をもつことだと。
 そう簡単ではないが・・。

 今も、気の弱さは変わらない。
夫婦喧嘩をしても、黙ってしまう。言い返せない。
黙っていることで長びく嫌な時間、悔しい気分が続くダメージは大きい。
 嫌われる勇気がないのか?愛を学んでいるのだと自分を励ます。

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