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コラム:Say Yes カルチャーから Say No カルチャーへの転換 (2-2)

You are too nice


アメリカで出会った親友たちは私によく、”You are too nice”と言ってくる。Nice、直訳すると、良い、素敵という意味だが、これは決して褒め言葉ではない。「優しすぎる」と訳すこともできるが、端的に言えば「あなたってお人好しだよね」と言っているのだ。

そう、このSay no 文化(一つ前の記事を参照ください!)は授業外の日常生活にも深く浸透している。

日本の学校社会で、極力荒波を立てず、誰とでも仲良くすることをこころがけてきた私は、親友と話す時でさえも、相手が気分を害するリスクのあることは言わないようにと常に気を張っている。別にお人好しな性格だからそうしているわけではなく、ただサバイバルスキルの一つとして自然に身についた。相手が「ん?」と思うようなことを言っても「そうだよね。それいいね。」と、とりあえず肯定しておく。うんうんと笑顔で相槌を打って、「それ違くない?」なんて口が裂けても言わない。それが日常だった。

ところが、この習慣をアメリカにそのまま持ち込むと、too niceということになってしまうのだ。

もちろん個人差はあると思うが、友人との距離の詰め方も、日本とアメリカでは少し違うような気がする。日本では、共感と肯定の積み重ねで仲良くなることがほとんどだ。そのアーティストめっちゃいいよね!共感。そのペンケース愛いね、どこで買ったの?共感。インスタのいいねボタンを連打するようにして、私は新しく会った友だちにアプローチする。

一方でアメリカでは、ちょっと相手をいじる、落とすことでグッと距離が縮まったりする。特に一年目と二年目に同室だったシンシアはその道のプロだ。私が夕食をのんびり食べてると、「遅っ。置いてくね。バイバイ。」と立ち上がる。私がきょとんとしていると、just kidding! 嘘、嘘、冗談!と笑いながら帰ってくる。朝が弱い私がぼーっとベットの上で座っていると、「うっわ、顔死んでるよ」と真顔で言ってくる。そしてまたjust kidding, you’re so cute嘘、嘘!可愛いよ!という調子だ。そんな風に、ちょっと冗談めかして私の横っ腹にジャブを入れては、そっと持ち上げてくる。

シンシアに限らず、周囲の親友はそんな子たちばかりだ。生まれ持っての身体的な特徴や、個人のバックグラウンドに関するネガティブコメントはNGという絶対的な暗黙のルールは守った上で、しかし正直に思ったことを言う。

新しいワンピースを買って、ルンルンと鏡の前で試していると、「なんかそれ微妙、返してきた方がいいよ。」と平気で言ってくる。今では「はいはい、私が好きならいいんです。」と適当に聞き流すようになったが、最初の頃はそんな辛辣なコメントが飛んでくるたびに、「私何か間違ったことでもしたっけ」とドキドキしていた。

相手を怒らせないように、自分の考えを優しく装飾してばかりいると、fake(うわべだけの友だち)なんて思われてしまったりもする。フィルターを通さずに正直に伝えられるということは、親友になった証でもあるのだ。

そんな文化の中で育ってきた彼女たちにとって、「いいね!」ボタンを押し続ける私がtoo niceな八方美人に映るのも、無理な話ではないだろう。

本音と建前を分けずに、思ったままをぶつけ合える関係は、それぞれが互いをリスペクトし合うという絶対条件の上に成り立っている。私はあなたに同意できない、でも違うからこそ面白い。そんな、「似ているから」ではなく、人として互いを認め合う関係性が、教室の中にも、外にも自然に存在している。それはすごく魅力的なことだ。

ただ、Say yesの文化からsay no の文化への急激な転換を迫られた私は、最初のうち、かなり困惑した。

小学生の頃から、教科書で良いと思った部分に蛍光ペンで線を引くように教わってきた私にとって、いざ「納得のいかないところを探して批判しろ」と言われても簡単なことではない。英語の授業中、いくら考えても、題材を肯定することしかできない自分は、従順で、薄っぺらいだけな人間なのではないかと思うこともあった。友人から、「もっと思ったことをそのまま言ってくれていいんだよ。」と言われても、何も思いつかず、どうしたらいいのか分からなかった。

だって、誰にも気を使いすぎてしまう私こそが、10数年かけて出来上がった、ありのままの私なのだから、急に変えろと言われても困ってしまう!

ということで、最近では八方美人な私も受け入れることにしている。批判的な視点を持つことは、深い学びに必要不可欠だ。しかし、誰もが批判的な視点で切り込む事物に対して、隠れた良さを見つけることができるとしたら、それはディスカッションの中でとても有意義な意見になる。だから、部屋で課題の本を読んでいて、特に疑問や批評が浮かんでこないときでも、焦らずになぜ自分がそこまで共感するのか、納得するのかに注目して、少し深堀りしてみるようになった。すると、決して薄っぺらではない自分特有の考えに気がつくのだ。

人間関係を構築する上でも、居心地のいい穏便な付き合いだけでは、深いところまで分かり合うことはできない。フィルターを通さない、ありのままの自分をさらけ出せる友人たちを羨ましく思うこともある。でもアメリカに来て3年たった今でも、落とすよりも褒めるコミュニケーションの方が、私の肌にはやっぱり合う。そしてどんな相手に対しても、まずは肯定から入ってみるという私のやり方は、実は互いの違いを認め合うという、日本においてもアメリカにおいても最も大切な課題への近道なのかもしれない。

批評的な視点や、自分の心に正直になれるスキルも大切にしまっておきながら、私は私のまま、無理に自分を新しい"say no"文化に合わせて変えようとする必要はないのだと思う。

だから、今度誰かに"you are too nice" と言われたら、"but that’s who I am" 「でもそれが私だから」と答えることにしようと思う。

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