言語習得の道:英語で書く (3-2)
「英語で書く」という壮大な壁を乗り越えるのにあたり、言及しないわけにはいられない恩人がいる。前回のコラムでも少し登場した、英語教師のMr. Aだ。
先述の通り、本場の英語の授業に怯えまくっていた私にとって、英語でのライティングはとくに未知の世界だった。TOEFL iBT対策で千本ノックのように書き続けたおかげで、知っている単語を使って文章を力づくで構成するということには慣れていた。しかしTOEFLの作文はあくまでもお決まりの型に沿って、500 wordでYES/NOクエスチョンに答えるというものばかり。アメリカの高校で要求される、参考資料を使いながら自分の見解を論じるという書き方は、英語でも日本語でも経験がなかった。
秋学期2本目の英語のライティング課題は、授業で読んだ短編の評論を書くというものだった。
路上で暮らす中年の主人公。彼の視点から街とそこで暮らす人々をリアルに、ユーモアたっぷりに描いたこの短編が、私はとても好きだった。主人公の人懐っこさに惹かれると同時に、偏見に染まった私の心はぐらぐらと揺さぶられた。
「書評は渾身のものを書きたい!」と意気揚々と臨んだ。しかし、深みのある分析を展開しようとすればするほど、蟻地獄にハマるように迷宮に迷い込んでいった。キーボードで一文書いては消す。ある英単語の適切な使い方を検索する。そうこうする間に、さっきまで頭の片隅にあったはずのアイディアはどこかへ飛んでいってしまう。その繰り返し。
一向に進む気配がなく、頭を抱えていた私に、ある日の授業でMr. Aがアドバイスをくれた。「みんなは高校生で、英語や歴史の専門家ではないし、そうなろうとする必要もない。分かったような顔で難しいことを書くより、自分の言葉 (your writing voice) を見つけた方が、説得力のある文章が書けるよ。」
単純なようで核心をついたアドバイスだった。プロが書いた、知的で洗練された書評なら、ネット上にいくらでも転がっている。辞書から引っ張り出した難しい言葉を使ったり、複雑な議論を展開しようと力むのは逆効果だった。「私にしか書けない書評」ではないと価値がないのだ。
その夜、一旦パソコンのスクリーンを閉じて、まっさらなコピー用紙に鉛筆一本で向き合った。
なぜこの短編は私の心を揺さぶったのか。初めてこの作品を読んだ時に自分の中でぎらりと光った罪悪感のようなもの。その根源を探ることにした。
たどり着いたのは小学生の頃に見たあるテレビ報道だった。大阪府西成地区で路上生活をする人々を追った10分間のドキュメンタリー。
冷房の効いた快適な部屋で、おやつと牛乳を交互に行き来しながら画面を見ていた私と、レンズの向こうで廃品を回収して回る彼らの間には、他者化することで生まれる決定的な境界線があった。
幼い自分にも確実に存在していた差別意識が、テレビ画面に映る「彼ら」を、私とは関係のない誰かとして認識させていた。
対して、授業で読んだ短編は見事に私の視点を転換させた。読者を主人公の視点にいざない、極限まで彼と感情を重ね合わさせることで、内側から見る彼のリアルを暴いた。「ホームレス」という外的なラベルではなく、誰かの父親であり、元夫であり、息子であるその人を内側から描いた。
このような気づきを拙い英語でなんとか言葉にし、エッセイとして提出した。
そうして最初の学期が幕を閉じた。心地よい疲労感と達成感に包まれながら、待望のクリスマス休暇を日本で過ごすべく東京行きの飛行機に乗った。
普段なら気絶するように眠ってしまう深夜便なのだが、その時は返却されたばかりのエッセイが気になった。30分間だけ機内のWiFiサービスを購入して、Mr.Aから届いていたメールを開いた。
「短期間でここまでの成長を見せた生徒を他に知らないよ。あなたの努力を誇りに思う。」
今思い返しても胸がギュッとなる。それ以降英語で書くことに自信を失いかけた時、幾度も励ましてくれる言葉がそこにあった。
「自分の目で見たものを、自分の言葉で書く。」ごく当たり前だけど、何よりも大切なライティングの出発点。それを教えてくれたMr.Aには感謝の言葉が尽きない。
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