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パニック障害撲滅!

前回は上の子の幼稚園時代を書きましたが今回はその続き、、幼稚園時代後半とPTA活動!

上の子が小学生に上がったタイミングで私はまた挑戦をしてみました。小PTA役員!

これは別にパニック障害でなくても普通の人は大概嫌がる(一部、これが大好きなパリピもいるけど)ものだと思います。知らない人々でワイワイと年何回か集まる、、。はっきり言って私も苦手でしたが「まぁ、そんなにバンバン集まらんやろ。頓服もあるしいけるわ」程度で立候補してしまいました。担当したのはPTA新聞部です。

そしたら最初の集まりの時に部長決めがあり、皆さんが総地蔵状態になってしまってなかなか部長が決まらず、副部長も決まらなかった為、前年度の役員の人が痺れを切らせ「副部長に関しては名前だけ貸してくれたらいいし、部長もそんなに大変では無い!」などと言いだしたので、「名前だけなら、、」という事で私が副部長になってしまったのです。

まず言っておきます、、多分ですが、パニック障害になりやすい人というのは空気を読んだり人に気を使う人が多いように思います。ついでに、パニック障害になる前は健康で色んな所に行きまくっていたりする体力に自信のある(自信があった)人が多いかも知れません。何故なら限界が判らず、気づいたらパニックになっているからです。そして責任感もそれなりにあるので悩みまくる羽目になります。

この年の新聞部は今まで取りまとめをしてくれていた本部役員の人が居なくなり、新しい本部役員の人がすぐ拗ねるタイプだったので大変でした。本部と部長の間で揉め事が起きてしまい、副部長も毎日LINEやら電話やら記事そっちのけで人災事故とも言えるバトルに巻き込まれました。

しかし、部員自体はいい人ばかりだったので何とか1年が終わり、新聞も発行する事が出来、無事に役目を終えたのでした。

次の年は下の子供が幼稚園の年長になり、他に人が居なかったので私がクラス役員を引き受ける羽目になりました。年長クラスに関しては幹部役員(会長・副会長)決めがあり、結局こちらも皆さんが総地蔵状態になってしまった為、副会長を引き受けることになりました。

この副会長の1年は裏方だけで楽に終わる(苦手な会議が何回もあったけど毎回レキソタン0.5ミリ飲んで臨んだ)と思いきや、会長の家族にご不幸があり急遽私が会議を仕切る羽目になったこともあります。その日はいつもなら2時間くらいかかる会議を「すみません!会長不在なのと、この後バザーの準備で時間が押しているので!」と30分で会議を終了させました。周りから見たら私が怒っているように見えて凄い怖かったそうです(笑)ただ緊張していただけなんですが、向いていないことはしたく無いな〜と本当にこの時は思いました。

そしてこの年、ラッキーな事に卒園式間際にコロナが流行り出したのです!何故ラッキーかと言うと副会長は卒園式を祝う会で謝辞を読まなければならなかったからです。目録も読みましたがこれは一瞬なので大丈夫でした。

そして、コロナのために卒園式後の食事会やら何やらが全部なくなりました。

普通の人からしたら外出ができなくて辛いコロナが私にとっては「無理に外に出なくていいし、その理由もちゃんとある!こんな事あるんだ!」という引き篭もり気味には最適な環境になってしまったのです。

ただし、子供も一緒に巣篭もりになった4月から6月は子供と何をするか的なストレスがかかりパニック障害も悪化しました。常に先の事を考えたり悶々としていたように思います。

次回、、仕事を少しづつしてみる


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