実感のない記憶

過去に、仕事も恋愛もタイミングを合わせたようにうまく行かなくなったときがあった。
仕事はクライアントの撤退や事業縮小が次々に起き、自社の仕事が激減したため出向で慣れない業務と環境に身を置くこととなっていた。
その出向先では人格否定というのかモラハラというのか…とにかく人間関係が悪く、肩身の狭い出向の身にはまさに地獄のような空間だった。
そんななか、2週間の札幌出張の話で私に白羽の矢が立った。
この空間から抜け出すことが出来る上に内容も悪くない。
恋愛も相手とこじれた挙げ句、連絡を絶ったまま1ヵ月が過ぎていた。
一旦全てをリセットする思いで出張を引き受けた。

社内では抜擢されて出張へ出向いたものの、出張先で待ち受けていたクライアントの私に対するの評価は恐ろしく低く、凍りつく思いだった。一方、同行していた後輩の評価はまずまずだったので後輩の活躍を祈った。自分が挽回できる見込みは無いと判断し、極力目立たないように過ごすこととした。
そんな2週間出張の中で1日休みがあった。
その日、私は札幌から小樽へと向かった。
悩み事については何も考えずに過ごすと決めて向かったが、心は弾まず相変わらず重たく沈んでいた。
12月の北海道はもちろん雪が積もっていてホームで電車を待つのはなかなか厳しかった。

目的は最近得られていない達成感のようなものを感じられればよく、東京では食べられない海鮮を食べるとか、美しい景色が見られればよかった。

ようやく小樽に着き宛もなく歩き始めると、意外と気分に変化があった。黙々と歩き運河で写真を撮りまくる観光客やお土産売場のワインなどを見るだけ見て散策を楽しんだ。
海鮮にもありつけた私には満足感はあったが、求める達成感は得られていなかった。
達成感とは何か、彷徨いながら混沌とする考えと焦燥感を抱き歩いていると、パワーストーンの店があった。

観光地にはなぜかパワーストーン屋がある。

ただそれだけ、
と思ったが、なぜか吸い込まれた。
もちろん買うつもりなど無い。
しかし、店を出るときには左腕に付けるように言われたブレスレットがあった。
これはなんと6万円を越える金額だった。
流されて買ったわけではない。
占いを宛にしていたわけでもない。
ただ変えたかった。人生や運命を。
あのときは普段なら絶対しないことをする、それしかないように思ったのだ。

買ったあと思った。変わろうという自分の意思を買ったのだ、と。
効果があるかではない。自分がこれを見るたびにどん底を思い出せばいいと考えていた。変わろう、変わりたい、と必死だった自分を忘れないために。
不思議と後悔もなければ喜びもなく、平常心でこんなおかしな行動をとっていた。

上がりかけた気分は地べたに落ち、浮わつくな地に足を付けるんだ。
と、気を引き締めて闇雲に歩いている間に、寒さによる影響でスマホの反応が悪くなり、私は道に迷った。
迷っている間に日も暮れた。
ホテルに帰るどころか小樽駅にも戻れなさそうだ。
この頃にはすべての感情が無くなり、もう死んでしまっても仕方ないのかな。自分の人生の終わりかたの滑稽さにも可笑しさや不甲斐なさなど何も感じていなかった。
どうにでもなれ、と、なぜか全てを受け入れていた。

薄暗い夜道だが、雪のおかげで道は白く浮き上がっていた。
その先に灯りが灯っている建物があった。民家ではなさそうだが近くへ行くと教会だったので中へ入れた。
椅子に座りもう一度スマホを確認してみたがまだ回復しない。
ぼんやり祭壇を眺めていると背後に人の気配を感じた。振り向くと普段着と思われる格好の牧師さんが訝しげな表情でこちらを窺いながら向かってきた。
事情を説明すると、毛布とストーブを貸してくれたうえ、翌朝に車で駅まで送ってくれるという。
私はとんでもない迷惑者である。

教会を見つける直前までは寒さで死んでしまうのかな、と思ったりもしたがそもそも死ぬ気など全く無く感情も失っていたせいか、こんな状況にも関わらずすぐに眠った。
しっかり睡眠ができた私は、昨晩の駅まで車で送ってくれるという話は本当なのか、果たして牧師さんは覚えているだろうか…などと考えていたが、牧師さんは時間通りに現れ車に乗せてくれた。
おにぎり付きだった。

仕事にも差し支えなく、滞りなくなにもなかったように"翌日"が終わり、全てが自分の記憶と心の中にしか存在しなくなった。
あの日の事は、ブレスレットの紐が切れた今でも夢だったのではないかと思う。

本当に存在する記憶だが、夢のように感情や寒さが実感として残されていない不思議な記憶となった。


いいなと思ったら応援しよう!