外に見せない、本当の自分。海王星的世界と自分。クリアな境界線の大切さ。
少し前の話なんですけどね。テレビをつけたら「少年」が映ってたんですよ。その様子をみて「あっ…この話しかた」ってつぶやいたら娘は「なに。なんか見えてるのね?」って不思議そうにしていました。むーん。
うんまぁ、ネグレクト?に焦点をあてた内容だったのですが、出演しておられた子どもさんの「空虚さ」に衝撃をうけつついろいろ思い出しました。
海王星ライジングがみんなそうだとは思いませんが、わたしはなぜだか「薬物」「アルコール」「性風俗」が超近くにある20代を過ごしておりました。自称、昭和の箱入り娘なのに自分でも驚きです。ってまぁ超繁華街のネイルサロンに勤めると、それはそれはいろんなお客様が来られますから、自然と見聞きしていた次第です。
主体的か、受動的か
なんでもそうですが、「自分の意思や判断に基づいて行動している」人と「周りの働きかけや他人の指示によって行動する、そうすることしか選択肢がない」人には大きな違いがあります。自己責任という言葉では片付けられない生きざま、世界というものは良くも悪くも在り続けているんですよね。
食べるものどころか寝る場所もない。銀行口座もつくれないから自立も難しい。人の「目」って、そんなとき、本当に不思議な光り方をするように思います。自分にもそういう時期があったな…(遠い目
番組の中で撮影クルーの方は、元保護司である82歳の女性にたいして「こんなに大変なのに年中無休で続けていられるのは、なにかご自身にとっても喜びとか、そういったものがあるからですか?」と問いかけていて(ドン引き)その答えが印象的でした。
とのこと。見返りとか、やりがいとかじゃなく、ただ相手に寄り添う。本当のエリート(神に選ばれた人という意味だそう)は「助けを求める者に寄り添える人」というセリフが先日のTVドラマでも聞こえていました。
凄い人と自分を比べて落ち込む必要はないけれど、ちょっと心にハマったのでメモメモ。大事なことは、意外にも、とてもシンプルなようでした。