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世論のツッコミが五月蝿い
最近、M−1グランプリを見返している。
2008年のオードリーを見たら、その流れで過去のM1の雰囲気を見てみたくなって2002年のM1を見たり、マジカルラブリーが上沼恵美子に怒られているのを見たくなってその年のM1を見た。
そうやって過去のM1を見ていると今の時代とは価値観が違うなと思うことが多い。そして言ってはいけないことが増えた感覚があった。
ジェンダーバイアスや性的マイノリティへの配慮などがオーディオコメンタリーみたいにM1を見ている最中にコメントをしてくる。
「今、そんなんオカマみたいとか言って差別発言していますね」みたいな脳の言葉のせいで、余計なことが気になって純粋に笑えなかった。
優勝するくらいおもしろいネタは嘲笑や蔑視からくるものではないから単純に笑えるものはあったけれど。
それで言うとミルクボーイは偏見まみれのネタをやっていたけれど、その対象がコーンフレークや最中だったから笑えるって言うのはなんか凄いと思った。どれだけ綺麗事を言っても偏見は笑ってしまう。大事なのは「わかるわかる〜」と言ってしまうような偏見かどうかなんだろうけど。
本題に戻ると、最近その頭の中の世論が「不謹慎だ」とか「失礼だ」とか「差別だ」と僕の見るもの聞くものに対してツッコんでくるので非常に困っている。
差別の撤廃は叶えば素晴らしいことだろうと思うけれど、特に活動団体に入っているわけでもない僕がそんなに目くじら立てて世界を見る必要はない。なのに脳が勝手に「今のは無意識に差別意識が働いているからそういう言葉をチョイスしたんだろうな」と思ってしまう。
僕的には汚れを消そうとするんじゃなくて、綺麗なものを増やすみたいな考え方になりたい。そうじゃないと汚ればかり気になって綺麗なものを「いや、それはいいんだけどさ」とスルーしてしまうから。何が「それはいいんだけださ」だ。なんならそれが一番大事だろうが。大事マンブラザーズにそういう曲書かすぞ。
”お笑いは人を幸せにするもの、客のために行われるもの”という認識が世間にはあるのかも知れないけれど、芸術家が体制を批判したりするように、お笑い芸人も自己表現として何かを傷つけたくなることはあるだろうから、誰かを傷つけるお笑いを糾弾するのはやめてほしい。それは表現の自由に反すると思うし。そしてお笑いも芸術の一つ、自己表現の一つだと認められ、もう中学生のようなお笑いやブラックなミルクボーイのようなお笑い、その両方が認められる時代が来れば、僕の中の世論もうるさくなくなるのかもしれない。
でも世間は人数が多いから、正義と悪を作って、共通敵を作り出すことでしか団結できないだろうから、多様性が担保されるのは今のままじゃ難しいんだろうな。小国寡民じゃないと厳しそう。
マジで誰のための世の中なんだ。
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