グレゴリオ聖歌の指揮はみことばを伝えること

週末に「来週の授業ではグレゴリオ聖歌の指揮の練習をします。主に試験を受ける人がするだろうけど、他の人もやりたい曲があれば準備してください」と連絡がありました。

今やっている曲がある。これは絶対に指揮をしたい、と思い、楽譜やキーワードのリスト等の資料を作成しました。

授業当日は灰の水曜日ということもあり、上級生数名はその日のミサの曲を使って指揮の練習をしました。

先生が「ほかに準備してきた人はいる?初めてでも良いのよ」とおっしゃるので、「年間第3主日の入祭唱を準備したのですが・・・」と手を挙げました。ところが「年間第3主日の入祭唱・・・?」と首をかしげているので、慌てて「マタイの福音書で、イエス様がガリラヤ湖のほとりでペトロとアンデレを見て、『私についてきなさい。あなたたちを人間を捕る漁師にしよう』と呼ばれる箇所です」と言うと、少し考えられ、「まあ、やってみましょう」ということになりました。

私と先生以外その入祭唱を歌ったことがなかったので、まず、なぜこの曲を取り上げたかを説明しました。「ネウマや楽譜は記憶を呼び起こすものだと実感したから」なのですが、本当のことを言うと、また国境を越えて騒いでいるとドイツから入国拒否されてしまいそうなので、かなりアレンジしました(笑)。

初めて歌うため、ラテン語を私の後について言ってもらって、意味を説明することから始め、「では、中世の人のように口伝で歌いましょう」と私が歌って、見よう見まねでついてきてもらうようにしました。(このあたり、辻康介先生の教えが染み込んでいて、自分でも笑ってしまいました)

途中途中で先生に指揮を止められながら、本当にたくさんの指導を受けました。指揮の場に立たないと見えてこないものがたくさんある。そして、聖堂で十字架を背にしたとき、「ここに立つということは指揮をすることではなく、神のみことばを伝えることなんだ」と、ふと気がつきました。かなり緊張しましたが、それ以上にたくさんの勇気をいただいたように思います。

準備してきたことを全然言えなかったのですが、終わったあとに先生から「この資料、いただいてもいい?」と聞かれました。ただそれだけだったのですが、とてもうれしく思いました。

この曲を練習した際、最初は4線譜とネウマを見て歌っていたのですが、最終的にはザンクトガレンのオリジナルの楽譜(写本)をデータベースからダウンロードして、歌詞とネウマだけで歌っていました。これでも十分理解したとは言えないけど、中世の修道士がしたことを自分なりに追体験しないと、指揮はできないだろうと思いました。

これからたくさん指揮の練習をしよう。また人前で指揮をする機会があれば、昇階唱などのメリスマいっぱいの曲にも挑戦してみたいです!