楽譜やネウマは記憶を呼び起こすもの
1月22日は年間第3主日だったので、Graduale Novumの該当する入祭唱を予習していたところ、初めて見るはずなのに不思議と歌える。
グレゴリオ聖歌の年間第3主日のミサに与るのは初めてなので、この入祭唱は聞いたことはないはず。よく参考にしているGraduale projectのYouTubeで聞いたことがあったのだろうか?
でもこの歌声ではない。もっと切実に歌っているような感じだった。
Graduale Novumを読みつつ歌いながら、「“Galiaeae”で胸が痛くなるほど切実に聞こえた。”vocavit”の”ca”や”piscatores”の”pis”の子音のきれいさとか、ものすごく知っている」と思っていました。ラテン語の歌なのに、なぜか「私についてきなさい。あなたたちを人間をとる漁師にしよう」という日本語も覚えている・・・。
そして、それは池田福太朗さんのYouTubeだったことに気がついたのでした。最初に日本語で朗読しているので、だから日本語も一緒に思い出していたのか・・・。
グレゴリオ聖歌を勉強すると、音楽を覚えていることが前提で、それを書き記したのがネウマや4線譜で、なにも知らない状態から楽譜を読んで歌うものではない、「楽譜やネウマは記憶を呼び起こすもの」、とよく言われるかと思います。
私もそう思っていたのですが、今回の出来事を通して「記憶を呼び起こすもの」とは、ものすごく深いところにしまわれていた記憶やそれに関連する思い出(色とか形とか香りとか、どんな人がいたとか、場所とか、ありとあらゆる出来事)を掘り起こすような作業をすることだと、この言葉の意味を、心の深いところで理解できたように思います。
グレゴリオ聖歌を勉強して1年と少しが経ちますが、今後また同じ曲に出会ったときに、記憶を呼び起こすことができればよいと思います。そのためにたくさん聞いてたくさん歌おう。そして、記憶は楽しい思い出とセットだろうから、グレゴリオ聖歌とともに楽しい思い出をたくさん作ろう。
【余談1】聖歌隊は”mare ”をフラットをつけないで歌っていました。
【余談2】となると、池田さんの動画を見たときに、「楽しい思い出」として脳に格納されたのだと思うけど、多分「池田さんって、こういう声なんだ!歌上手ねー!きゃーーー!」とか思って何度も聞いていたに違いない・・・。(国境を越えてご迷惑をお掛けしていて、申し訳ありません!)