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静かな暴力 〜パワハラという病〜

「日常」という名の檻

外来で出会う患者たちの言葉に、ある種の共通点を見出すことがある。

「先生、私の対応が悪かったんでしょうか

何千何万と発せられたこの問いの奥には、いつも深い自責の念が潜んでいる。

優秀な会社員として評価されていた30代の女性を思い出す。
ある日、彼女は肩をガックリ落とし、静かに語り始めた。

彼女の働いていた部署に新しい上司がやってきた。
些細なミスを見逃さず人前で指摘され、必要以上の謝罪を求められる日々。
普通、説明しなくても分かるよね?」という言葉を投げかけられ、次第に自信を失っていく。

パワハラは、そんな日常の些細な出来事の中に紛れ込んでいる。

指導という名の暴力

別の日の外来。
中堅社員の男性が、淡々とした口調で話す。

「新人の指導がうまくいかないんです。本当に今の若者は何を考えてるんでしょうね。言葉遣いを注意しても、すぐに元に戻る。何度同じことを指摘しもまた同じミスを繰り返して、、、本当に疲れます」

彼の言葉には、表面的な穏やかさの下に、明らかな苛立ちが見えた。
苛立ちの裏には自分の指導が受け入れられないことへの不安があるのだろう。その不安が、時として過剰な叱責となって表れる。

人は誰しも、不安を抱えて生きている。
その不安が、力という仮面をつけるとき、パワハラは始まる

支配の形

職場におけるパワハラには典型的なパターンがある。

些細なミスの過度な指摘。「〜するのが当たり前」という価値観の押しつけ。必要以上の監視や干渉。
そして、それらを「指導」という名目で正当化すること。

最近では、より巧妙な形も見られる。

「あなたのキャリアのために」と称した過剰な業務の押しつけ。
「チームのため」という大義名分による私生活への介入。
「みんなできているのに」という同調圧力。

これらは時として、善意という仮面をつけているため厄介だ。

パワハラ加害者の不安

加害者には、ある共通点が見られる。

自己愛的な傾向。自身の価値観を絶対視する態度。そして、自分の非を認めることの難しさ。この傾向が強いほど、または複数持っているほどパワハラの加害者になりやすい。

「私の若い頃は、もっと厳しかった。今の若者は甘やかされすぎている」

その言葉の裏側には、変化する時代への不安が透けて見える。
自分の経験が通用しなくなることへの恐れ。その感情が、時として過剰な「指導」という形を取るのかもしれない。

また、私たちは現実を客観的に見ているつもりでも、過去の苦しい経験と重ね合わせるうちに、その記憶を過大評価し、目の前の状況を歪めて解釈してしまうことがある。このような認知のバイアスにも注意を向ける必要がある。

標的となる人々

一方で、標的となりやすい人にも特徴がある。

自己主張を控えめにする人。周囲への配慮が強い人。そして、過去に同様の経験を持つ人。

彼らに共通するのは、驚くほどの真面目さだ。
その真摯さゆえに、理不尽な要求にも応えようとしてしまう。
あえて厳しいことを言うと、パワハラを引き出してしまう傾向が見られることもある。

静かな抵抗の方法

では、この状況にどう向き合えばいいのか。

答えはシンプルだ。

必要最小限の応答に留める。感情的な反応を避ける。そして、記録を取る。

「承知しました」「検討させていただきます」

これだけで十分な場合も多い。

具体的な対応例を挙げてみよう。

過剰な叱責に対しては「ご指摘ありがとうございます。改善に努めます」

理不尽な要求に対しては「現在の業務に支障が出る可能性があるため、優先順位を整理させてください」

プライベートへの干渉に対しては「申し訳ありません。個人的な事情でその日は難しいです」

はじめは、期待する反応が得られないことで、加害者はさらに攻撃的になるかもしれない。しかし、この冷静な対応を続けることで、加害者は望む心理的満足が得られなくなり、自然と攻撃の対象から外れていくだろう。

記録という武器

日時、場所、具体的な言動を記録しておくことも有効だ。

特に注意すべき点がある。

  • 客観的な事実を記録する

  • 感情的な表現を避ける

  • メールやメッセージは保存する

  • 可能な限り第三者の証言も残す

回復への道のり

ただし、これらは決して容易なことではない。
自責の念や、相手が変化することへの期待が、客観的な判断を曇らせる。

そんなとき、私は患者にさりげなく伝える。

自分がコントロールできることだけに集中しましょう

この当たり前の事実を、時には思い出す必要がある。

自分の人生の舵を握る

信頼できる人への相談や、必要に応じた環境の変更。
これらは決して逃避ではない。自分を守るための選択だと私は思う。

時として、距離を置くことが最善の解決策となることもある。
それは弱さの表れではなく、むしろ自分の人生の舵を他者に預けるのではなく、自分で握る決意をしたという勇気ある行動である。

私はそんな勇気ある人たちの力になり続けたいと思っている。

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精神科医kagshun/EMANON
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