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「無駄」が生み出す人間らしさ
AIの目覚ましい進歩と同様に、ロボティクス技術の進歩がいよいよ加速し、指数関数的な成長を見せている。
中でも、イーロンマスク率いるTeslaはまるで人間のように振る舞い、話し、時にはバーテンダーを演じることもできるロボット「オプティマス」を披露し、私たちがかつて想像していた未来が目前まで迫っていることを強調した。
2026年には市場に流通すると見込まれており、日本国内でもすぐに入手できるのか、そうでなければ米国まで買いに足を運ぼうか、、そんな妄想をするのも最近の楽しみになっている。
一方で、やはりオプティマスにはドラえもんやアトムに抱いていた親近感はまだ抱けていない。
「Detroit Become Human」のコナーやカーラに感じた共感は、オプティマスにはまだ抱けない。それは顔がないからというだけではないだろう。おそらく動作それ自体に、人間らしさが宿っていないという感覚を抱いてしまうからだろう。
実は、私たちは、完璧に効率化された動きをするロボットよりも、時にぎこちなく、無駄な動きを交えるロボットに、より人間らしさを感じることがあるという。可能な限り正確で完璧なロボットを生み出そうという試みはむしろ、親近感を遠ざけるのかもしれない。
これは一見矛盾した現象だが、実は人間のコミュニケーションや行動の本質を捉えていると言えるだろう。平田オリザ氏の提唱する「マイクロスリップ」の概念は、この「無駄」の重要性を私たちに改めて教えてくれる。
「マイクロスリップ」とは、意識的な動作の中に無意識に混入する、一見無駄に見える小さな動作のことである。
例えば、コップを取ろうとする際に一度手がその手前で止まったり、話している最中に意味のない仕草をしたりといった行動が挙げられる。優れた俳優は、このマイクロスリップを巧みに操り、役柄に深みとリアリティを与えているのだという。
しかし、練習を重ねるにつれて、これらの無駄な動きは洗練され、削ぎ落とされていく傾向がある。初期衝動の瑞々しさや人間らしさが失われ、機械的な正確さが前面に出てしまうというジレンマに、俳優たちはしばしば直面する。新人が時にとてつもなく良い演技をする理由がここにあるのかもしれない。
ロボット工学の分野でも、このマイクロスリップの重要性に着目した研究が進められているという。人間らしいロボットを開発するためには、単に効率的な動作をプログラムするだけでは不十分であり、適度な「ノイズ」を挿入する必要があることが分かってきた。
私たちがスマートフォンを操作する際を想像してみよう。画面に触れる直前、指先は一瞬の間を置く。その僅かな「まごつき」が、むしろ自然な動きを生み出している。
診察室では、話し始めようとして、一度深く息を吐く患者の姿がある。言葉にならない感情が、その「間」に込められているのを感じる。澱みなく話し続ける患者には違和感を覚えるに違いない。
しかし、この「ノイズ」の量やタイミングを適切に制御することは容易ではないだろう。平均値に基づいた統計的なアプローチでは、個性を生み出す「無駄」は均質化され、埋もれてしまう。未だオプティマスやFigureのようなヒューマノイドが達成できていないところをみるとその難易度の高さが伺える。
この「無駄」の価値は、教育の場においても改めて評価しても良いではないか。従来の教育は、効率性や合理性を重視し、無駄を排除することに重点を置いてきたように思う。しかし、人生における真の学びは、必ずしも予定調和的に得られるとは限らない。寄り道や失敗、一見無意味な経験の中にこそ、予期せぬ発見や成長の種が隠れている。教育においても、ある程度の「ランダムさ」や「ノイズ」を取り入れることで、子どもたちの創造性や主体性を育むことができないだろうか。
具体的な例として、図画工作の授業を考えてみる。
教師が手順や完成形を細かく指示するのではなく、様々な素材を用意し、子どもたちが自由に発想し、試行錯誤しながら作品を作る。この過程で、子どもたちは予期せぬ発見をしたり、失敗から学んだり、新たなアイデアを閃いたりするだろう。これらは、指示通りに作業を進めるだけでは得られない貴重な経験であり、創造的な思考力を養う上で重要な役割を果たす。
人生は完璧に計画された脚本通りには進まないものだ。予期せぬ出来事やハプニングに見舞われることもしばしばあるだろう。しかし、それらの「無駄」な経験、人生におけるノイズを受け入れ、そこから学びを深めることで、私たちはより人間らしく、豊かな人生を歩むことができるのではないだろうか。
「コスパ」「タイパ」思考とは正反対の、マイクロスリップ、ノイズ、ランダムさ… これらの「無駄」は、実は私たち人間を人間たらしめる、かけがえのない要素なのかもしれない。
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