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「冗長率」という視点から見直すコミュニケーションの本質〜Voicy Fesから学んだこと

先日、Voicy Fesが盛況のうちに幕を閉じた。リアルタイムでの視聴は叶わなかったものの、今、一つひとつの対談を時間をかけて味わっている。

このところ、日々の診療、家族との時間、副業に追われる中で、純粋な学びの時間を確保することは難しかった。しかし、音声コンテンツという形式は、そんな現代人の時間の使い方に新しい可能性を示してくれるのだと改めてその価値にリスペクトの気持ちが湧くのを感じる。

通勤時や家事の合間、それは隙間時間を最も贅沢な学びの時間へと変える、私にとってまさにチートのような存在だ。

多くの対談を聴き進めるうちに、自分の中で一つの気づきが生まれた。最も心に残る対談には、ある共通点がある。それは「本題」と「一見無関係に思える会話」のバランスの妙だ。この発見は、平田オリザ氏が提唱する「冗長率」という概念と深く結びついている。

心地よいコミュニケーションの秘密

一般的に、コミュニケーションの話題となると、「簡潔で無駄のない表現」が理想とされる。しかし、真に効果的なコミュニケーションは、必ずしも情報の密度だけで決まるわけではない。

平田オリザ氏が指摘するように、状況に応じて「冗長率」、つまり一見不要に思える情報の割合を適切にコントロールする能力こそが、対話の質を高める鍵となる。

私の診察室での日々の経験はまさしくこれを裏付けている。限られた診療時間の中でも、患者さんとの何気ない日常会話から診察を始めることを心がけている。カルテには記録されないこれらの「無駄な」会話が、実は医師と患者の信頼関係を築く上で、計り知れない価値を持っていることを痛感している。

冗長率のアート

冗長率のコントロールは、まさに一つの芸術だ。子どもに話しかける時には具体例を豊富に用い、専門家との議論では簡潔な表現を選ぶ。フォーマルな場面では無駄を省き、くつろいだ雰囲気の中ではゆったりとした会話を心がける。また、純粋な情報伝達が目的の時と、人間関係の構築が重要な場面では、おのずと異なるアプローチが必要となるのは間違いない。

私自身のVoicyの人気放送を分析すると、この冗長率の絶妙なコントロールが聴取者の心を捉える重要な要素となっていることがわかる。単なる情報提供ではなく、パーソナリティの人間性が垣間見える「余白」の部分が、多くのコメントを生む源となっているのだ。これがうまくいかなかった放送は反応も一様に薄い。

新しい時代のコミュニケーション

デジタル化が進む現代社会では、効率性が過度に重視される傾向にある。しかし、人間関係の本質は変わらない。むしろ、SNSやオンラインミーティングが日常となった今だからこそ、適度な「無駄」の価値は高まっているのではないだろうか。

冗長率を意識的にコントロールする能力は、単なるテクニックではない。経験がものを言う場面もあるものの、相手への深い理解と配慮を示し、場の空気を読む繊細さや伝えたいメッセージの本質を正確に把握する力のいずれかでも意識することで向上していく。

もちろん、これらの要素が有機的に組み合わさることで、さらに効果的なコミュニケーションが実現されていくだろう。

おわりに

Voicy Fesでの様々な対談を通じて、改めて「冗長率」の重要性を実感している。効果的なコミュニケーションとは、必要な情報を伝えるだけでなく、適切な「余白」を設けることで、より深い理解と共感を生み出す技術なのだ。

明日からの対話に、この視点を少し意識してみてはどうだろう。必要な「無駄」を創造する勇気を持つことで、より豊かなコミュニケーションが生まれるかもしれない。デジタル時代だからこそ、人間らしい「余白」のある対話の価値は、ますます高まっていくに違いない。

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精神科医kagshun/EMANON
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